「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

恋して泣きまくっていた、平安時代の男女は普通!(感情のままに!)

2014年07月18日 | 夜の日本学


一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。

彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。

「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「歌入門編」・・・お願いします。ええと、歌入門編の日は、割りと楽しくやっていこうということでしたよね?」

と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。

「そうそう。日本においては「歌の前の平等」という事が言われているから、まずは入門して、あれこれ語りながら、理解を深める感じかな」

と、タケルは話します。

「ということなら、私も楽しく参加させて頂きますわ。じゃあ、ミルクティーなど飲みながら、のんびり始めていきましょう」

と、レイカはミルクティーを用意しています。

「ま、金曜日だし、のんびり行きたいね」

と、タケルは笑顔になりながら、言葉にするのでした。


今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。


「しかし、水曜日に「建礼門院右京大夫集」を読み込んだおかげか・・・どうも「古今和歌集」の男性の恋歌のレベルがあまり高くない事がわかっちゃった感じだねー」

と、タケルは言葉にする。

「そうですね。というか、右京大夫さんが恋に生きて、歌も上手かったのに対して、やはり、男性は政治に生きているから・・・そうなっているんでしょうね」

と、レイカも言葉にする。


「いつはりの 涙なりせば 唐衣 しのびに袖は しぼらざらまし」

(ウソ泣きであれば、このように密かに袖をしぼって泣くようなことはないのに)


「これは藤原忠房さんの歌なんだね。まあ、この時代の恋の表現として泣く・・・という表現は特に男性側の表現として普通だったみたいだね」

と、タケル。

「恋を失って密かに泣いている・・・この思いは嘘じゃない・・・そういう表現みたいですね」

と、レイカ。


「君と言へば 見まれ見ずまれ 富士の嶺の めづらしげなく もゆる我が恋」

(あなたのことといえば、逢おうと逢うまいと、富士の山の火のように、常にこの心は恋しい思いで燃えます)


「この歌は藤原忠行さんの歌なんだね。割りとストレートな恋の表明の歌で、たまーにこういう雄々しいカタチの恋の歌が出てくるね」

と、タケル。

「そうですね。技巧派の歌より、こういうストレートな恋の表現の方が女性としては好感が持てますね」

と、レイカ。


「恋わびて うちぬるなかに 行きかよふ 夢のただぢは うつつならなむ」

(恋に思い悩んでふと寝てしまった、あの夢の中で通った真っ直ぐな道が現実のものであったらどれだけよいか)


「この歌は藤原敏行さんの歌で、彼は結構多くの歌を古今和歌集に残しているから、歌が上手かったのかもしれない」

「これは恋した女性への道・・・ということで、夢の中で恋しい女性に会えると実際にも会うことが出来る・・・この時代、よく言われたそういう話がベースみたいだね」

と、タケル。

「夢の中での恋・・・という歌は小野小町さんがよくモチーフにしていた歌表現でしたね・・・そこから材料を取ったのかもしれませんね、敏行さんは」

「少しロマンティックですね、他の男性の歌よりも・・・」

と、レイカ。



「住の江の 岸による浪 よるさへや 夢のかよひぢ 人目よぐらむ」

(夜でさえ夢の道で人目を避けているのでしょうか)


「これも同じ作者の歌で・・・上の歌と同じイベントで詠んでいるので、夢モチーフで統一している感じがあるね」

と、タケル。

「なるほど・・・前の歌にかかっているんですね。前の歌では逢いたいと言って、この歌では相手の心胆を疑っている・・・そういう感じですね」

と、レイカ。


「我がごとく ものやかなしき 郭公 時ぞともなく 夜ただ鳴くらむ」

(自分と同じように悲しいことがあってか、ホトトギスは時間も気にせず、夜ひたすら鳴いているのだろう)


「これも敏行さんの歌だね。夜、自分が恋を失って泣いているのと同じように、ホトトギスも夜鳴いている・・・そういう歌なんだね」

と、タケル。

「平安時代のオトコ達はよく夜泣いていた・・・そんな錯覚を起こしそうですね。これだけ泣く歌に出会うと」

と、レイカは苦笑した。


詞書「業平の朝臣の家に侍りける女のもとによみてつかはしける」


「つれづれの ながめにまさる 涙川 袖のみ濡れて あふよしもなし」

(どうにもやるせないこの長雨の眺めにまさる涙川のため、ただ袖だけが濡れて、逢う手だても見つかりません)


