ぼちぼちいこう☆

迷いながら、でも楽しく生きる日々の記録

寝込む。

2008年01月30日 00時55分10秒 | 日々
なんか疲れやら精神的ストレスやら風邪やら
いろいろ重なっている模様で
寝込んでおります。。。

日曜日から寝込んでて、、、

でも日曜日の夜の用事はどうしても
私が行かないとなんともならないものなので
振り絞って行き、、

次の日からはダウンしております、

でも、意地で食事だけは作っているんですが
それがいいことなのかどうなのか。

明日復活を目指してましたが
ちょっと厳しいかもしれません。。。


早く元気になりたいよう☆


                  By きてぃ☆

楽しかった

2008年01月13日 22時47分23秒 | 日々
土曜日から1泊2日で熊本にお出かけ。


いつものごとく(?)お迎えにきてくれた二人の好意に甘え
車に乗り込みます。

車で2時間弱かけて植木インターでおりる。


植木のウエッキーというお店を発見。ネーミングセンスがすてき。


熊本の駅近くのオーデンというお店にて飲み会。
ソーセージとかアイスバインという豚肉の料理とか
とにかくたくさんの料理が並びます。

生ビール、黒生ビール、と飲んで(どちらもおいしかった
一番びっくりしたのがこのピンクのビール

たしかベルギーのだった気が。
たしかチェリーを発酵させて作ったものだった気が。
これが甘酸っぱくてカクテルのように飲みやすくお気に入り。

宴も中盤を過ぎた頃
最初に写真を撮り忘れたことを指摘されあわてて途中経過を撮影。

もうほとんど料理がない・・・。


そして遅れて登場したお二方のリクエストもあって

チーズフォンデュを注文。(×2)
お腹いっぱいなはずだったのにみんなで完食。


個人的に胃腸が本調子でなかった私は
ちょっと飲みが足りなかったかしら・・・と思いますが
(そんなことないかな?)
美味しく食べ、美味しく飲み、いろいろしゃべって笑って
とっても楽しいひとときでございました。


そしてその日はそのまま熊本の○○邸に泊めていただきました。
珍しいものがたくさんで感動。
うろうろ、きょろきょろ
学生の時の合宿気分を思い出しつつ
ゆっくりぐっすり眠りました。
おくさまいろいろとお気づかいありがとう~


翌日はお昼くらいに出発。
まずは熊本ラーメンを食べに行きます。
熊本駅近くの「黒龍紅」というお店。
ねぎラーメンを注文しました。

とってもおいしくてお持ち帰りも注文しようかと思ったけれど
別にネットで注文もできるみたいだったので我慢。

そしてその後は温泉へ。
広いお風呂で気持ちよく、だいぶ長いことぽかぽかしてました。


満足満足で帰宅いたしました。
帰りも送ってもらって・・・ほんとありがとう。


充実の熊本旅行でございました。


そうそう、驚愕のおみやげをいただきました。

超特大メロンパン。
比較のために500mlのペットボトルを並べてみました。
ほんっとに大きいのです。
クッションサイズです。何回で食べきれるかな~?


                       By きてぃ☆

食べれるようになったもの

2008年01月12日 01時03分12秒 | 食べ物・料理
昔は嫌いだったけど今は好き!なもの

○なす

 こんなに美味しいものなんで食べられなかったんだろうなあ

○豚足
 
 熊本の焼き鳥屋さんで食べたやつがすっごく美味しくて目覚めた。
 表面がかりっとしてるやつを
 酢醤油と一味で食べるのが好きです。

○もつ

 そもそも福岡に来るまで食べたことなかった。
 最初はあんまり得意ではなかったけど
 最近近所で美味しいお店に行ってから好きになりました。

○牡蠣

 見た目と香りの強さでだめだったけど
 2ヶ月間だけ佐世保市の職員として働いた時
 九十九島の牡蠣を食べて目覚めました。
 オイスターバー、美味しかったなあ。

他にもまだまだありそうなシリーズです。


そしてなぜ連続で食べ物の記事を書いているかというと
今日の夕方から胃腸が壊れて大変で食べれてないから。
いやー久々に脳内を駆け巡る「正露丸」の文字。
結局飲まなかったけども。
精神的に弱ってる時は胃腸が虚弱になりますわたくし。
でも明日は熊本で飲み会なの。
だからなんとしてでも復活しなくては。


                    By きてぃ☆

あああれ食べたい

2008年01月12日 00時50分48秒 | 日々
とたまに思うもの。

○おでんのはんぺん
 
 昔は大好きだったんだけどなあ。
 九州に来て「おでんで一番好きな具は?」って話で
 「はんぺんかな」って言ったら
 「えっ?」みたいな空気になってびっくりしました。
 まあ今はすっかり大根派だから良いけど
 たまに食べたくなる、はんぺん。

○そば

 昔は「そば・うどん」だったわけです。
 うどんってあんまり食べなかった。
 九州は「うどん・そば」ですよね。
 最近はそばを食べれるチャンスがなかなかない。
 うどん屋さんにはおそばも置いているけど
 それは注文する気がしない。

