ぼちぼちいこう☆

迷いながら、でも楽しく生きる日々の記録

今朝

2009年04月28日 00時29分52秒 | 日々
いや、もう昨日の朝になりますか。

おばあちゃんの病院から私の携帯に電話があり、
今日か明日に先生の説明を聞きに来てほしいとのこと。
電話を掛けてくれた師長さんによると
「お母さんが勘違いをしてる気がして、、、」
と言う。

とりあえず今から行きますと
日帰り予定でとりあえず準備して家を出て
バスで大分の病院へ。


主治医の先生の話を聞くものの

が残ったので
お母さんが病室に戻ったあと
粘って話を聞き出してみた。
もってあと1ヶ月程度とのことだった。

母はあと1年は時間があると思っていた。
どうりで話が噛み合わないはずだ。

母と叔父には私から説明。
母はやっぱり激しく動揺して、泣き出した。
とりあえず急遽水曜までこちらにいることにしました。

楽しかった♪

2009年04月19日 22時21分17秒 | 日々
さらに楽しみな1日の土曜日。
それは友達の来福日でございました


久々に一緒に楽器を吹き、
ローマの松もドンファンも楽しかった

そして
久々に一緒に飲みました
いつものメンバーで気も使わず(ごめーん・・・)
ぶっちゃけ話多数

餃子屋さん→飲み屋さん

帰宅は、、、2時過ぎていたのかな?


みーんなうちにお泊まりしてくれて
幸せでございました。
体力の限界がきてちょっとお先に眠っちゃったけどごめん
でもでもとっても楽しかった

そして日曜日は一番遅く起き(ごめんって・・・)
お昼ご飯を食べに天神へ。
辛ウマカレーはおいしかった。
そしてチリパウダーが380円とお手頃価格だったので
買ってしまいました。


その後はゲーセンへ。(私希望)
シューティングゲームをし
プリクラを撮り

そして来福した友達と解散。
んじゃ次は5月ね。
待っておりますのでキャンセルなしでお願いします




帰りにバス停真前のケーキ屋さんで
イチゴのタルトのケーキセットを食べる。
美味しかったー


帰って仮眠
さっき起きました。


さっ明日の準備しよっ

今回の

2009年04月17日 21時53分53秒 | 日々
大分行きでの私の使命。

○一晩病院に泊まって昼までやって皆に休養を提供すること
○主治医の先生から病状説明を受け、
 今後の治療方針を決めること

っていうのが大きな2つの使命でございました。


今までなら一晩おきっぱなしでも
明け方に3,4時間は眠れることが多かったので
1泊2日で2日目夕方まで余裕の予定だったけど
今回はそうはいかなかった。
とにかく全身の痛みの訴えが多くて
休む暇なし。

さすってみたりたたいてみたり体勢を変えてみたり。
とにかく痛みがなんとか少しでも軽くならんか
おばあちゃんと二人で試行錯誤。

看護師さんにも何度も相談するものの
もともとががんの痛みで、それはどうしようもない
ってことがわかってるだけに
みんなで「困りましたねえ…」

夜の間は

咳き込むと苦しそうで(しかも突然咳き込む)
ぜいぜいという音も激しくなって呼吸も苦しそうで
吸入したし
酸素も付けた状態になったのでちょっとほっておけないし
痛みもすごいみたいで
さすってあげないとおばあちゃんも落ち着かないし
私も落ち着かないし
おばあちゃん自身は眠ってる時間もあるかもしれないけど
私はもとが眠れない性質なのでちょっとの間の睡眠がとれず。
今のうちに寝ないと!と思って
軽めのものだけ選んで催眠導入剤を飲んだけど
その直後におばあちゃんが咳き込んで大変だったので

結局薬を飲んだのにも関わらず1睡もできなかったのです。



がんの痛みは想像を絶するものがあるようで
明け方には
「もう死んでんいいんじゃ」
「わしは死によるんかえ??」とまで言うような状態に。

「死んでいいわけないやろ。
 そんなこと言ったらおじいちゃんに怒られるよ。
 みんなおばあちゃんのことが大好きやけん
 生きててほしいんよ。そんなこと言ったらいかん。」


