えー、前回に引き続き、時系列で信長の人生を追う話ではなく、
「信長は、なぜ、平氏を名乗ったか?・・・それは、信長が平清盛を尊敬していたから!」
という話をひき続いて探っていきたいと思います。
さて、じゃあ、信長は、平氏を名乗ったのは、清盛を尊敬していたからとして、
じゃあ、そこにどういう意味があったのか?という話になります。
さて、この信長論考を最初から見てもらっている方には、わかると思うんですが、
信長の正義というのは、
「天下布武」
の印判に現されているわけです。
これー、よく指摘漏れがあるんですが、
この意味は、
「天下を、血ではなく、武で平らげる」
ということなんですね。
この、
「血ではなく」
というところが、最も大事なんですよ。
信長は、この時代、今の橋下徹市長と同じ気持ち、いや、それ以上に、時の政府に、怒りを抱いていたことは、言うまでもありません。
「日本をこんなに滅茶苦茶にしやがって、室町幕府なんざ、使えねえ。俺が、新しい統治機構を作り、前進する政治を行うんだ!」
もう、まるで、今の大阪維新の会や、橋下徹市長と同じ言い分です。
歴史は繰り返すんですねー。
ま、今は平和ですから、いいですけど、信長の時代は、戦乱で、むちゃくちゃでしたから、
だから、信長が立ち上がった、というわけです。
室町幕府は、足利将軍という血筋を頂点にして、その血筋によって、日本を統治してきた機構です。
ですが、その統治機構は、もう、使えないことが、信長にはわかってしまった。
「血を中心にした日本の統治機構は、もうダメだ。俺の心の師、まむしの道三がそれを改革したというに、その息子が旧勢力にそそのかされて、昔に戻すとは・・・」
「俺は、道三の敵を討ち、日本を、血ではなく、武によって、統治するのだ!」
まあ、信長が当時、こういうことを考えていたのは、だだわかりじゃないですか?
だから、彼の正義は、
「血ではなく、武による、天下統一!」
これ、だったんですねー。
では、その信長が、平清盛のあり方に感動し、平氏を名乗ったというのは、どういう意味でしょう。
単に血筋を誇示したのではない、ということは、わかりますね。
彼は、
「今後、清盛的あり方を目指す!貿易によって、力を付けていき、その力を元に、日本に君臨するのだ!血筋などもはや、関係ないのだ!」
と、メッセージを出したに過ぎないんですよ。
実際、清盛は、血筋、というより、その富や財力、兵力によって、力を養成していったわけでしょ?
「いや、清盛は、白河院の種だったから、あれだけ、早い出世をしたんだ!」
そういう指摘をするひともいるでしょう。
でも、僕は、それは、よくある、適当な説明付けだと思っているんです。
例えば八百比丘尼伝説、というのが、あります。
何百年も年をとらない色白の美しい女性が存在する・・・それが八百比丘尼だ。そして、その原因は、彼女が、人魚の肉を食べたから・・・。
八百比丘尼化の理由は、リアル・ニュータイプ理論でも説明していますが、色白で、美しいからこそ、多くの人間に視線を貰い、
「いい気持ちのエネルギー」をたくさん、体内に蓄積するから、ストップエイジングが起こっているに過ぎません。
だから、
「その原因は、人魚の肉を食べたから・・・」
という点は、まったくの嘘であり、誰かが適当にでっちあげた内容に過ぎないんです。
例えば、他にも、有名処では、織田信長を評する話で、
「鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス」
という有名な句がありますが、これも、誰かが適当にでっちあげた内容に過ぎません。
なぜなら、織田信長を少しでも知っている人間なら、彼が超合理的な人間であり、
幾多の合戦で彼が異常なまでの勝率を上げている原因が、
「勝つ環境が整うまで、合戦はしないから。つまり信長の特徴は、勝つ環境が整うまで待てるところにある」
ということを知っているからです。
おおかた、長島一向一揆に対する、根切りという門徒虐殺命令や、石山本願寺の撤退後に、佐久間信盛父子に対して、高野山追放にした事件が、
ごっちゃになっていると考えられます。だいたい、佐久間信盛父子に対してだって、石山本願寺が落ちるまで、待った結果、
「こいつ、5年間もなーんも戦果をあげなかったじゃん!」
と、怒りを持ち続けたことが、石山本願寺が撤退した後、信長が極端な行動に出たと見るべきであって、
待ち続けたからこその怒りの行動なんですよ。
あるいは、激怒して、比叡山延暦寺を焼き討ちした事件を指しているのでしょう。
でも、あれも、比叡山延暦寺には、長い間煮え湯を飲まされたあげくに、宗教施設は中立でなければならないとした信長の正義にさらに反したから、
用意周到に準備し、焼き討ちを行ったわけで、怒りにまかせての行動というより、理性的に準備されたモノです。
だから、怒りにまかせて・・・というのは、信長には、あり得ないんです。
