ぼちぼちいこう☆

迷いながら、でも楽しく生きる日々の記録

ひさびさの練習

2008年04月27日 02時31分07秒 | 日々
先週練習をお休みしたので
なんだか久しぶりだったオケの練習。

たくさんの人が
それぞれのやり方で
私を気遣ってくれていたのが分かって
とてもあったかい気持ちになれました。

みんなありがとう
やっぱり行ってよかった

そして練習中は
先日行ったレッスンで教えてもらったことを気にしつつ
吹いてみました。

おお!やっぱりなんか違っていい感じ!!
久しぶりだったから唇がばてるのは早かったけど
ちゃんと気をつけて基礎錬積み重ねていけば
ちょっと先が明るいかも

とちょっと希望を持ちつつも
来週練習休みで再来週は結婚お祝い的な・・・
次は指揮トレ。

しかもこの指揮者の方私の宿敵です。







♪どっれっみーれどど↑ー
とか

♪らーみーふぁーどーれーどしみー
とか


(・・・すみませんこれ in F で歌ってます)


かっこよく吹けるようになるといいな。


By きてぃ☆

笑えるおまけ2

2008年04月25日 19時43分00秒 | 日々
2日目。

家に行った日ですが

近所にあった昔よく遊んだ公園に立ち寄りました。

お手洗いを拝借し、
「ああ、ちょっとあのベンチで休憩しよう・・・」
とベンチに向かって砂場の端っこを横切っていると


がくん!!!
と右足に衝撃が走りました。

「えっ!?今何が起こった?」
と右の足元を見ると・・・。
落とし穴にすっぽり膝まではまってました。
ご丁寧に雑草でささやかにふたがしてありました。
ちょっと足首ひねって痛いし。

うううう・・・・
何でこんな時に・・・
と思いながら砂場近くのベンチに腰を下ろし、
砂払ったりしていると

同じ公園の端っこで遊んでいた子供たち(男の子3人)が
砂場にやってきました。
ああ、子供は元気だな・・・と思っていると
そのうちの一人の子が落とし穴を見るなり

「ほら!!誰か引っかかってるって!!
 ほら見てよ!
 誰が引っかかったのかな~?」

と他の子に訴えていました。
どうやら3人ともそれが私であるとは気づいてない様子。





『いやいやいや、それ、あたしだし。』と心の中でつっこみを入れつつ
気づかれてもいけないので
なにもなかったふりをしつつ、無言で公園を後にしました・・・


子供が掘った落とし穴をあなどってはいけません。
結構深かった。

今までお笑いの番組とかで
大きな落とし穴に芸人さんとかが落ちるのを見たことありましたが
その時の衝撃は今まであたしが想像してたより
はるかにすごいんだろうなと学びました


                        By きてぃ☆

笑えるおまけ

2008年04月25日 19時29分46秒 | 日々
この数日間、大変なことも多かったですが
私らしい(?)笑えるハプニングも多くあったので
そのお話を。



まず初日。

広いんです。私が行った霊園は。とてつもなく。
あっちを往復、こっちを往復、
ずーっと歩き回ってやっと見つけた花屋さん。(お供え用に)


うそっ。
がーんがーんどうしよう。

しかたなく周辺をまたうろうろするも他に花屋さんがなく。
また定休日の花屋さんまで戻ってみてよく見てみると・・・


店先に(極めて無造作に)花が置いてあります。
ん??どういうこと?



代金受?
ああ、値段も書いてあるね。
花一対2千円だから、2千円入れて一対持って行けばいいのね。
ふむふむ。
じゃあ、そうしようと財布の中を見てみると・・・



千円札が・・・・・・一枚。あとは万札。。。。。
ぎえー。

周辺にはコンビにもないし。
一番近いお店はプラモデル屋さん・・・
プラモデル私が買っても・・・・

と代金受けの前で途方にくれていたら
その店のおばさんが偶然犬の散歩から帰ってきたところに
遭遇できて無事お花とお線香をゲットできました。

ああよかった。


                       By きてぃ☆


記録・6

2008年04月25日 19時13分24秒 | 日々
そんなこんなで
初日のお参りの時もそれなりにしんどかったけれど
結局2日目3日目の方が更にしんどかったです。

今もとても情緒不安定だし
まだまだ遅れてくるショックもあるでしょう。

しかも父のことを考えることで
私自身の弱いところ、ずるいところ、いやなところ、欲張りなところ
いろいろ思われて
自分のことも嫌いになってます。

自分でも自分がどういう人間かわからなくなっていて
混乱してる節もあります。

いろいろからまっているので
乗り越えるまではかなり時間がかかりそうです。
でも、
いずれにせよいつかは通らなければならなかったと
自分でも思っているので
ゆっくり時間をかけて頭の中を整理していければいいなと思っています。







父は私と一緒にいるときは決していい父親であったとはいえません。
暴力もあったし家にお金も入れなかったし。
それはきっと帳消しにしてしまってはいけないことなのだと思います。

