SNSいくつかやっておりますが、悩みとか苦しみ系はかけないもんですね。
ここをどれだけの方が見てくれているんだろうかなあとも思ったり
最近の暗い話連発は我ながらなんだかだめだなあ・・・とかも思ったりするわけですが
とにかくどこかで吐き出さないとつぶれそうなのでやっぱりここに書きます。
ということで今日も明るい話はございません。
お嫌な方はスルーしてください。
ここ数週間動悸に悩まされ、とうとう四六時中動悸がするようになり、睡眠もままならなくなって
これは体の方が悪いのではないかと思って検査したところ異常なし。
昨年8月からお世話になっている主治医の先生からは
不安が引き起こす過覚醒状態で、PTSD的な要素があるのだと思うと診断されました。
そしてそれに合わせた薬の処方に変えてもらうと症状はだいぶ軽減。
見立てがあっているんだなと思うと、嬉しいと思う半面
これまで闘ってきたけれどまだ道のりは長いということなんだなと悲しくもありました。
実は先週の土曜日は父親の命日でした。亡くなってもう丸5年が経ちます。
毎年なるべく当日に、無理な場合でもその近辺で東京のお墓にお参りに行くことにしています。
今年は、来月東京に行くのでその時か、もしくは近日中折を見て行けたらなと思っていたところでした。
土曜日にお手伝いでうかがっているブラスバンドの練習に参加したんですけど
その中でABBAのダンシングクイーンを演奏しまして
演奏している途中に
その曲が私にとって、父親に関して覚えている数少ない記憶の一部であるということが
頭の中にふと浮かんで、なんだか感情がうまくコントロールできなくなりました。
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14歳で母が私を連れて家を出てから父親とはほとんど音信不通でした。
酔うと母に手をあげる父を、私はどうしても好きになれませんでした。
でも父が亡くなったと知らされ
自分が本当に悲しんでいるのかどうかさえ分からないような複雑な気持ちを抱えつつも
最初の命日に墓前に行ったら、人目もはばからず、ひとりでわんわんと号泣しました。
そこから、毎年毎年この時期は本当にいろいろなことを考えます。
今も当時の経験からくるらしき症状に悩まされていると思う気持ちもあるし
完全に父を許せているわけではないと思うのですが
やはり、父が最期の時間をどのようにすごしていたのか知りたいという気持ちが強くなり
カルテの開示請求をしてみようと思っています。
法律で定められたカルテの保存期間は5年間。それも私の背中を押しました。
開示請求をしてカルテを見たら
後悔するかもしれないような最期であったことは知っているんですが
それでも見ないままでは自分の気持ちにけりがつけられそうにないので
行動に移そうと思います。
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ABBAを吹いた練習の後、父親の妹さんと連絡をとり
最期にいた病院の名前を教えてもらいました。
私が今も精神的に問題を抱えていることを知っているその妹さんが
「いろいろあったとは思うんだけどね、あの人は本当にあなたのことずっと気にかけていたのよ。」
と言われたのがとても印象に残っています。
そのほかにもいろいろあって、、、本当に今精神的に参っています。
それでも、どんなに苦しくても、必死にあがいてもがいて、1ミリでもいいから前に進みたい。