ま、竹生島に遊びに行っちゃった女子共を成敗した話は、あるけれど、あれは、自分の役目を勝手におろそかにして、遊びに行った女子達が悪いしね。
それに、規律上断罪すべき話でしょう。あの時代であれば。
ま、だから、信長の性質を表すのであれば、本来なら、
「鳴かぬなら、待っちゃうもんね、ホトトギス」
「鳴かぬなら、鳴かせる人間を見つけてこよう、ホトトギス」
「鳴かぬなら、手を打ち続けよう、ホトトギス」
と評されるのが、信長なんです。
みーんな、モノのわからない人間達が作り上げた、くだらないデッチ上げなんですよ。
だから、清盛の伝説も同じなんです。
つまり、清盛が、異例の出世をしたことに、その理由をわからない民衆が、
「あれは、白河院の子だから、あんな異例の出世をしたのだ」
という風に噂を立てたに過ぎないんです。
だって、あれほど、白河院嫌いの鳥羽上皇が彼を重用しているじゃないですか。
崇徳天皇をあれほど忌避し、会いもしなかった鳥羽上皇が、清盛を重用していることに、答えがあるわけです。
彼は、白河院の種などではなかった。むしろ、背景にある莫大な財産や兵力が、天皇及び公家側から、歓迎されたと見るべきです。
そして、その莫大な財産は、日宋貿易から、生み出された。
そのあり方に、羨望の眼差しを向けたのが、信長だと、すぐわかるじゃないですか。
貿易の財力を使って、勢力を伸ばした信長を見れば、すぐわかるじゃないですか。
僕は最初、信長を見ていて、
「なぜ、信長は、平家や藤原家を名乗るのに、源氏だけは名乗らないのだ?征夷大将軍になり、幕府を開くことは、考えなかったのだろうか?」
という思いを持ちました。
でも、こうやって見てくれば、すぐわかりますよね!
なにしろ、彼が生きている時代は、足利将軍、つまり、源氏の血をベースにした統治機構で、それがほとんど、機能していなかった時代なんですよ。
つまり、源氏の血による、統治機構は、
「これは、駄目だ!」
と、信長にレッテルを貼られていたんです。
橋下徹市長が、現行の政治に、
「ダメだ、こりゃ」
とレッテルを貼っているように。
尖閣諸島のオーナーが、現行の日本政府に、
「ダメだ、こりゃ」
とレッテルを貼っているように。
だから、信長は、征夷大将軍になって、幕府を開くなんて馬鹿げたことは、発想しなかったんです。
だって、橋下徹市長が、大阪維新の会で天下をとった時に、霞が関を抱き込んで、現行の統治機構のまま、政治をするはずが、ないでしょ?
それと同じことなんです。
だから、信長は、清盛のあり方を尊敬したんです。
彼は、貿易の黒字によって、政治を動かした。
血なんて特に関係なく、莫大な財力をもっていたからこそ、多くの武士を擁し、中央の政治を動かし、ついには、太政大臣に上り詰め、
日本の政治のトップに立つことができた。
「血ではなく、武による、天下統一」
信長の思考する正義、そのものを、清盛は、自分なりの方法で、実現していたんです。
だから、信長は、征夷大将軍なんて見向きもしなかったんです。
こういう結論が出てくれば、既存の信長本のレベルの低さがわかりませんか?
「この世を統治する方法は、近代以前では、幕府を開くしかなかった。だから、信長は、織田幕府を絶対に作ったはずだ」
こういう思い込みで書いてある本ばかりだ。
まず、その時点で、終わってますね。既存の信長本は。
信長の中心にある、正義は、一貫して、
「血ではなく、武による、天下統一」
です。
それを出発点にして、考えていかなければ、いけないことが、だだわかりになりましたね。
だから、彼は、絶対に、織田幕府など、作らなかったんです。
となれば、三職推任の話も答えがわかりますよね。
少なくとも、征夷大将軍になどは、なりはしなかった。
そして、彼の安土城の真下に、京の大極殿とまったく同じコピーの建物があったことを思えば、
信長は、ここに誠仁親王か、その第五王子であり、信長の猶子となった興意親王を入れ、現実的に、そこを日本中心の政庁としようと考えていたことが、わかります。
となれば、信長は、天皇を権威の中心とし、清盛がなった太政大臣か、関白の職に就き、権力を振るっただろうと推測できますね。
「血ではなく、武による天下統一」
という信長の正義が確立された瞬間に、征夷大将軍になる、という選択肢は、なくなったのです。
足利義昭の暗愚さを、間近で見たら、幕府というモノ自体の統治機構としてのダメさ加減も、わかるというもの・・・。
信長は、知恵者であり、大学教授みたいな、知識者レベルでは、ありませんから、知識をパズルのようにしか使えない、知識者レベルでは、計り知れない存在です。
人間の心の中心には、正義があり、その正義から、モノを見なければいけないんです。
信長は、そういう日本の知恵者の中でも、最も合理的な知恵者だったから、その正義を知り、合理的に考えていけば、最もわかりやすい人間なんですねー。
おわかり、頂けたでしょうか?
