「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

「第九章 風景が変わり、ルールが変わった」!(木曜日の村上論考!日本人的美学からの論考)

2010年07月29日 | 先人の分析
おはようございます!

今日は天気予報によると、一雨来そうだとか、

どうなんでしょうね。

そろそろ、ちょっと一降りあっても、いいんじゃないかと、

思いますが、夏の夕立も風情がありますよね!


さて、今日は、木曜日の1Q84論考!ということで、村上春樹の世界を

楽しみながら、そこに何が描かれているのか、どんな表現がなされているのか、

というあたりを解き明かして見ていきたい、という感じですね。

まあ、BOOK1の第八章まで観終わって、まあ、序盤が終わり、

ここから、中盤に入るというわけで(まあ、二十四章ありますからね)、いろいろな

初期設定だったり、世界観の提示だったり、おおきな疑問の提示などが、

まとめられる章に、この九章は、なりそうです。

この章は、青豆さんのストーリーですので、女性向けストーリーということで、

日常の非日常、気持ちをドキドキワクワクさせる、奇妙なテイストの物語

が狙いですから、そのあたりを頭に置きながら、見ていきましょう!


さて、熱中症にならないように、冷たく冷やしたピンクグレープフルーツティーをぐびびと飲みながら、

ゆるゆると論考していきましょう!


まず、前回、青豆さんの考えていた世界と大きく変わってしまった世界に対処すべく、

対処リストを頭の中で、作り上げていた青豆さんは、まず、手始めに、近くの区立図書館にいきます。

そして、毎日新聞の縮刷版を借り、1981年の9月から12月の情報を確認するわけです。

1981年の初秋、とくにとりたてて何かあったわけではないらしく、村上氏は、チャールズ皇太子の結婚式が

その前年にあったことをあげ、その余波が続いていたとしています。ほんとかな。

というのも、単に村上さんは、チャールズ皇太子という立場が嫌いなだけなんだと思います。

もう、天皇家とか、そういうの大っキライだと思いますよ。お金を自分で稼がずに、血筋だけで、生きているなんて・・・

というあたりのことを、考えていそうですね。労働者バンザイ思想ですね。

まあ、村上さんの普段からのエッセイにおける言動からすると、今の政権与党のひと達と同じ世代、同じ天皇嫌い

同じ右的なものが、嫌いで、左的なモノが好きな言動が多いですからね。プロレタリア万歳なひと達。

ま、結局、青いなあ、という感想ですが、まあ、作者と作品は、明確に違うものですから、

作品の評価には、なんら、関係ありませんけどね(笑)。

というわけで、村上さんは、チャールズ皇太子のことを、

「胃腸に問題を抱えた物理の教師みたいに見えた」

としています。まあ、ちょっと融通がきかなくて、表情がいつも暗い人間とでも、言いたかったんでしょう。

けっこう、ひどいことを言っていますが、概ね合っているような気がしますね。

なんで、カミラ婦人は、あんなおっさんを・・・ダイアナさんのほうが全然美しいのに・・・と当時は、

思っていましたが、まあ、恋愛というのは、外から見ていてもわからないものですからね。まあ、いろいろあるわけです。

まあ、それくらいはね、勉強しましたよ。


さて、脱線しました。元に戻しましょう。

ポーランドのワレサ議長率いる「連帯」と政府との対立と、ソビエト政府の反応など、ちょっとなつかしい話が

続きますが、そこに、現実にはなかった話、

「米ソ共同の月面基地建設計画」

と、

「NHKの集金人による大学生刺傷事件」

と、

「本栖湖での過激派VS警察の銃撃戦事件」

が、入り込んでくるわけです。


青豆さんは、その事実にちょっとうろたえるわけです。なぜなら、

青豆さんは、その仕事(クールでワイルドな女性の敵の殺し屋)の関係で、

新聞は、きっちり毎日、確認しているのに、そんな彼女にも、関係しそうな事件を、まるっと確認してなかったことになるからです。


本栖湖事件は、連日、大きく、新聞で取り扱われたそうです。


それの余波は、NHK集金人の事件を小さい扱いにさせ、そのことについて、

村上氏は、不満を持つような書き方をするわけです。NHKは、当時自民の広報機関にすぎなかった、と主張し、

当時、村上氏が、普通に持っていた政治的批判をここに主張しているわけです。

そして、その考えが、背景にあるから、NHKの集金人というものに、

「ある地獄である」

というような描き方を恣意的に

「天悟くん」のストーリーに繰り広げているように思えます。

もちろん、ここで、「NHKの集金人」というアイテムがこのストーリーに入ってきた、ということは、同じ様に、

「天悟ストーリー」に前回入ってきた「NHKの集金人」アイテムを想像させ、この二つのストーリーが今後、関連するのではないか?