朝がきて周囲が明るくなり、
朝飲む麻薬系鎮痛剤を飲んですこしすると若干落ち付きました。


しかし
朝の鎮痛剤で落ち着いたのはほんの一瞬で
その後も痛みの訴えが変わらない。
ずっと痛いみたい。
もう見てられなくて何度も看護師さんを呼んで相談。
看護師さんも困る。
とにかくさすってなでてとんとんたたいて・・・

でも昼間にさらに一度予定外の麻薬系鎮痛剤の粉薬を飲んで
あとは半分寝た感じに。


そこらへんでギブアップ・・・したかったけど
主治医の先生とまだ話せてない!!
12時前の約束だったのに!
今日主治医の先生は午後から出張って言ってたし!
と焦っていたら母が到着。

そして主治医の先生も来た。
私だけで先生と話をする。

まず
お母さんはとても動揺していて
先生と話をしたり、病状を聴いたり、今後の方針を立てたり
なんてことはとてもできない、というので
なんか大事なことの説明とか、窓口は全部私にしてください
と頼む。

婦長さんも同席していたけど
まさかお母さんがそんな風とは思っていなかったらしく
ちょっとショックを受けていた風だった。

そして病状説明。
局所再発。多発性骨転移。リンパ節転移。癌性腹膜炎疑い。
という結果をかみくだいて説明してくれて
もう積極的治療は行えないので
あとは対症療法(痛みのコントロールとか)のみになります、と言われる。



私がちょっと前にお母さんに
「今後残された時間をどう過ごすか考えんとね」
と言ったところ
それを婦長さんに相談したらしいお母さん。
勧められたのはホスピスだった。

そしてそのホスピスは私がおばあちゃんががんで入院するときに
お母さんが、がん=痛みで苦しむとしか頭になく動揺していたので
「痛みのコントロールしてくれる所もあるんだよ今は
 ほら大分にもこんな病院があったよ」
と紹介したところだった。
そして私がネットで探したとき、
もし最期を考えなければいけない時が来たら
こんなところがいいだろうなあ。
と思ったところ。

私が昨日大分に到着してすぐ、少しだけその話をして
お母さんは
「自分たち家族も限界だし
 何よりもおばあちゃんのためにそこに行くのがいいと思う」
と言うので

私もそれは賛成、というと「よかった。」と言っていた。



なので主治医の先生に
そのホスピスに転院したいとお願いすると
明日くらいには紹介状を用意するから手続きできますよ、とのこと。
たしかに痛みのコントロールはそちらの病院の方が上手だと思います。と。


なので紹介状もらってからその病院に連絡して
一度母と私で受診。
その後順番を待って(おそらく3週間ほど)転院、
という運びになりそうです。


今回はずっと痛みに顔をゆがめてしかめっ面だったおばあちゃん。

今はただ、なるべく早くその病院に移って
おばあちゃんの柔らかい表情が見たい
楽しいと思える時間を共に過ごしたいと思うばかりです。

いいことある!!

2009年04月17日 21時53分03秒 | 日々
4時過ぎ天神着。

ちょっとコンビニで買い物をして
明らかに体力低下を感じたので
なんか食べな。とおもってご飯を食べる。

あーなんか甘いもの食べたい気がするんだけどなー
でも頭回らんけん
何買っていいかわからんーーー

ああせっかく天神にいるのに
何にも楽しまずに帰るなんてなーーー
本屋さんとか~洋服とか~
ストレス発散買い物したいよう
あーでもーーー
やっぱり頭は動かんし体も動きまへん。

ということで
へろへろな私はタクシーに乗りました。
しかも
たまたまポイントカードを持っている会社のタクシーが来たので
乗りました。

そしてその会社の20個たまると500円引きになるポイントカード、
私のは18個目までたまってました。
「おーあとちょっとやねーじゃあ、2つ押しとこう」
と、1回の乗車につき1ポイントの予定が
2ポイントゲットで満タン!!!
しかも
「んじゃ新しいポイントカードね」と
新しいポイントカードにも1ポイント。

