おはようございます!
いやあ、いい朝です。
なんとなく、気持ちのいい、空気感が、漂っていますね。
静かな朝、ということで、実家の自分の部屋で、早朝から、パタパタとキーボードを叩いているわけですが、
ぐっすり寝たあとの、気持ちのよさで、なんとなく全身に陶酔感がありますね。
さて、ステレオに、
「小野リサさんの、「ムーンライトセレナーデ」」
をセットして、それを聞きながら、書きましょうかね。
まだ、ちょっとだけ、暗くて、白い月が、見えるんでね(笑)。
さて、昨日は、お盆最後の大宴会ということで、まあ、親戚もたくさんきて、楽しく酔いましたね。
まあ、僕は基本、普段から気安い人間ですし、普通に、物怖じせず、誰とでも話せる人間なんですけど、
もう、酒が入ったらさらにパワーアップですからね。
楽しく、みんなと、ガンガン、おしゃべりして、楽しみました。
もうね、小学生の男女から、80近くのおじいちゃん、おばあちゃんまで、いろいろなおしゃべりが生まれて、
楽しかったですねー。まあ、人生で一番楽しいのは、そうやって、おしゃべりしている時間じゃないかなあ、
と僕は思っているので、そういう意味では、年に一度の、しあわせな時間だった、ということでしょうね。
なんだか、今回は、特に、親戚のガキ供と、かなーり、仲良くなった時間になりましたね(笑)。
まあ、お互い裸になって、一緒にお風呂に入った仲ですからね。
なんか、こう、わかるんでしょうね。
「あ、このひと、なんだか、おもしろそう!」
っていう感じがね(笑)。
それで、昨日の飲みの早い時間は、こういうガキ共と、まあ、小学生が中心でしたかね、
そんな奴らと、話して楽しみましたね。
まあ、僕だけお酒を、飲んでいるわけですけどね(笑)。
こう小学生男子の今の一番の興味とは、もう、これはね、第二次成長!という奴ですよ!(笑)。
というか、秋にみんな修学旅行を控えているわけですけど、そこで、問題は、
「皆と一緒に風呂に入る!」
という奴なんですね。
で、お察しの通り、まあ、小学生男子は、他人と異なることに、非常に警戒するわけです。
仲間はずれとか、いじめ、というより、まあ、何か言われるのが、いや、ということらしくてね(笑)。
まあ、ありていに、言えば、
「ちんちんに、毛が生えているか、いないか」
が、今、大問題!なわけですよ。
クラスの皆が、生えていれば、自分も生えていたい。逆に、クラスの皆が、生えていなければ、
自分だけ生えていたら、はずかしい。
いやあ、微妙な、小学生男子ごころですねー(笑)。
で、しきりに聞くわけです。
「ねえ、○○さん。○○さんは、ちんぽの毛は、いつごろ生え始めたの?」
というわけで、自分と同じかどうか、確認したいわけですよ。
「んあ?小学五年生だったかな?確か。でも、その時まわりは、ボーボーに、生えている奴もいたし、全然なやつも、いたし、いろいろだったぜ!」
と、言ってやると、みんな、ちょっと微妙な顔をするわけですよ。
生えているなら、全員生えている、生えていないなら、全員生えていない、という状況が好ましいわけですよ(笑)。
「んなん、ありえんだろ!」
と、言ったら、まあ、なんとなく、ホッとしてましたけどね。
まあ、とにかく、小学生の興味は、ちんちん、一点につきましたね(笑)。
まあ、大人の男のアドバイザーなんて、いないらしくて、もう、そういう質問をバンバンしてくる、という状態で、まあ、楽しかったですけどね。
風呂入っている時には、もう、好奇心一杯の目で、こう、見られましたからね。
まあ、苦笑しましたけど、おとっちゃんが亡くなっている人間も、いるんでね、まあ、やりたいように、やらせておきましたけど、
まあ、いずれにしろ、小学生って、かわいいですね。もう、好奇心一杯で、いろいろなモノを見ている。
もちろん、女の子にも、興味があるわけですよ。でも、まだ、
「ふん、女子と一緒に遊ぶなんて、はずかしい!」
という気持ちが強いわけですよ。だから、なんとなく男同士で、群れるわけですよ。でも、好奇心は、ある、みたいなね。
だから、僕に聞きたがるわけですよ。まあ、いろいろと。
「女の子も、さー。もう、毛が生えているのかなあ?」
とか、こう、顔を真っ赤にして聞いてきたりね。いやあ、もう、そういう話が、聞けないんでしょうね、普段(笑)。