という暗示を呼びます。「天悟」と「青豆」が、このストーリーのどこかで、何らかの形で、重なりあうのかもしれない、

という暗示を、このアイテムが示唆しているんですね。


「受信料の不払い運動」という運動が、あることは、知っていますが、

(運動か?単にそれに言葉を借りた、お金を払いたくないというみみっちい義務違反じゃないの?罰則ないから逃げているだけでしょ。レベル低い馬鹿でしょ)

それを支持している馬鹿は、僕は支持しません。だから、村上氏個人に対しては、多分、否定的になるでしょうね、僕は。

まあ、ただ、この1980年代に、それが、ある程度、説得力を持った意見だったことは、確かだったんでしょう。多数派だったのかもしれません。

しかし、そんな昔の話なんぞ、今持ってきたというのは、どういう理由なのだろうか、というのが、今の僕の素直な疑問です。

まあ、1Q84の世界が描きたかったから、ということになるんだろうけどね。


さて、ちょっとおかしいのは、青豆さんは、

「その二件以外のニュースについては、記憶に洩れはなかった」

としながら、月面基地のニュースは、知らなかったと、別の場所で、書いているんですよね。

そして、

「この二件だけ、読み飛ばしたのだろうか」

と、青豆さんに考えさせたあと、

「月面基地の建設を知らなかった」

ことを、おかしいことと、しているんですね。

ここらへんは、青豆さんが、わざと、混乱しているように見せているのかもしれません。

というのも、この村上さんの現実の非現実施策は、

「1984の世界から、1Q84の世界へ移動してしまったから、起こった非日常だ」

ということを僕は、既に指摘しており、

「1Q84のQも、クエスチョンのQの意味なのだ」

ということを既に、指摘しちゃっているんですね。


つまり、だれにでもわかるようなことなんですよ。それくらいは。


だけど、それをそのまま書けないから、青豆さんに、ひとしきり悩ませる必要があるわけですよ。

「私が正常でないとしたら、異常なのかしら。いや、私は正常だ。だとしたら、世界が、異常だ、ということになる」

「具体的に言えば、世界が、変わってしまったのだ。まるで、パラレルワールドに紛れ込んだ住人だ」

とまあ、かなり意訳すると、こういうストーリーテリングが、されています。

かなり、青豆さんが、混乱しながら、その結論に至ったかのように。


「「これじゃ、サイエンスフィクションになってしまう」と、青豆は、思った」

と、これは、確実に、村上さんのエクスキューズですね。

「ごめんなさい、サイエンスフィクションの体裁、手法を使いますよ!」

こう言っているのが、村上さんなわけです。

そして、現実的な青豆さんの思考が描かれるわけです。

「自分を正常と考える余り、身勝手な仮説をつくりあげているのか」と自己批判してみせるわけです。

「パラレルワールドという仮説は、自分の狂気を正統化しているだけなのではないだろうか」

と、ごく現実的な思考をさせるのです。そして、当然のごとく、第三者による判定というのが、必要となる、としているのですが、

もちろん、そんなことは、できないように、なっているわけです。

彼女の仕事(クールでワイルドな殺し屋)、彼女のエッチの状況(バーで男を誘い、するだけ)、それだけだって、第三者に話せやしないし、

それ以外のことだって・・・というわけで、結局、ひとりで、解決せざるを得ないと、うまくソフトランディングさせているわけです。

つまり、殺し屋であることも、ああいうエッチの仕方なのも、すべては、この1Q84世界を、青豆さんひとりっきりで、探検していかなくては

ならない、という外的環境をつくりあげるための、施策に過ぎないということが、わかるわけです。

最初から、そこを狙っていたわけですね。


ということは、やっと作者の用意した、外的環境部分が、ほぼ、明らかになってきた、ということです。

そして、そのパラレルワールド1Q84に青豆さんが、入ってきたのは、あの第一章、冒頭の、音響に凝られたタクシーで、

「シンフォニエッタ」を聞いてからだ、ということに青豆さんは、気づくわけです。

僕は以前、1Q84的世界に紛れ込んだのは、

「あの階段を降りた時じゃねーの?」

と、指摘しているので、ちょっとそこは、違いますね。まあ、まだ、正解が出たわけじゃないから、そこは、見ていきたいと思います。

そして、彼女は、「シンフォニエッタ」の作者ヤナーチェクの本を、その場(図書館ですからね)で、借りると、