1回の乗車で3ポイントをゲット


なんだか、へろへろだったのもあってか
とっても嬉しくって。
いいこともあるなあと思っていました




そのまま西通りを通って国体道路に出たのですが
国体道路に出る直前、ふと左側の歩道を見ると・・・
・・・?
なんであんな何台もでかいテレビカメラがあるんやろ?
・・・

なんとそこにはスザンヌさんがいた
おおおおおお~芸能人
しかも旬の人
しかもオーラあるし可愛い~

一気にハイテンションに。ミーハーです、はい。


タクシーの中で「ああ、ちょっと元気出ました」とつぶやいたら
運転手さんが「お客さん、運があるんですよ。いいことありますよ。」
と言ってくれた

それがまたなんかしみじみ嬉しかったのです



そっか。いいことあるのか。嬉しいな

今日

2009年04月17日 21時50分38秒 | 日々
睡眠不足を感じつつ起床。
よく考えるとあまり時間がないと気づき、
慌てて行動開始。

たまっている色々なことを片付けようとするものの、
頭が回らず時間も足りず
途中で見切りをつけ(笑)
タクシーに飛び乗ってバスセンターへ。

慌てて回数券を買い、
座席を確保してバスに飛び乗る。
着いてすぐ母と交代。

今日の20時~明日午前中一杯くらいまでは
私が一人で付き添いです。

おばあちゃんは
かなり色々な状態が落ちていて
一昨日から疼痛管理として
何か薬が投与されているらしいです。

その薬のせいもあり
私が来てからはちょっともうろうとしてます。
たまに痛みで起きて
たまに咳き込んで起きます。

すごく苦しそうなのに
何もしてあげられないのが辛いですが
一番辛いのはおばあちゃん。

とりあえずそばにいて
辛さを半分こできたらいいなと思います。

母が主治医の先生と話すのはやはり無理みたいなので
明日は私がサシで先生と面談です☆

いつも眠れないというおばあちゃんですが
今日は処方された催眠導入剤が
うまく効いてわりとぐっすり眠ってます。よかった。

いろいろあるなあ人生は

2009年04月16日 02時54分25秒 | 日々
月、火曜は何かにとりつかれたように
掃除にいそしみました。
かといって
めっちゃきれいになった[m:66]と言えるわけでもないけれど
まあ、若干ましになったかな。



そんなこんなで過ごした
火曜日、母からまた弱弱しい声で留守電が入っていた。
慌ててかけ直すと

お母さんは、おばあちゃんの状態を精神的に受け入れられないらしい。
若干認知症的なものもあるし
おばあちゃんが腹膜炎をおこして入院したのだけど
入院計画書にあった「疼痛管理・緩和処置」との言葉に
まさか今おばあちゃんがそんな段階になっているなんて、
と衝撃を受けているらしい。

そんな状態ならホスピスに行った方がいいのだろうか
でももう今更そんなところ空いてるわけがないし・・・

とまた悪い方にしか考えられなくなっている。

病気の状態は一進一退。
このまま悪くなるだけかどうかはわからん。
そうだとしても、膀胱全摘ができなかったことを
おばあちゃんに告げない選択をした時点で
おばあちゃんが最期を迎えるその時まで
私たちは常に前向きに、治るためにがんばろうね、
っておばあちゃんに生きる力を与えてあげないといけないんだよ

と説明すると、それはわかってるという。

じゃあ、今のおばあちゃんの状態を知るためには
検査の結果と一緒に主治医の先生と話し合わないといけないよね

と言うと

とても動揺していて、怖くてそれが聞けないのだ

と言う。


おじいちゃんの最期の時はこんなに動揺しなかったのに
今はとても動揺していて自分でも変だと思う

と言うので


おじいちゃんの最期は
おばあちゃんと一緒に迎えたわけだし
おじいちゃんとお母さんとの関係性、
おばあちゃんとお母さんとの関係性、
それは違うから動揺するのはあたりまえだよ。
誰だってそうだよ。

