ぼちぼちいこう☆

迷いながら、でも楽しく生きる日々の記録

ひじょうに・3

2012年06月29日 04時37分36秒 | 日々

重い話が…(以下略)

 

 

 

 

精神的には超・低空飛行だけど、今日(正確に言うと昨日・木曜日)は安定していると思ってた。

でも、自分が遠いような感覚があって

自分の感情なのに自分のものでないような、俯瞰から自分の感情を見ているような

そんな妙な気持があって、安定じゃないのかもしれない、ともうっすら思ってた。

 

なかなか眠る気にならなかったから、時間かかったけど

眠らなくちゃと思って無理やり薬飲んでベッドに入った。

 

眠れる気はしなかったのだけど、とりあえず目をつぶったら、動悸がとても激しくなって困った。

それでも頑張って、とにかく目をつぶって眠ろうと努力した。

そうしたら、不意に過去、それも幼少期に体験した

嫌な出来事ばかりが鮮明に頭に浮かび、まるで自分がその場にいるかのような、、、

自分が、その当時の自分になってそこにいるような感覚になった。

 

私はあの時、本当は悲しかったんだ、怒っていたんだ、こんな家族おかしいと思っていたんだ

そんな感情が一気に自分を襲ってきた。

フラッシュバックは何度も体験したことあるけれど

この、「リアルにそこにいるような感覚になる体験」は初めてで、とても恐ろしかった。

 

これがラスボスと戦うってことなのかもしれない。

パンドラの箱を開けたことによって出てきたものと対峙するということなのかもしれない。

これを抜けたら何か変われるのかもしれない。

 

でもこれ・・・きつい。本当に怖かった。

はんぱなくきつい。

 

暗闇の中で目を閉じることに耐えられず、起きてきた。

もう、眠れなくてもいいや。眠れそうになったら眠ればいいや。

 

もう努力してでも眠ろうとする精神力はない。

もしまた同じ体験をすることになったらと思うと、ちょっと耐えられない。

 

でも、回復には必要な過程なんだ。それはわかってる。わかってるよ。


ひじょうに・2

2012年06月27日 04時09分54秒 | ココロ

重い話…(以下略)

 

 

 

そして私がそんな状態の昨日、カルテ開示の手続きが前進しました。

あとは2つの病院と日程を調整して

私が病院に行けばカルテを見ることができるという状態になりました。

 

父親の最期についても

カルテを見ることについても

「そんなことにこだわって何の意味があるの?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。

(実際この数日の間に、あまり面識のない方に似たことを言われました。

特に悪気のない言葉だったのは分かりましたが、、、やはり傷つきました)

 

それでも、私はやっぱりそこに真正面から向き合って

たとえどんなにつらい事実であっても、知って、理解して、納得して、自分の中で消化して・・・

そんな作業をしないと先には進めないタイプの人間なんだとあきらめがつきました。

 

こんなつらい過程、別に歩む必要ないのかもしれない。

心の中の傷には目を瞑って、誰かに、何かに責任を転嫁して

亡くなった人のことは気にせずに、ただ自分の人生を生きればいいのかもしれない。

そうすれば自分が病気になることもなかったのかもしれないし、その方が「正解」なのかもしれない。

 

でも仕方ないんです。それはできないんです。向き合う方の生き方しかできないんです。

要領の悪い生き方だな、とは自分でも思います。

でも、たった一度の人生、悔いは残したくない。

自分のこの心の中のもやもやに目を瞑ったままでは、きっといつか後悔すると思うので

後悔しないために、やっぱり向き合いたいと思います。

そして向き合うべき時が来たのだな、とも思っています。

 

実際にカルテを見れば、また大きな衝撃を受けるでしょう。

それでも、しないままでは、ずっと前に進めないと思うから

前に進むために、まずは今までのいろんなことを整理しに行かなくてはと思っています。

 

と、こういう自分の考えはブレてはいないんですが

今も、そしておそらくこれからしばらくの間も、とてもとてもしんどいです。

あまりにつらくて、消えてなくなりたいと思う気持ちが頭をよぎってはそれを頑張ってかき消し

頭も心も体も動かない今の自分に自己嫌悪したり、自責の念に駆られたり。

ほんとうにつらいです。

 

そんな自分の感情の中でもがきながら、それでもやっぱり「生きなくては」とは思っています。

 

長文、乱文失礼しました。


ひじょうに・1

2012年06月27日 03時32分02秒 | ココロ

重い話を何回かにわたって書くと思いますので、ダメな方はスルーしてください。

 

 

 

動悸がおさまらず、眠れそうにないので

自分の心の整理を兼ねて書いてみようかと思い立ちました。

 

先週の木曜日、用事があって、とあるホテルに宿泊しました。

あまりにも疲れていたので、そこでマッサージをお願いして部屋に来てもらいました。

 

よく喋られる女性なのですが、うまく会話がかみ合わないし

さっき会話に出たことが、なかったことのようになっているし

見当識(いま何月か、季節は何かというようなこと)もちょっと不安な感じだし

・・・・・そんなにお年には見えないのになあ、なんかちょっと心配だなあと思っていました。

(前職の職業病的視点です)

 

しかし話しているうちに、他にも色々な情報が出てきて

その方はアルコール依存、もしくはその予備軍なのではないかと思うに至りました。

前職でアルコール依存症の治療に携わっていたので、なんとなくぴんと来たという感じでしょうか。

※もちろんそれが真実かどうかは定かではありませんが。

 

その方が帰られて、私は相当の衝撃を受けていることに気づきました。

 

私の父は今考えるとおそらくアルコール依存症でした。

しかも末期には脳梗塞を2度ほど起こし、入院してから亡くなるまでは

とても人とコミュニケーションが図れる状態ではなかったと叔母から聞かされていました。

でも私はそんな状態の父に会ったことはないし、具体的に想像することはできませんでした。

想像することを避けていたのかもしれません。

 

マッサージに来てくれたその方とお話をしていて

(その方がアルコール依存症もしくはその予備軍という、私の印象に基づく話ですが)

話がかみ合わなかったり、見当識があいまいだったり、さっき話したことが出てこなかったり

そういった状態を目の当たりにしました。

その方の様子を通して、父親の状態を見ているような錯覚に陥りました。

 

しかし、その方は自分で収入を得てひとり暮らしをし、社会生活を送れている段階です。

 

私の父親はさらに状態が悪かったはずです。

入院してからは、いわゆる「人格崩壊」というレベルに達していただろうと思います。

そのことを思って、何とも言い表すことのできない、強烈な衝撃を受けました。

 

あまりにもその衝撃が強くて、その日からしばらくその事と直面することができませんでした。

金曜日から日曜日にかけては、楽しいこともあったし、予定が詰まっていたこともあって

あえてそういったことは考えないように、自分の精神的な状態を引き上げていました。

カラ元気というんでしょうか。

たぶん相当無理をして、普通に、いや普通以上に振舞っていたんだと思います。

 

当然と言えば当然ですが、月曜日から、一気に落ちました。

アルコール依存症と言う病気、私の中にあるこれまでの記憶、父親の人生、母親の人生、私の人生、生と死・・・

とにかくいろいろな問題や感情が心の中に渦を巻くように次々と襲ってきて

押しつぶされそうになっています。

 

本当に、つらいです。