ぼちぼちいこう☆

迷いながら、でも楽しく生きる日々の記録

コトバのチカラ

2008年12月20日 03時25分15秒 | マジメなハナシ
いっつもいっつも悩みばかりあれもこれもと
抱えている私ではございますが
今は、今まで悩んだことのない悩みを抱えています。

私は今まで自分の信じた道を貫くことで
人に何か伝えようとしてきました。
悩んで考えて自分の中であれこれしつつ
人にも自分にも誠実にあることだけを考えて
その時自分がよりいい道だと思った道をたんたんと歩く。
そうしてきたつもりです。

その結果、それが伝わって何らかしら感じてくださる方は
今もお付き合いが続いているということになるでしょうか。

どちらかというと無言の主張を好むタイプです。


しかし今、それが伝わらない場合、
でも伝えて理解してほしい相手の場合
コトバでどうやってそれを伝えるか、悩んでいます。
一生懸命考えていろいろ伝えても
バックグラウンドが違えばはなから相手にされないことだってある。
自分が「心を砕いている」感覚を
うまく伝えられない相手がいる。

無言というのが一番強い主張の手段であったはずの私。
でもそれよりしっかりした明らかな主張をコトバでどうやったらできるのか。

傷ついたことを言われたとき、それにどう向かっていったらいいのか。
無言では伝わらなければ・・・
でも、傷ついたことを伝えなければ
きっと気づいてさえもらえないのだ。

人は責めたくない。可能な限り。
自分がそれを我慢する方がいい。
でも、それだけではいけないんだろうたぶん。

相手のことが嫌いではないから伝えたいと思うんだ。
だから伝えるほうが誠実だとは思う。
でもそれをうまくやれる自信がなくなっている自分がいる。


私は、変われるのだろうか。


By きてぃ☆

実は

2008年02月29日 01時44分09秒 | マジメなハナシ



ずーっと以前、もう3,4年前だと思いますが
父親から封書が届いたことがあります。

そこには手紙と、カセットテープが一つ入っていました。
私はその手紙の内容は読んでいないのですが、
(文章はもうちゃんとは書けない様子でした。)

カセットテープの背表紙に書いてあったのは
「ガーシュイン・ラプソディインブルー」でした。
父親はなぜこの曲を選んで送ってきたのでしょうか?


そしてこの間ふと気づいたんです。
土曜日にある演奏会でもラプソディインブルーやるんだと。


なんだかそれ以来ますます不安定なんです。
気持ちが動揺してます。

でも、こんな偶然があるということは
神様が乗り越えるチャンスをくれたのではないかな
ともおもっています。
よし!乗り越えたるぞー!!

本番は、練習お休みが多かったお詫びに
演奏しっかり、飲みもしっかり頑張りますので皆様ご了承くださいませ。


                    By きてぃ☆

ありがたい

2006年06月29日 00時22分01秒 | マジメなハナシ
引き続き重い話なので読みたくない人は読まないでくださいませ


うつがひどいときは
なんで生きてるんだろう、とかしょっちゅう思ってました。

でも最近は
生きているってそれだけで奇跡!
だからすばらしい!
だから生きる!
と思っています。
命って「授かる」っていう表現がしっくりくるのは
そういうことかと思いました。

わたしっていうパーソナリティは
わたしが生まれたときと少しでも違う条件だったら
存在しなかったわけで。
わたしが今ここにいるというそれだけで
価値があるのだなあ、と思います。

そしてわたしの周りには
わたしという命を支えてくれるたくさんの人がいて
その多くの人たちにいろいろな形で助けられてはじめて
わたしはその価値ある命をつなげていけるわけです。


やっぱり生きているってそれだけで奇跡。

奇跡を授けてくれる
わたしにつながるすべての人に  感謝です。

カンガエル

2006年06月29日 00時11分09秒 | マジメなハナシ
重い話なので、読みたくない人は読まないように



私、病気になってからもう10年近くたちます。
(正確に言うと9年ちょっとかなあ?)
その病気とのおつきあいの中で常に私の心から
はなれなかった想い。

それは、「早く普通の人になりたい」というキモチ。
ずっと、病気でない人=普通で、病気の私=普通じゃないと思ってました。

「だらけている」「心が弱い」と
言われたりすることもあり、
泣いたことも多々。

それを言葉にして私に伝えてくるということは、
その人が「自分が普通」という基準のもとに
私を「そんなこともできないなんて普通じゃない」と判断しているからで。
とても悔しかった。
はやく「普通」に戻りたいと思っていました。


「普通」は当時の私にとってとてもいいことであったわけです。
  (もともと子供のころちょっと特殊な生活環境で暮らしていたので
   「普通」に対する憧れみたいなものは人一倍あったとも思いますが。)

自分が人と違うところばかり気にかかり、
「こんなこと考えてる自分は変かもしれない」
「こんな私は『普通』じゃないかもしれない」
としょっちゅう不安にかられてました。
薬を飲んでいることも仕事ができないことも
すぐ疲れちゃうことも「普通」でないと思ってました。

でも、そんなことで悩み続けているうち、
ひとつの疑問を抱くようになっていきました。
それは
「普通」ってなに?
ということ。

だって、いろんな人がいて、ひとりとして同じ人間はいない。
じゃあ、「普通」ってどうやって決まるんだろう?と。

結局、いまは
「普通」=「多数派」ってことなんじゃないかな、
という考えにいたっています。

人間は人と同じであることに安心するところがあると思う。
だからいろんなところで「普通」という安心を得たくなる。
でも、実はこの世の中に絶対的な「普通」なんて存在しない。

うつでもなんでもわたしはわたし。
薬も仕事もひとと違うところはたくさんあるけど
人との違いは、個性ともいえる。
そう、うつというのはわたしという個性の一部分。
病気もひっくるめてわたしなんだと思う。


私は後悔しない人生を送りたい。
だからその時その時しっかり考えて
自分なりの最善を尽くしたいと思う。
失敗しても、その時の最善を尽くしたというキモチがあれば後悔はしない。
それがわたし。

だから別に「普通」じゃなくていいんだよ。
問題はわたしが後悔せずに楽しい人生を送ること。

最近ようやくそう思えるようになって
(いまだに「普通」に引きずられそうになることも多いけど
ちょっと霧が晴れつつある感じがするのです。

ああ、自分の気持ちをうまく伝えられる文章が書けたかどうか
自信ないなあ・・・。