「うん。女性の方が第二次成長は、早いからね。それに女性は子供を生むために、いろいろ体を作り替えなきゃいけないから、男より、早くいろいろ始まるんだよ」
と、まともに、話したら、納得したような、そうでもないような、「?????」っていう顔をしてましたけどね。
最近は、兄弟がいない、一人っ子が多いので、こう、お姉ちゃんとか妹とかを見て、異性というものを、なんとなく知る機会が激減しているみたいですね。
だから、こう、頭の中で、考えるだけだから、こう、変な妄想になっちゃったりして、大人は、そういうのを解きほぐしてやる、義務もあるんじゃないかなあ、
と、素直に、思いましたね。まあ、性差というのは、歴然として、あるものだし、小学生くらいの子が、興味をもつのは、当たり前ですよね。
だから、当たり前のできごとを自然に教えておく、というのは、必要なんじゃないかなあと思いましたね。
まあ、小学校でどんな教育が、されているのか、知らないですけど、こういう親戚同士の語らいの場でね、そういうのを、知る機会にでも、なればなあ、
なんて、感慨もありましたねー。いやあ、そういう話、家庭でするのは、恥ずかしいんだろうけどさ。
ま、僕は、そういうことが、恥ずかしくもなんともない、といういことで、彼らには、絶好の、機会だったかもしれませんね。
まあ、僕なんかは、ひとりっこですけど、小学生の低学年くらいまでは、いとこの女の子なんかと、一緒にお風呂に入らせられたりして、
なんとなく、自然に、
「女性って、こうなっているんだ」
と、知っていましたね。あれ、要は、大人たちが、自然にそういう教育をしてくれていたんですね。だから、こう、変な妄想になったりしなかったですね。
それに、女の子の方も、僕のはだかを見ているわけだから、お互い、ということなんですよね。
そういうあたり、昨日のおじさんの言っていた、
「小さい頃から、異性のはだかを知っておくことは、いいことだ」
という言葉にも、つながってくるんですよね。考えてみたら。
まあ、精神的なガス抜きにもなっているし、こういうあたり、日本社会のいいところなんじゃないかなーって思いましたね。
つまり、体験的に、こうやることが、いい!というのを、うまく採用している。
子供の頃から、異性といろいろな形で、自然に触れ合うことで、変な期待や、妄想などが生まれないようにしている。
女性と男性の違いを、まず、体の構造から、教えて、自然に、
「女性は、弱いところがあるんだから、男性は、雄々しく強くなって、守ってやらなければ、いけないんだよ」
ということを教えているんですね。
日本人は、スケベだ!という外国人がいます。
二律背反の宗教では、まあ、エッチしちゃいけない戒律を守るというのが、ひとつの義務になっています。
でも、これは、目的として、自分を失ってはいけない、ということを、実現するための、方法論ですよね。
お酒を飲んではいけない、などと同じく、自己の欲求を完全にコントロールできること、
その最高な形として、
「お酒を飲まない、エッチはしない」
という戒律になったわけです。
でもね、これ、要は、神が人間を信じていない、ということになるわけです。
つまり、為政者としては、街の風紀が乱れては困るから、こういう戒律を作ったわけでしょ。
まあ、一歩譲って、これを神が制定したとしましょう。
例えば、
「お酒は飲んでも、ちゃんとコントロールできる。エッチはするけど、風紀は乱さない」
であれば、いいわけでしょ?本来の目的からすると。
だけど、それを一様に取り上げる、ということは、
「人間とは、お酒を飲むと、結局は、コントロールできなくなる存在なのだ。エッチをすると、風紀を乱すものだ」
と、神が思っている、ということなるんですよ。
つまり、神は、
「人間を全く信じていない」
ということになるわけです。
そして、
「僕は、自分を信じてくれない存在を、信じることは、ない!」
ということになるわけです。
それで、外国人の多くは、この二律背反のストーリーを、疑問もなく、信じているから、
そういう経験から、来る、ガス抜き、というものを、
「エッチに関するものは、とにかく、だめ!という戒律を守っていない」
という意識で、見るわけです。
ほんと、バカでしょ?