主治医の先生からの説明は私が一人で聞いてくるから
それをもとにどうするのが一番ベストか
みんなで考えたらいいじゃん。


というと、うんうん、そうかそうだね。

と少し落ち着いた。




とりあえず、明日から1泊2日で大分行ってきます[m:69]

ふうう

2009年04月13日 04時21分52秒 | 日々
日曜日の
そんなこんなの後、
事務的な手続きがあり、早急に済ませた方がいいという
ひょんなことから

念願の念願の念願の大事なお友達夫妻の新居訪問
そしてムスメちゃんにもじっくりご挨拶させてもらうのは初めて。
こんな時になんだけど
お祝いもまだあげれてなくてごめんねだけど
あの仕事すませんと、ねという口実で
訪問


そして新居には意外にもたくさんのお客さんがいて
(まあもちろんみなさん私も知っているのですが)おおお。
私疲れ切っていたので無愛想に感じた方はごめんなさい

私はムスメちゃんに癒されっぱなし。
ムスメちゃん横をキープ。(居座って離れませんでしたごめんなさい)


世帯主+お客さんの皆さんは
飲みに行くらしく7時くらいに帰って行きました。
まったね~

そしてお宅見学。
いろんな話が久しぶりにできてうれしかった。
なんと抱っこまでさせてもらってさらに上機嫌

すっかりくつろぎモードになり
「夕飯食べていく?」とのお言葉に甘え
みんなでお寿司をいただきました。

あーこのまま泊まりたいようと本気で思ったけど
ムスメちゃんも「ゆっくり寝かせて~」と主張の様子だったので
おとなしく退散。

いろいろな意味でありがとう
長居してごめんよ。
またゆっくりお邪魔させてね


そして帰路につき、家に到着が11時くらい、だったかな?
(ちょっと道に迷った)



帰ってもなぜかまた泣く。
どれだけ泣くんだ私は。
しかもまだ泣き足りないよ。
でも疲れたからもう泣けないよう。

そんなこんなで落ち着かず
おそらくいま眠剤飲んでも効かんよね、という感じだったので
落ち着くまで待つべく
この中身の濃い濃い濃い~~週末を振り返って今に至りまする。


そろそろ飲んで、寝てみます

んで結局のところ

2009年04月13日 03時38分23秒 | 日々
弦楽器の皆さんにはとてもびっくりされたのです。
ま、普通に連絡事項お伝えして解散!のはずが
話してる人がいきなり泣き出したんですから無理もない。

っていうか自分でもなぜ涙が出るのかわからないから
私もびっくりしてるんです、みたいな

右耳から拍手が聞こえました。
それがまたさらにありがたくてもっと泣いてしまいそうでした。




なんで涙が出たんだろう。
なんで止められなかったんだろう。

お母さんのこととかおばあちゃんのこととか亡き父のこととか
未整理の自分の気持ちがいくつかあったから混乱したのか


とにかく5月5日が、
こんなヘタレな発起人の私に
温かく接してくれた・いろいろ助けてくれた・かかわってくれた
すべての方にとっていい一日だったねと
思ってもらえるような日にしたいという気持ちでいっぱいなのに
実際多くの人に協力してもらいかつ迷惑をかけつつ
「それでもうまくできないことのある自分」
に対する情けなさとか憤りとか悔しさとか

でもそれでもなんとかしたいとか

本当にうまくいくのだろうかという不安とか

私は本当に精一杯やってきているだろうかとかいう不安とか

自分がまだ演奏的に未熟であることの心配とか

人生で一度、ホルンの一番をどうしても吹きたい曲を
こんな素敵な参加者の皆さん方と演奏できるんだという喜びとか

あとは直前に練習して、本番して終っちゃうのか・・・という寂しさとか

とかとかとかとか・・・



・・・・・・・


・・・
よくわからないけど何か伝えたくて
でもどうやってそれをコトバにしたらいいかわからない
しかもコトバにはしたくないような気もして
伝えるべき手段がわからない。

