ぼちぼちいこう☆

迷いながら、でも楽しく生きる日々の記録

あいかわらず

2008年01月09日 01時57分20秒 | ココロ
重たい話なので
読みたくない方は飛ばしてくださいね。
人生の記録に。



















父親は私が東京にいる間ずっと
お酒に酔っては母親に手をあげていた。
私は小さい頃から
そんな二人の間にはいって仲裁に入ったことも数知れない。
フラッシュバックがあるときはそんな時のシーンが頭をよぎる。
そして私が14歳の時に母が決意をし
私をつれて逃げるように大分に戻った。

ずっと私は父親を許せなかった。
憎みたかった。
でもやはり子供ゆえ心のどこかで憎みきれないところがあり
憎みたい、でも憎みきれない、でも許せない
そんな葛藤がずっと苦しかった。

一度大学生の頃
突然父親が私の一人暮らしの部屋を訪ねてきたことがあったが
私は父親を見るなりドアを閉め、そのまま追い返した。

父親は2度脳梗塞をしており
1度目の脳梗塞の後はかなり状態が悪く
明らかに普通ではない状態だと思われる宛名で
手紙が来たこともある。
その封も開けられなかった。

東京までの新幹線のチケットを送ってきたこともある。
結局東京には行かなかった。

2度目の脳梗塞の後入院してからは
身内の顔もわからない状態になっていたようで
父親の実の妹であるおばさんが
成年後見人となっていてくれた。
昨年はいろいろとあったので
会いに行くべきかと思っていた時期もあったが
そのおばさんが
「きてぃ☆ちゃんにはショックが大きいだろうから
 会わないほうがいいと思う」とのことだった。
それでも会いに行って現実を見ようか
それもずいぶん悩んだが
結局答えを出せないまま時だけが過ぎていった。

父親があんな風だったのは
「アルコール依存症」という病気のためだったと
わかったのは
皮肉にも自分が病院に就職し
治療者としてアルコール依存症に向き合うようになってからだった。
患者さんの立場になって理解するうちに
自分の父親も許してあげなくてはいけないのではないか
という気持ちになったが
結局許しきれないままだった。



父親が亡くなったと知った今
初めて父親を許せるかもしれない、という気がしている。
それは遅すぎたのかもしれない。
私の未熟さがいけなかったのかもしれない。
でも、やはり何度考えても
許せなかった自分もしょうがないと思う。

だからこそ、これを機会に
せめてこれからは少しずつ許していけるようになりたいと思う。
人を憎む、憎みたいと思う
そんな気持ちの存在は私には苦しい。
やっぱり許したいと思う。
父親があちらの世界では自分を取り戻して幸せになっていてほしいと
心から祈れるようになりたいと思う。

30年をかけて闘ってきた思いに決着をつけるというのは
そうそう簡単なことではないのだと
気づかされる毎日。
泣いて泣いて泣いて何で泣いているかもはやわからないぐらい。
それでもやっぱり決着をつけたい。
穏やかな心になりたい。


こんなに赤裸々に書くとは自分でも思っていなかったし
ちょっとどう思われるのか不安もあるけれど
もしどこかに同じような思いをしたひとがいるなら
「同じ気持ちの人もいる。きっと乗り越えられる。」
と思ってもらえるように
そんなきっかけになれば、と思って
やっぱり書いていくことにしました。

不愉快な方がいたらごめんなさい。
とばしてくださいね。




                     By きてぃ☆

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