「神なんていう人間の作り出した世迷い事などに、依存するなぞ、自分が弱い存在であるという証左だ!」
「頼れる者は、自分のみ、そのつもりで、自分を鍛錬せよ!」
これが、武士道であり、日本人の意識下にある、神についての考え方ですよ。
もちろん、神は敬うべき存在だし、いろいろな形で、人々は利用してきました。
しかし、自分を律するのは、自分自身であり、社会的経験からくる戒めで、自分たちを戒めてきた、律してきた
強くて合理的な人間こそが、日本人なんです。
過去の為政者が、つくりあげ、
「これは、神が下された!」
などと、嘘をついて押し付けている、二律背反ストーリーの戒律なぞ、
しかも、人間を信用していない態度の、戒律なぞ、
どこに、意味がありますか?
僕は、合理的に、物事を考える、日本のやり方のほうが、合理的だし正しいと、思います。
そして、二律背反ストーリーなぞ、信じている人間の言うことは、明らかにレベルが低い!と、素直に、思いますね。
他人から押し付けられたモノを、何も考えずに、信じることは、バカのやることです。
社会的経験から生まれた、いろいろないいやり方を、自分なりに検討して、それを理解して、自分の人生にとりいれることこそ、
人間として、正しいやり方だと、僕は、思いますね。
日本と、日本以外の国との違いは、まさに、ここにあります。
「二律背反ストーリー」を盲信するバカと、社会的経験を重視し、いろいろ検討して、自分なりの方法を見つける人間と、
あなたは、どちらを、選びますか?
うーむ、いつの間にか、論考になっちゃった(笑)。
日本と日本以外の国との差が、歴然とわかっちゃいましたね。
だから、日本は、素晴らしいの。そして、他は、バカなの!
明らかでしょ!
うーん、やわらかいネタで、さらっと終わらそうと思ったんだけど、いつの間にか、論考してしまいました。
ま、結論も出たようですので、これくらいにしましょうかね!
朝は、気持ちいいです。
散歩でも、行ってくるかな。
ではでは。
いやあ、いい朝です。
なんとなく、気持ちのいい、空気感が、漂っていますね。
静かな朝、ということで、実家の自分の部屋で、早朝から、パタパタとキーボードを叩いているわけですが、
ぐっすり寝たあとの、気持ちのよさで、なんとなく全身に陶酔感がありますね。
さて、ステレオに、
「小野リサさんの、「ムーンライトセレナーデ」」
をセットして、それを聞きながら、書きましょうかね。
まだ、ちょっとだけ、暗くて、白い月が、見えるんでね(笑)。
さて、昨日は、お盆最後の大宴会ということで、まあ、親戚もたくさんきて、楽しく酔いましたね。
まあ、僕は基本、普段から気安い人間ですし、普通に、物怖じせず、誰とでも話せる人間なんですけど、
もう、酒が入ったらさらにパワーアップですからね。
楽しく、みんなと、ガンガン、おしゃべりして、楽しみました。
もうね、小学生の男女から、80近くのおじいちゃん、おばあちゃんまで、いろいろなおしゃべりが生まれて、
楽しかったですねー。まあ、人生で一番楽しいのは、そうやって、おしゃべりしている時間じゃないかなあ、
と僕は思っているので、そういう意味では、年に一度の、しあわせな時間だった、ということでしょうね。
なんだか、今回は、特に、親戚のガキ供と、かなーり、仲良くなった時間になりましたね(笑)。
まあ、お互い裸になって、一緒にお風呂に入った仲ですからね。
なんか、こう、わかるんでしょうね。
「あ、このひと、なんだか、おもしろそう!」
っていう感じがね(笑)。
それで、昨日の飲みの早い時間は、こういうガキ共と、まあ、小学生が中心でしたかね、
そんな奴らと、話して楽しみましたね。
まあ、僕だけお酒を、飲んでいるわけですけどね(笑)。
こう小学生男子の今の一番の興味とは、もう、これはね、第二次成長!という奴ですよ!(笑)。
というか、秋にみんな修学旅行を控えているわけですけど、そこで、問題は、
「皆と一緒に風呂に入る!」
という奴なんですね。
で、お察しの通り、まあ、小学生男子は、他人と異なることに、非常に警戒するわけです。
仲間はずれとか、いじめ、というより、まあ、何か言われるのが、いや、ということらしくてね(笑)。