以上
「信長は、なぜ、平氏を名乗ったか?・・・それは、信長が平清盛を尊敬していたから!」
という話をひき続いて探っていきたいと思います。
さて、じゃあ、信長は、平氏を名乗ったのは、清盛を尊敬していたからとして、
じゃあ、そこにどういう意味があったのか?という話になります。
さて、この信長論考を最初から見てもらっている方には、わかると思うんですが、
信長の正義というのは、
「天下布武」
の印判に現されているわけです。
これー、よく指摘漏れがあるんですが、
この意味は、
「天下を、血ではなく、武で平らげる」
ということなんですね。
この、
「血ではなく」
というところが、最も大事なんですよ。
信長は、この時代、今の橋下徹市長と同じ気持ち、いや、それ以上に、時の政府に、怒りを抱いていたことは、言うまでもありません。
「日本をこんなに滅茶苦茶にしやがって、室町幕府なんざ、使えねえ。俺が、新しい統治機構を作り、前進する政治を行うんだ!」
もう、まるで、今の大阪維新の会や、橋下徹市長と同じ言い分です。
歴史は繰り返すんですねー。
ま、今は平和ですから、いいですけど、信長の時代は、戦乱で、むちゃくちゃでしたから、
だから、信長が立ち上がった、というわけです。
室町幕府は、足利将軍という血筋を頂点にして、その血筋によって、日本を統治してきた機構です。
ですが、その統治機構は、もう、使えないことが、信長にはわかってしまった。
「血を中心にした日本の統治機構は、もうダメだ。俺の心の師、まむしの道三がそれを改革したというに、その息子が旧勢力にそそのかされて、昔に戻すとは・・・」
「俺は、道三の敵を討ち、日本を、血ではなく、武によって、統治するのだ!」
まあ、信長が当時、こういうことを考えていたのは、だだわかりじゃないですか?
だから、彼の正義は、
「血ではなく、武による、天下統一!」
これ、だったんですねー。
では、その信長が、平清盛のあり方に感動し、平氏を名乗ったというのは、どういう意味でしょう。
単に血筋を誇示したのではない、ということは、わかりますね。
彼は、
「今後、清盛的あり方を目指す!貿易によって、力を付けていき、その力を元に、日本に君臨するのだ!血筋などもはや、関係ないのだ!」
と、メッセージを出したに過ぎないんですよ。
実際、清盛は、血筋、というより、その富や財力、兵力によって、力を養成していったわけでしょ?