 ちなみに、九州の人にはショッキングであろう
 あの黒いスープのおそばもおうどんも
 私はいけます。それもたまにはいいかと思う。
 なかなか近くに賛同者がいないけれども・・・。



と昔関東に住んでいたことをちょっとアピールしてみるけど
今はすっかり九州人なわたくしです。



                        By きてぃ☆

ありがとう

2008年01月10日 15時55分30秒 | ココロ
連日の記事でご心配かけてしまったようで。
いやあみなさん読んでくださってるんだなあと感激です。

ありがとうございます。



結構元気に昨日のお買い物もドライブも楽しんで
週末にある飲みの予定を楽しみにし
と結構元気です。

あ、お酒も飲めます。
(誘いの催促では・・あるかもほほほ)


                  By きてぃ☆

あいかわらず

2008年01月09日 01時57分20秒 | ココロ
重たい話なので
読みたくない方は飛ばしてくださいね。
人生の記録に。



















父親は私が東京にいる間ずっと
お酒に酔っては母親に手をあげていた。
私は小さい頃から
そんな二人の間にはいって仲裁に入ったことも数知れない。
フラッシュバックがあるときはそんな時のシーンが頭をよぎる。
そして私が14歳の時に母が決意をし
私をつれて逃げるように大分に戻った。

ずっと私は父親を許せなかった。
憎みたかった。
でもやはり子供ゆえ心のどこかで憎みきれないところがあり
憎みたい、でも憎みきれない、でも許せない
そんな葛藤がずっと苦しかった。

一度大学生の頃
突然父親が私の一人暮らしの部屋を訪ねてきたことがあったが
私は父親を見るなりドアを閉め、そのまま追い返した。

父親は2度脳梗塞をしており
1度目の脳梗塞の後はかなり状態が悪く
明らかに普通ではない状態だと思われる宛名で
手紙が来たこともある。
その封も開けられなかった。

東京までの新幹線のチケットを送ってきたこともある。
結局東京には行かなかった。

2度目の脳梗塞の後入院してからは
身内の顔もわからない状態になっていたようで
父親の実の妹であるおばさんが
成年後見人となっていてくれた。
昨年はいろいろとあったので
会いに行くべきかと思っていた時期もあったが
そのおばさんが
「きてぃ☆ちゃんにはショックが大きいだろうから
 会わないほうがいいと思う」とのことだった。
それでも会いに行って現実を見ようか
それもずいぶん悩んだが
結局答えを出せないまま時だけが過ぎていった。

父親があんな風だったのは
「アルコール依存症」という病気のためだったと
わかったのは
皮肉にも自分が病院に就職し
治療者としてアルコール依存症に向き合うようになってからだった。
患者さんの立場になって理解するうちに
自分の父親も許してあげなくてはいけないのではないか
という気持ちになったが
結局許しきれないままだった。



父親が亡くなったと知った今
初めて父親を許せるかもしれない、という気がしている。
それは遅すぎたのかもしれない。
私の未熟さがいけなかったのかもしれない。
でも、やはり何度考えても
許せなかった自分もしょうがないと思う。

だからこそ、これを機会に
せめてこれからは少しずつ許していけるようになりたいと思う。
人を憎む、憎みたいと思う
そんな気持ちの存在は私には苦しい。
やっぱり許したいと思う。
父親があちらの世界では自分を取り戻して幸せになっていてほしいと
心から祈れるようになりたいと思う。

30年をかけて闘ってきた思いに決着をつけるというのは
そうそう簡単なことではないのだと
気づかされる毎日。
泣いて泣いて泣いて何で泣いているかもはやわからないぐらい。
それでもやっぱり決着をつけたい。
穏やかな心になりたい。


こんなに赤裸々に書くとは自分でも思っていなかったし
ちょっとどう思われるのか不安もあるけれど
もしどこかに同じような思いをしたひとがいるなら
「同じ気持ちの人もいる。きっと乗り越えられる。」
と思ってもらえるように
そんなきっかけになれば、と思って
やっぱり書いていくことにしました。

不愉快な方がいたらごめんなさい。
とばしてくださいね。




                     By きてぃ☆

節目の年

2008年01月08日 16時34分31秒 | ココロ
本日はとても重たい記事になると思われますので
読みたくない方すっ飛ばしてください。

でもどうしても吐き出さないと落ち着かないので書きます。

松の内の間は控えておりました。










父親が昨年の5月頃に他界していたということを知った今回の年末年始の帰省。
母も私には言い出しにくかったようで。

私自身は父親とはもう15年近く連絡をとっていませんでした。
正直言ってまだどう受け止めてよいかわからない感じです。
しかし、東京にある昔私が住んでいた家がほったらかされている状態なので
私がその処分を引き受けることにしました。
まだ買ったこともない不動産を、売却する立場になるとは・・・。
今年は東京に足を運ぶ機会が増えるでしょう。

精神的にも今年は節目の年になるでしょう。
その分大きな壁を越えなければならない、そんな年。


やっぱりうまく書ききれませんが
そんな感じのわたくしです。

                    By きてぃ☆