まあ、ありていに、言えば、
「ちんちんに、毛が生えているか、いないか」
が、今、大問題!なわけですよ。
クラスの皆が、生えていれば、自分も生えていたい。逆に、クラスの皆が、生えていなければ、
自分だけ生えていたら、はずかしい。
いやあ、微妙な、小学生男子ごころですねー(笑)。
で、しきりに聞くわけです。
「ねえ、○○さん。○○さんは、ちんぽの毛は、いつごろ生え始めたの?」
というわけで、自分と同じかどうか、確認したいわけですよ。
「んあ?小学五年生だったかな?確か。でも、その時まわりは、ボーボーに、生えている奴もいたし、全然なやつも、いたし、いろいろだったぜ!」
と、言ってやると、みんな、ちょっと微妙な顔をするわけですよ。
生えているなら、全員生えている、生えていないなら、全員生えていない、という状況が好ましいわけですよ(笑)。
「んなん、ありえんだろ!」
と、言ったら、まあ、なんとなく、ホッとしてましたけどね。
まあ、とにかく、小学生の興味は、ちんちん、一点につきましたね(笑)。
まあ、大人の男のアドバイザーなんて、いないらしくて、もう、そういう質問をバンバンしてくる、という状態で、まあ、楽しかったですけどね。
風呂入っている時には、もう、好奇心一杯の目で、こう、見られましたからね。
まあ、苦笑しましたけど、おとっちゃんが亡くなっている人間も、いるんでね、まあ、やりたいように、やらせておきましたけど、
まあ、いずれにしろ、小学生って、かわいいですね。もう、好奇心一杯で、いろいろなモノを見ている。
もちろん、女の子にも、興味があるわけですよ。でも、まだ、
「ふん、女子と一緒に遊ぶなんて、はずかしい!」
という気持ちが強いわけですよ。だから、なんとなく男同士で、群れるわけですよ。でも、好奇心は、ある、みたいなね。
だから、僕に聞きたがるわけですよ。まあ、いろいろと。
「女の子も、さー。もう、毛が生えているのかなあ?」
とか、こう、顔を真っ赤にして聞いてきたりね。いやあ、もう、そういう話が、聞けないんでしょうね、普段(笑)。
「うん。女性の方が第二次成長は、早いからね。それに女性は子供を生むために、いろいろ体を作り替えなきゃいけないから、男より、早くいろいろ始まるんだよ」
と、まともに、話したら、納得したような、そうでもないような、「?????」っていう顔をしてましたけどね。
最近は、兄弟がいない、一人っ子が多いので、こう、お姉ちゃんとか妹とかを見て、異性というものを、なんとなく知る機会が激減しているみたいですね。
だから、こう、頭の中で、考えるだけだから、こう、変な妄想になっちゃったりして、大人は、そういうのを解きほぐしてやる、義務もあるんじゃないかなあ、
と、素直に、思いましたね。まあ、性差というのは、歴然として、あるものだし、小学生くらいの子が、興味をもつのは、当たり前ですよね。
だから、当たり前のできごとを自然に教えておく、というのは、必要なんじゃないかなあと思いましたね。
まあ、小学校でどんな教育が、されているのか、知らないですけど、こういう親戚同士の語らいの場でね、そういうのを、知る機会にでも、なればなあ、
なんて、感慨もありましたねー。いやあ、そういう話、家庭でするのは、恥ずかしいんだろうけどさ。
ま、僕は、そういうことが、恥ずかしくもなんともない、といういことで、彼らには、絶好の、機会だったかもしれませんね。
まあ、僕なんかは、ひとりっこですけど、小学生の低学年くらいまでは、いとこの女の子なんかと、一緒にお風呂に入らせられたりして、
なんとなく、自然に、
「女性って、こうなっているんだ」
と、知っていましたね。あれ、要は、大人たちが、自然にそういう教育をしてくれていたんですね。だから、こう、変な妄想になったりしなかったですね。
それに、女の子の方も、僕のはだかを見ているわけだから、お互い、ということなんですよね。
そういうあたり、昨日のおじさんの言っていた、
「小さい頃から、異性のはだかを知っておくことは、いいことだ」
という言葉にも、つながってくるんですよね。考えてみたら。