そんなもどかしさからの涙だったのかもしれません。



いろいろ考えたけれど
やっぱり自分でもよくわからない、というのが正直なところです

お見苦しいところをお見せして申し訳ないという気もしますが
私という人間をさらけ出すことはできた気がするので
まあ、こんな人なんだなと何かしら伝われば幸いに思います。

4月12日(日)

2009年04月13日 03時37分16秒 | 日々
ええと今日は練習2日目。

昨日も忙しいのに一緒に来てくれた
なんともかわいい大好きなKちゃんと今日も一緒に車でGO!
そしてスペシャルゲストもお迎えに行き
「A型男性2名&B型女性2名」で練習場へ向かう。

B型の人だけでオーケストラ作ったらどうなるやろか?
→自由人ばかりだから
 きっと指揮者が一番、しかもとんでもなく苦労するけど
 指揮者もB型なわけだし(前提)意外とうまくいったりして。
 うーんアンサンブルは苦手かも
 音楽業界には結構B型の人多そうだから人集めはまあわりとしやすいかもね。

A型の人だけでオーケストラ作ったらどうなるかね?
→なんだかんだ言って全員が苦労するんじゃ?
 でもA型は日本人で一番多いからきっと集めやすいよ。

AB型の人とO型の人は割合的に少ないだろうから
AB&O型オケになるのかな?
全国規模で人集めせんと。


みたいな話をしてました。
ああ、ハイわたくし自由人B型です。
今のオケの発起人ではありますが
さすがにB型オケの発起人は務まらないのではないかと



あっという間に会場着。

着いてしばらくまったり。

そしてしなければならなかったコピーをする。
結構枚数があり
そして会場のコピー機が1枚20円したので
案外な出費。
でも疲れてるしあのコンビに行って、コピーして
ダッシュで戻ってくるよりいいさ。
(私のお金で支払ったから・決して団のお金の無駄遣いではないです)

そして間をおかずして
私の連絡不行き届きのせいで
とあるおばちゃん(メンバーではないですくれぐれも)に
嫌味攻撃を受ける。
確かに悪いのは私。

・・・でもさあ、
こちらのミスなのでお金は払いますって言ってるんだしさあ
やっぱり人間っていろいろ事情があってさあ
精一杯頑張っても足りない時もあるじゃないですか~
と思いつつ平謝り

ちょっとエネルギーを奪われた感満点だったけど
慌てて戻って
午前中の管分奏の段取りをして開始。

管分奏、スペシャルゲストの方にご指導いただいたのですが
いやーとても楽しかったし、何よりいろいろためになりました。

四分音符一つ と思うか
16分音符4つ分 と思うか
それだけであんなに音に違いがでるなんて。
すごく納得。

あっという間の1時間でした。

んでお昼休み。
このころからちょっと疲れが出始めたのか
ぼーっとします。ちょっと元気出ない?

ということで栄養ドリンクとコンビニパスタに野菜ジュースで
ミルクティーも飲んでさあがんばろう!


午後の練習開始。
最初は通しでした。
ああ、私テンポ早いのだめだなあーーー
でもこの曲楽しいなーーー
ああ下の音域まですんなり出せるようになりたいなあーーー

・・通し終了。


その後4→1→3→2楽章の順にかえしての練習だったのですが
私なぜか2楽章始まった直後くらいに涙が出始めました。
でもなんで泣いてるのか自分でもよくわかりません。
なんで泣いてるのかわからないのになぜか涙は止まりません。
涙を拭いては吹き、拭いては吹き。
ちっくしょー泣くのカッコ悪い絶対泣きたくない
と思っているのになかなかとまりません。

でも練習後みなさんにいろいろお知らせするときは
絶対笑顔で、泣いてたなんてばれないまま終わってやるさ
と意気込んでなんとか涙止めに成功。


この日の練習は管楽器が先に終わったので
外のロビーでまず管楽器の皆さんにお知らせを伝えます。
途中まではわりと隠せてたんだけど
途中から急に

あとぉ亜へとぁぃjr・・・涙があふれてしまいました。
ああ、もう。私ったら。

よし、弦楽器の方にお知らせするときはちゃんとするぞ
と思っていたのに
より早く泣きだしより多く泣いてしまいました