それを調べるという形で、読者に、ヤナーチェクのあらましが、語られるわけです。

そして、「シンフォニエッタ」が、ある唐突な幸福感と共に曲想を得られたことが発端になり、作られたものだ、ということが、語られるわけです。

そして、その「ヤナーチェク」について、調べ上げた後、はじめて、青豆さんは、今、生きている世界に名前をつけるわけです。

「1984とは、別の世界、そうだ、1Q84と呼ぶようにしよう」

「Qは、Question MarkのQだ。疑問を背負ったモノ」

と、ここで、はじめて、そうなるわけです。


その後、彼女は、早速、ヤナーチェクのシンフォニエッタのLPレコードを購入して、部屋で聞いてみますが、何も起こらない。

そして、あと一週間で、自分の三十回めの誕生日が来ることを思い出すんです。

「ろくでもない誕生日がまためぐってきそう」

という言葉から、彼女の誕生日は、いつも、ろくでもなかったことが、暗示され、1Q84の世界に住んでいる彼女が強調されて、この章が終わるわけです。


つまり、この章は、これまでの、青豆さんのストーリーを総括したような内容なんですね。

「日常の非日常が、強調されてきたのは、青豆さんが、1Q84ワールドに、移動してしまった、ためであったこと」

それが、この章で、語られたことで、あり、その中に、

「NHKの集金人」

というアイテムも潜まされていること。

この章の主張は、概ね、この二つに集約できます。

つまり、

「青豆さんは、ひとりで、1Q84世界を探検することになること」

「NHKの集金人というアイテムを通して、天悟くんのストーリーともつながる可能性が示唆されたこと」

この二つなんですね。そして、改めて、青豆さんが、1Q84世界の住人になってしまったことが、最後に、強調されたわけです。

そういう意味では、前半の話から、中盤の話への架け橋的な役割をしたのが、この章だったと言えますね。


まあ、本来は、この章で、はじめて、

「1Q84」

という本の題名の意味が、提示されるわけですから、ちょっと感動的な章だったのかもしれませんけれど、

もっと前に分かってたんで、僕には、あまりに、当然のことが、提示される、章だなあ、という感じでした。


まあ、ただ、ここで、ひとつ、気になったのは、過激派が、あさま山荘での攻防を最後に、その力を失った現実に対して、

この書では、彼らに力を与えて、警察との銃撃戦をさせて、勝たせているんですね。

これね。村上世代にとって、過激派というのは、彼らの政治哲学を具現化する尖兵だと、考えていたわけですから、

そういう現実を受け入れたくない、というのが、あったんでしょうね。

小説の中で、自分の希望したとおりのことを、実現させる、というのは、古来、小説家がやってきた、

現実逃避の遊びですから、この村上氏も例外に洩れず、現実逃避の遊びをしているのかもしれません。

未だに、過激派に夢を見ているのかもしれない。

もちろん、村上氏は、頭のいいひとですから、単純にそういうことを考えているわけではないでしょう。

もし、あそこで、過激派が力を失わず、逆に力を得ていたら、どうなっていたか、

そのあたりを着想したのかもしれません。


この過激派という60年代の終わりに大学生だった政治馬鹿達の、甘美な夢は、

あさま山荘事件を最後に、力をうしなっていったわけですが、その過激派という要素に、

今後、村上氏が、何をのっけてくるのか、そこに興味がありますね。


もしかしたら、村上氏が、この1Q84を書くきっかっけになったのは、

1984年の僕は、どういう未来を思い描きたかったか、いや、そこから逆算して、

1984年をどういう時代にしたかったか、それをパラレルワールドを使って書いてみたらどうだろう、と、考えたのかもしれませんね。

なにしろ、この表現、まるで、バックトゥザフューチャーの手法をうまく応用し、他者が現実世界をパラレル化するという、

SF作家真っ青な表現なんですから、まあ、どうなるか、興味があるところです。

天悟くんの作業が、あるいは、青豆さんのワールドを変えたのだろうか?

と、興味がつきないところですね。


さて、今日も長々と書いてしまいました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございます!

また、次回、金曜日の自由論考で、お会いしましょう!


ではでは。



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