まあ、精神的なガス抜きにもなっているし、こういうあたり、日本社会のいいところなんじゃないかなーって思いましたね。
つまり、体験的に、こうやることが、いい!というのを、うまく採用している。
子供の頃から、異性といろいろな形で、自然に触れ合うことで、変な期待や、妄想などが生まれないようにしている。
女性と男性の違いを、まず、体の構造から、教えて、自然に、
「女性は、弱いところがあるんだから、男性は、雄々しく強くなって、守ってやらなければ、いけないんだよ」
ということを教えているんですね。
日本人は、スケベだ!という外国人がいます。
二律背反の宗教では、まあ、エッチしちゃいけない戒律を守るというのが、ひとつの義務になっています。
でも、これは、目的として、自分を失ってはいけない、ということを、実現するための、方法論ですよね。
お酒を飲んではいけない、などと同じく、自己の欲求を完全にコントロールできること、
その最高な形として、
「お酒を飲まない、エッチはしない」
という戒律になったわけです。
でもね、これ、要は、神が人間を信じていない、ということになるわけです。
つまり、為政者としては、街の風紀が乱れては困るから、こういう戒律を作ったわけでしょ。
まあ、一歩譲って、これを神が制定したとしましょう。
例えば、
「お酒は飲んでも、ちゃんとコントロールできる。エッチはするけど、風紀は乱さない」
であれば、いいわけでしょ?本来の目的からすると。
だけど、それを一様に取り上げる、ということは、
「人間とは、お酒を飲むと、結局は、コントロールできなくなる存在なのだ。エッチをすると、風紀を乱すものだ」
と、神が思っている、ということなるんですよ。
つまり、神は、
「人間を全く信じていない」
ということになるわけです。
そして、
「僕は、自分を信じてくれない存在を、信じることは、ない!」
ということになるわけです。
それで、外国人の多くは、この二律背反のストーリーを、疑問もなく、信じているから、
そういう経験から、来る、ガス抜き、というものを、
「エッチに関するものは、とにかく、だめ!という戒律を守っていない」
という意識で、見るわけです。
ほんと、バカでしょ?
「神なんていう人間の作り出した世迷い事などに、依存するなぞ、自分が弱い存在であるという証左だ!」
「頼れる者は、自分のみ、そのつもりで、自分を鍛錬せよ!」
これが、武士道であり、日本人の意識下にある、神についての考え方ですよ。
もちろん、神は敬うべき存在だし、いろいろな形で、人々は利用してきました。
しかし、自分を律するのは、自分自身であり、社会的経験からくる戒めで、自分たちを戒めてきた、律してきた
強くて合理的な人間こそが、日本人なんです。
過去の為政者が、つくりあげ、
「これは、神が下された!」
などと、嘘をついて押し付けている、二律背反ストーリーの戒律なぞ、
しかも、人間を信用していない態度の、戒律なぞ、
どこに、意味がありますか?
僕は、合理的に、物事を考える、日本のやり方のほうが、合理的だし正しいと、思います。
そして、二律背反ストーリーなぞ、信じている人間の言うことは、明らかにレベルが低い!と、素直に、思いますね。
他人から押し付けられたモノを、何も考えずに、信じることは、バカのやることです。
社会的経験から生まれた、いろいろないいやり方を、自分なりに検討して、それを理解して、自分の人生にとりいれることこそ、
人間として、正しいやり方だと、僕は、思いますね。
日本と、日本以外の国との違いは、まさに、ここにあります。
「二律背反ストーリー」を盲信するバカと、社会的経験を重視し、いろいろ検討して、自分なりの方法を見つける人間と、
あなたは、どちらを、選びますか?
うーむ、いつの間にか、論考になっちゃった(笑)。
日本と日本以外の国との差が、歴然とわかっちゃいましたね。
だから、日本は、素晴らしいの。そして、他は、バカなの!
明らかでしょ!
うーん、やわらかいネタで、さらっと終わらそうと思ったんだけど、いつの間にか、論考してしまいました。
ま、結論も出たようですので、これくらいにしましょうかね!
朝は、気持ちいいです。
散歩でも、行ってくるかな。
ではでは。