「いや、清盛は、白河院の種だったから、あれだけ、早い出世をしたんだ!」
そういう指摘をするひともいるでしょう。
でも、僕は、それは、よくある、適当な説明付けだと思っているんです。
例えば八百比丘尼伝説、というのが、あります。
何百年も年をとらない色白の美しい女性が存在する・・・それが八百比丘尼だ。そして、その原因は、彼女が、人魚の肉を食べたから・・・。
八百比丘尼化の理由は、リアル・ニュータイプ理論でも説明していますが、色白で、美しいからこそ、多くの人間に視線を貰い、
「いい気持ちのエネルギー」をたくさん、体内に蓄積するから、ストップエイジングが起こっているに過ぎません。
だから、
「その原因は、人魚の肉を食べたから・・・」
という点は、まったくの嘘であり、誰かが適当にでっちあげた内容に過ぎないんです。
例えば、他にも、有名処では、織田信長を評する話で、
「鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス」
という有名な句がありますが、これも、誰かが適当にでっちあげた内容に過ぎません。
なぜなら、織田信長を少しでも知っている人間なら、彼が超合理的な人間であり、
幾多の合戦で彼が異常なまでの勝率を上げている原因が、
「勝つ環境が整うまで、合戦はしないから。つまり信長の特徴は、勝つ環境が整うまで待てるところにある」
ということを知っているからです。
おおかた、長島一向一揆に対する、根切りという門徒虐殺命令や、石山本願寺の撤退後に、佐久間信盛父子に対して、高野山追放にした事件が、
ごっちゃになっていると考えられます。だいたい、佐久間信盛父子に対してだって、石山本願寺が落ちるまで、待った結果、
「こいつ、5年間もなーんも戦果をあげなかったじゃん!」
と、怒りを持ち続けたことが、石山本願寺が撤退した後、信長が極端な行動に出たと見るべきであって、
待ち続けたからこその怒りの行動なんですよ。
あるいは、激怒して、比叡山延暦寺を焼き討ちした事件を指しているのでしょう。
でも、あれも、比叡山延暦寺には、長い間煮え湯を飲まされたあげくに、宗教施設は中立でなければならないとした信長の正義にさらに反したから、
用意周到に準備し、焼き討ちを行ったわけで、怒りにまかせての行動というより、理性的に準備されたモノです。
だから、怒りにまかせて・・・というのは、信長には、あり得ないんです。
ま、竹生島に遊びに行っちゃった女子共を成敗した話は、あるけれど、あれは、自分の役目を勝手におろそかにして、遊びに行った女子達が悪いしね。
それに、規律上断罪すべき話でしょう。あの時代であれば。
ま、だから、信長の性質を表すのであれば、本来なら、
「鳴かぬなら、待っちゃうもんね、ホトトギス」
「鳴かぬなら、鳴かせる人間を見つけてこよう、ホトトギス」
「鳴かぬなら、手を打ち続けよう、ホトトギス」
と評されるのが、信長なんです。
みーんな、モノのわからない人間達が作り上げた、くだらないデッチ上げなんですよ。
だから、清盛の伝説も同じなんです。
つまり、清盛が、異例の出世をしたことに、その理由をわからない民衆が、
「あれは、白河院の子だから、あんな異例の出世をしたのだ」
という風に噂を立てたに過ぎないんです。
だって、あれほど、白河院嫌いの鳥羽上皇が彼を重用しているじゃないですか。
崇徳天皇をあれほど忌避し、会いもしなかった鳥羽上皇が、清盛を重用していることに、答えがあるわけです。
彼は、白河院の種などではなかった。むしろ、背景にある莫大な財産や兵力が、天皇及び公家側から、歓迎されたと見るべきです。
そして、その莫大な財産は、日宋貿易から、生み出された。
そのあり方に、羨望の眼差しを向けたのが、信長だと、すぐわかるじゃないですか。
貿易の財力を使って、勢力を伸ばした信長を見れば、すぐわかるじゃないですか。
僕は最初、信長を見ていて、
「なぜ、信長は、平家や藤原家を名乗るのに、源氏だけは名乗らないのだ?征夷大将軍になり、幕府を開くことは、考えなかったのだろうか?」
という思いを持ちました。
でも、こうやって見てくれば、すぐわかりますよね!
なにしろ、彼が生きている時代は、足利将軍、つまり、源氏の血をベースにした統治機構で、それがほとんど、機能していなかった時代なんですよ。
つまり、源氏の血による、統治機構は、
「これは、駄目だ!」
と、信長にレッテルを貼られていたんです。
橋下徹市長が、現行の政治に、
「ダメだ、こりゃ」
とレッテルを貼っているように。
尖閣諸島のオーナーが、現行の日本政府に、
「ダメだ、こりゃ」
とレッテルを貼っているように。
だから、信長は、征夷大将軍になって、幕府を開くなんて馬鹿げたことは、発想しなかったんです。
だって、橋下徹市長が、大阪維新の会で天下をとった時に、霞が関を抱き込んで、現行の統治機構のまま、政治をするはずが、ないでしょ?
それと同じことなんです。
だから、信長は、清盛のあり方を尊敬したんです。
彼は、貿易の黒字によって、政治を動かした。
血なんて特に関係なく、莫大な財力をもっていたからこそ、多くの武士を擁し、中央の政治を動かし、ついには、太政大臣に上り詰め、
日本の政治のトップに立つことができた。
「血ではなく、武による、天下統一」
信長の思考する正義、そのものを、清盛は、自分なりの方法で、実現していたんです。
だから、信長は、征夷大将軍なんて見向きもしなかったんです。
こういう結論が出てくれば、既存の信長本のレベルの低さがわかりませんか?