「恋の歌の天才・在原業平の家にいる女性に歌を贈るんだから、自分の歌にも自信があったんだろうね、敏行さんは」

「確かに業平さん風な歌になっているように思えるね」

と、タケル。

「業平さんとも面識はあったでしょうから、お互い切磋琢磨していたのかもしれませんね。この会う手立てが見つからない、と言うのは言い訳のような気もしますね」

「彼もまた、業平さんレベルのプレイボーイだったのかもしれませんね」

と、レイカ。


「明けぬとて かへる道には こきたれて 雨も涙も 降りそほちつつ」

(夜が明けて帰る道では、ぽたぽたと、雨も降れば、涙も落ちる)


「これも敏行さんの歌だ。女性を抱いた後朝の別れの朝・・・その女性を思い出して涙も流れる・・・そういう歌だね」

と、タケル。

「やはり、敏行さんは、かなりのプレイボーイだったんでしょうね。雨が降る中、帰った経験があるからこそ、出来る歌でしょうね」

と、レイカ。


「我が宿は 道もなきまで 荒れにけり つれなき人を 待つとせしまに」

( 私の家は道も見えないほどに荒れ果ててしまいました、つれない人を待っている間に)


「この歌は、僧正遍照さんの歌なんだね。男性としては、部屋が汚いってのは、恋しいひとが来てくれないから・・・という体験とも符号して興味深いね」

と、タケル。

「そういう受け取り方だと現代に通じますね。やはり、恋人の存在は大きいんですね。生活にも」

と、レイカ。


「今こむと 言ひて別れし あしたより 思ひくらしの 音をのみぞ鳴く」

(すぐにまた来るよ、とあなたが言って別れた朝から、私は一日中あなたのことを思って、ただ泣くばかりです)


「これも、僧正遍照さんの歌なんだけど、この歌は女性の側の心情を歌った歌みたいだね」

と、タケル。

「女性も恋しくて泣いていたんですね。そう言えば、建礼門院右京大夫さんも、随分泣いていたし・・・感情に素直な人が普通だった時代だったんでしょうね」

と、レイカ。

「この時代よりも下った平安時代末期・・・まさに右京大夫さんの時代だけど、例の源頼朝と義経さんの再会の時、周囲の人物はビービー泣いたらしいから」

「感情を顕にすることに抵抗の無い時代だったんだろうね。だから、僕らからすると始終泣いているように思えるんだろうね」

と、タケル。

「なるほど・・・この時代から見ると、わたし達の方が普段、感情を殺しすぎているのかもしれませんね」

と、レイカ。


「 あはずして 今宵明けなば 春の日の 長くや人を つらしと思はむ」

(今晩逢えないまま夜が明けてしまったとしたなら、長い春の日のようにずっとあなたを薄情だと思って恨みましょう)


「源宗于さんの歌だね。好きなあまり脅迫してしまっているような響きがあるね。ストーカーになりそうな匂いがあるよ」

と、タケルは苦笑する。

「確かに・・・男性が弱い女性を脅迫してはいけませんね」

と、レイカ。


「つれもなく なりゆく人の 言の葉ぞ 秋より先の もみぢなりける」

(つれなくなってゆくあなたの言葉こそが、秋より先に色の変わる紅葉だったのですね)


「同じく源宗于さんの歌だね。でも、この歌はなんとなく好きだな。変わりゆく女性の心情を紅葉として表現していて、非常に映像的にわかりやすい」

と、タケル。

「そうですね。女性の気持ちを紅葉と表現するのは、なかなか、素敵な表現ですね。この歌が今日一になりますね」

と、レイカ。


「最後に今日一が出ましたね」

と、レイカ。

「うん、やっぱり、映像的にこちらにも伝わる歌は非常にわかりやすくて、いい歌に思えるね」

と、タケル。

「それが歌表現のひとつの最高表現なのかもしれませんね」

と、レイカ。

「ああ、そのように思うね・・・」

と、タケル。


「ま、勉強は始まったばかり・・・焦らずのんびり、言葉にしていこう」

と、タケルは言うと、

「さ、レイカちゃん、飲みに行こうか」

と、タケルは机の上を片付け始める。

「はい。お伴します」

と、レイカはメガネを取り、髪を解いた。


(おしまい)


金曜日の夜・・・まあ、こういう日は楽しく飲むに限りますね。

焼き肉なんかやりながら、ビール。

ま、レイカちゃんと楽しく飲んじゃお!ってなところで、

週末に繰り込んでいく感じですかねー。


ではでは。


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