でも父親の大きな傷や
さぞかし寂しかったであろう心の中を察すると、
またアルコール依存症についての知識を持ってしまった私からすると
それを一概に責める気にも今はなれず。



その当時、子供であった私は
アルコール依存症のことを知らなくても仕方ないし
父を嫌がっていたのも仕方ないし。



でも
父から来る連絡に恐怖を感じたり動揺したり
返送したり読まなかったり、
突然私の独り暮らしの家を訪ねてきた父も追い返したりしたし。
それも仕方なかったとも思うけれど
どうしても、許す気持ちになれなかった。
父と似ているところが自分にあることすら受け入れられなかった。
優しい気持ちで父に接することができなかった。
父が本来はどんな人間であったのか知ろうともしなかった。

今はそんなことが悔やまれて
自分を責めたくなったりします。


でもそれも違う気がするし。



自分の父親に
病気になってからも寂しい思いをさせてしまったであろうことが
孤独な死であったのではなかろうかと思われることが
ただただ悲しくて仕方がありません。

私がもっと早く精神的に成長して
もう少し早く父を許す気持ちになれていたら、
父はそんなに孤独ではなかったかもしれないのに
とも思ってしまいます。


でも私が自分のことをどんなに責めても
いい方向にはならないこともわかっているつもりです。

とにかくいろいろと揺れていますが

父が悪かったから、とか
私が悪いんだ、とか
責任の所在を探すことで
自分の心の中で決着をつけるのではなくって
もっといい形(まだどんな風にできるかは見えないけれど)で
自分の心の中を穏やかにしていきたいと思っています。


本当に本当に重たい、暗いお話ですみません。
乱文、長文、失礼いたしました。
読んでくださった方、ありがとうございます。



                       By きてぃ☆

記録・5

2008年04月25日 18時35分49秒 | 日々
その後もいくつか病院を転院したようですが
看護婦さんもおおむねとても優しく言い方ばかりだったようで

「最後の顔はとても安らかだったと思う
 安らかに旅立ったと思うのよ」
とおばさんが言っていました。


葬儀もおばさんがしてくれました。
おばさんは
いわゆる昔っからあるような感じの葬儀というんでしょうか
「出すお金で葬儀のランクが決まるようなところなんて
 私だいっ嫌い!!」
と思ったそうで
近所にある感じのいい葬儀屋さんにお願いしたそうです。

そこは比較的新しく
スタッフもわりと若い人が多かったのだとか。
祭壇も、とても天井が高く明るい感じのところだったそうです。
祭壇の後ろにその人が生前好きだったものを
イラストなり小物なりで飾ってくれるような演出があるのだとか。

父の時は
あまり生前しっかりしている時におばさんと交流がなかったのですが
「なんでもいいんです。何か好きな食べ物とかありませんでしたか?」
と聞かれて
おばさんが思い出したことがあったそうです。

まだ若い頃、父と一緒に住んでいた頃
父は自分で料理したりもしていたようで
みんなの茶碗蒸しを作ってくれたことがあったとか。
他のみんなの分は普通の茶碗蒸し用のお茶碗に作っていたのですが
父は自分の分だけをどんぶりにつくったそうです。
そういえば茶碗蒸し好きだったなと思い出したのです。

そこでそのことを伝えると
「では、当日茶碗蒸しを作ってきてあげてください」と
葬儀屋さんに言われたそうです。
「うち(葬儀屋さん)が買って準備したりしては意味がないんです。
 ぜひあなたが作ってきてあげてください」
と言われて

「あたし朝から茶碗蒸しつくったわよ~何年ぶりかだったわ。」

とおばさんは笑っていました。

ちなみに・・・私も茶碗蒸しが大好きなんです。




そして
父が亡くなる数年前、突然父からおばさんに連絡があって
新宿で待ち合わせをしてあったことがあって
その時、「写真を撮ろうよ」と父が言い出して
お互いがお互いを撮ったのだそう。
その時おばさんが父を撮った写真、
「ピンボケ写真だったけど
 それを遺影の写真に引き伸ばしてもらったの」
と言っていました。



                     By きてぃ☆


記録・4

2008年04月25日 17時49分11秒 | 日々
3日目は

父の生前、成年後見人となってくれた
父の妹であるおばさんとお会いしました。

日本橋の高島屋の地下で一緒にお昼を食べながら
いろんな話を聞きました。

まず、父はアルツハイマーであったこと。

2度目に倒れたという知らせを聞いて救急病院で会った父は
おばさんが知っている父とは全くちがってしまっていて
最初は誰かわからなかったそうです。
父も最初はおばさんがわからなかったそうですが
すぐわかる状態にはなれたとか。

救急病院でしばらく入院した後
精神科の病院に転院したそうですが
そこのドクターはとてもいい先生だったそうです。

そのドクターとの最初の面接の時は
うつむいてしょぼんとしていた父。

「アルツハイマーの患者」として、それまでは
人としてまともに扱われなかったのでしょう。


しかしそのドクターは
「○○○○さん、○○才ですね」
「○○さんは○○大学の○○学科を卒業されたんですね」
「どんな勉強されてたんですか」
と、ちゃんと父本人に優しく問いかけてくれたそうです。
同席していたおばさんは
最初はしょんぼりうつむいていた父が
そのドクターとの面接が終わる頃には
背筋がちゃんと伸び、
しっかりした、
おばさんの知っている父の顔になっていて
とてもびっくりしたそうです。