「この世を統治する方法は、近代以前では、幕府を開くしかなかった。だから、信長は、織田幕府を絶対に作ったはずだ」
こういう思い込みで書いてある本ばかりだ。
まず、その時点で、終わってますね。既存の信長本は。
信長の中心にある、正義は、一貫して、
「血ではなく、武による、天下統一」
です。
それを出発点にして、考えていかなければ、いけないことが、だだわかりになりましたね。
だから、彼は、絶対に、織田幕府など、作らなかったんです。
となれば、三職推任の話も答えがわかりますよね。
少なくとも、征夷大将軍になどは、なりはしなかった。
そして、彼の安土城の真下に、京の大極殿とまったく同じコピーの建物があったことを思えば、
信長は、ここに誠仁親王か、その第五王子であり、信長の猶子となった興意親王を入れ、現実的に、そこを日本中心の政庁としようと考えていたことが、わかります。
となれば、信長は、天皇を権威の中心とし、清盛がなった太政大臣か、関白の職に就き、権力を振るっただろうと推測できますね。
「血ではなく、武による天下統一」
という信長の正義が確立された瞬間に、征夷大将軍になる、という選択肢は、なくなったのです。
足利義昭の暗愚さを、間近で見たら、幕府というモノ自体の統治機構としてのダメさ加減も、わかるというもの・・・。
信長は、知恵者であり、大学教授みたいな、知識者レベルでは、ありませんから、知識をパズルのようにしか使えない、知識者レベルでは、計り知れない存在です。
人間の心の中心には、正義があり、その正義から、モノを見なければいけないんです。
信長は、そういう日本の知恵者の中でも、最も合理的な知恵者だったから、その正義を知り、合理的に考えていけば、最もわかりやすい人間なんですねー。
おわかり、頂けたでしょうか?
以上
信長論考記事のアップ、ありがとうございます!!!
ゆるちょさんと同じく、私もあのホトトギスのたとえ、前からすごく違和感感じていていました。信長は忍耐の人ですよね。それに、彼は理論をちゃんと持っていて、その行動にはすべて正当な根拠がありますよね。モノが分かっていない人に信長の本は書いてほしくないなあと思います。
ところで先日の記事も楽しく読ませて頂きました!
厳島神社や安土城のライトアップ、さぞかし美しかったでしょうね。人心掌握のためとは言えども、そういうことを思いつく清盛も信長もとても粋でロマンティックですね。そういうリーダーが日本にもいたのですね。
清盛や信長のようなスーパー革命児が何人も現れるということが日本人の精神性の高さを象徴してると思いますね。
残念ながら今は。。。ですが。その中でも私も石原都知事や橋本さんは正義感を持って戦ってるなと思います。東京都が尖閣を購入するのに税金を上げるのであれば喜んで払うと思います。そしてとにかく民主党の方々は日本からさっさと消えてほしいですね。
今日もホットなレクチャーをありがとうございました!!!
藤原摂関家の末裔である「五摂家」の現当主は、大河・平清盛を相当不快に感じていると思います。
でも「征夷大将軍」ってそんなにちっぽけな役職でしょうか?1867年に廃止されるまで武士の最高位、言うなれば大相撲で言う横綱として役職として長年君臨しておりました。
この頃よく考えますが、征夷大将軍が不祥事を起こした場合に、処罰を与える人は誰でしょうか?
天皇でしょうか?関白でしょうか?切腹処分を受けた将軍はいませんが。
平清盛より後、織田信長より前の時代の足利義満の様に、太政大臣と征夷大将軍の2つを務めた人がいますが。
万能将軍である足利義満の例を見ると、「源氏は政治に無能だからダメ」とは限らないですよ。
ちなみに「天下布武」の意味については、昨年の大河ドラマでも豊川さんが説明しています。覚えてます?
もしも、天皇を超越する権勢を持つとしたら織田信長は「天帝」とでも名乗ったのでしょうか?
話変わって現代。仮に「首長クーデター」が実現して行政機構再編が実現したら、内閣総理大臣に代わる行政最高権力者の名称はなんでしょうか?関白復活?大統領制導入?
橋下氏は「西維大将軍」ですね。
かなり長くなりました。久しぶりの投稿でこの頃思う事をいくつか書きました。
4月22日の記事にて、コメント返しをしております。
>清盛も信長もとても粋でロマンティックですね。
僕も、そう思います。
民衆への効果も思いながら、でも、やっぱり、粋でロマンティックですよねー。
カッチョイーなーと思いますね。
>清盛や信長のようなスーパー革命児が何人も現れるということが日本人の精神性の高さを象徴してると思いますね。
そうですよねー。なにより、合理性だと思いますね。神仏を恐れない合理性が素晴らしいなと思ったりするわけです。はい。
>とにかく民主党の方々は日本からさっさと消えてほしいですね。
同感ですねー。ほんと、そう思います!
コメントありがとうございました。