                        By きてぃ☆

記録・3

2008年04月25日 17時35分11秒 | 日々
父は
学生のころヨーロッパに旅行したことがあるらしいのですが
その時自分で戸籍謄本をとりよせて
初めて自分の欄に
「養子」と書いてあってショックを受けたそうです。

父が生まれたのは戦前で
当時、父のお父さんとお母さんはまだ籍が入っておらず
そのままでは父の戸籍が普通でなくなってしまうとの気遣いから
一度違う人の子供としてうまれたことにして
父の両親が籍を入れてから
養子とする形をとったそうです。
血のつながりとしては
実の父親と母親なので問題ないのですが
まったくちゃんとした説明を受けれなかったので
父には相当ショックだったのでしょう。

その頃から父は少しずつ変わっていった様に思います。
あまりにも父が純粋すぎて不器用だったのかもしれません。
その時あまりにも深く傷ついてしまい
父はかたくなになっていったようです。

そんなことを荒れた家の中で考えつつ作業をしました。

私の傷つきやすさ・もろさは
父譲りなのかもしれないと思いました。

ただ父はそれを不適切な方向で解消しようとしてしまった。


                    By きてぃ☆

記録・2

2008年04月25日 01時09分41秒 | 日々
2日目は売る予定の家を見に行きました。

不動産屋さんを紹介してくれた方のお宅で不動産屋さんと顔合わせ。
その後家に行き、
不動産屋さんはだいたいの広さ、建物の現状を確認して
かえって行きました。
家の中は、それはもうひどく荒れていました。
もともとは中央線に乗れる駅まで連れて行ってもらう予定だったのですが
どうしても自分の目で家の中を確認したかったので
置いていってもらいました。

家の中はすさまじかったです。
どれくらいかというと・・・ん・・・
とりあえず土足であがりました。

私がその家を出、父が一人で住み始めたのは
もう15年ほど前のことですが
私の机も持ち物も多くが残っていました。
大きな家具の配置はほとんど変わってなく
ただ私のものの中に父のものが混ざっていたりしました。

その中から私の昔の写真や友達との手紙
父の写真やアルバム、父の日記などを探し出しました。
父の日記はとても多かったのでだいたい仕分けをして
持ってこれる分だけ持って帰りました。

私宛の手紙の下書きや
私宛の現金書留
それに日記の中にも私に関する記述が多くありました。

父は父なりに私を心配してくれていた様子がよくわかりました。

以前、もう父が1度目の脳梗塞を経験したあとに
私宛に東京行きの片道の新幹線の切符を送ってきたことがありました。
しかしそれは私の手元に届いた時点で期限を過ぎたものでした。
私はそれを払い戻ししてもらい手数料を差し引いて
父に送り返しました。
その時はなぜ父がそんなものを送ってきたのか
その真意がまったくわかりませんでした。
しかし日記に
「最近自分の体調がおかしく
 不安を感じていて、娘を呼び戻そうと思い
 新幹線の切符を送る」
と書いてありました。

父は酔っては母に手をあげていたし
かばう私も無視していたし
母と私は父に捨てられたのだ、愛されなかったのだとずっと思っていたので
急に切符が送られてきて、
なんて勝手なことをするんだ、と私は怒っていました。

でもそうではなかったのかもしれない。
父は母も私も好きだったのかもしれない。
ただ、とてつもなく不器用で
愛情も伝えられず、
寂しいとも訴えられず、一人で壊れていったのかもしれない。

                        By きてぃ☆

記録・1

2008年04月25日 00時48分56秒 | 日々
無事帰ってまいりました。
心身ともにへとへと。ぼろぼろ。

でもいろんな人にたくさんの力をもらって
なんとか無事帰るまでこぎつけることができました。
みなさんありがとう。

吐き出したいのか伝えたいのかわかりませんが
書きたい欲求が強いので
自分の記録のためにもここ数日の出来事を書きたいと思います。

でも、重たい、しめっぽいお話なので
読みたくない方は「記録」のタイトルのものは
スルーしてくださいね。















ええ、初日はお参りへ。
これはリアルタイムの記録どおりです。
お墓の前に立っただけではぴんとこなかったけれど
側面に刻んである父の名を見て
一気に涙が出ました。
もう、この世にはいないのだ、と痛感しました。
平日ということもあって周囲には人がおらず
わんわん泣きながらお墓の掃除をし、
お花を供え、お線香もあげました。
お線香をあげたころには泣きつかれて涙は出なくなっていたけれど
お線香がほとんどなくなるまで
ただ呆然とお墓の前に正座していました。
何が悲しいのか、何がつらいのか、
自分でもよくわからないけれど
ただただ涙が出ました。

空がきれいでした。


                     By きてぃ☆