おはようございます!
8月も最後の週末が、終わって、もう、終りですね。
なんだか、昨日は、いろいろなことが、終わっていったような気がします。
まあ、夏の終り、そんな季節でしょうかね。
というわけで、今日は、月曜日だし、やっぱり、歌詞論考が、したくなっちゃった、
ということで、季節的に、まあ、古い歌ですけど、
「夏の終り」オフコース
という、この曲を、歌詞論考したい!と思います。
えー、まあ、古い曲ですね。
僕が、高校生の頃、ライブでやろうと思って練習していた曲ですからね。
まあ、結局、ライブには、使いませんでしたけど、
ちょっと、高音がね・・・。
にしても、
「きれいな曲だなあ」
というのが、第一印象でしたね。これ。
そして、
「ああ、僕も同じことを思っていたなあ」
という共感を覚えた曲でもあります。
まあ、そのあたりの印象を感じながら、歌詞論考!行ってみましょう!
今日は、冷たい麦茶など、ぐびびと飲みましょう!
さて、はじめて、いきましょうか。まず、こんな歌詞から、この歌は、はじまります!
夏は冬にあこがれて 冬は夏に帰りたい
あの頃のこと、今では、素敵に見える
まず、この印象的なサビから入る、この曲なんですが、
このフレーズを聞いて、
「そうだな、確かに、夏になると、冬がよかったなあ、なんて、思うよね」
と、思っていたのが、まあ、あんぽんたんな高校生の僕でした。
これ、お互いが、お互いの存在を強調している、いい例なんですよね。
冬があるから、夏が、楽しかったり、
夏があるから、冬の良さを、感じたり、
そんな強調関係を、歌った歌、ということになりますね、この曲は。
そして、この歌詞の一番、いいたいことは、
「あの頃のこと、今では、素敵に見える」
なんですね。冬も、夏も、なく、過ぎ去った日々のできごとが、
なんとなく、素敵に見えてしまう。
ということで、過去の肯定フレーズなんですね。
そして、物語が、始まるわけです。
誰よりもなつかしいひとは
この丘の空が好きだった
あきらめないで、歌うことだけは
誰にでも、朝は、訪れるから
というわけで、小田さん、横浜の出身なんですが、
あの辺りは、ほんとに、丘が多いんですよ。
僕もまあ、足を伸ばして、あのあたり、自転車で、走りまわったりするんですが、
丘が、多くて、練習には、うってつけ(笑)。
まあ、そういう目でみるのも、あれですが、
小田さんの楽曲には、丘に立つ、美しい女性、というストーリーが多いのも、事実です。
そして、好き、という言葉は、使わず
誰よりもなつかしいひと
という言い方をするわけです。これ、単純な「好き」とは違って、なんだか、物語を盛り上げる感じですね。
その女性は、この丘の空が、好きだった、
というわけです。そして、その女性から言われたんでしょうね。
「あきらめないで、歌うことだけは、誰にでも、朝は、訪れるから」
口語体の文章で、生々しさが感じられるんですね。
こう、女性に言われた、そのままの、言葉って感じ。
さらに、小田さんって、女性声なんで、こう、
歌を聞くと、女性がそのまま、話しているような感じもあるんですよね。
まあ、だから、男性が、聞いていても心地良い、ということになるわけです。
やっぱり、女性は、男性の声を聞くのが、心地良いし、
男性は、女性の声を聞くのが、心地よーく出来てますからね。本能的に。
だから、女性は、よく、
「男性の太い声が、魅力的!」
みたいなことを、いいますね。
僕らは、女性の高目の声や、やわらやかい声を好みますから
「へー」
って感じですけど、まあ、本能的にそうなっているわけですねー。
なので、小田さんの楽曲は、男性が聞いていても心地いいし、女性が聞いていても心地いい!
という、非常に珍しい形なんですよね。
そして、この言葉、小田さんが、言われたんだろうなあ、
という生々しさを、感じるんですね。
まあ、オフコースは、最初、売れないグループでしたからね。
そういう厳しい時期に、女性に言われたんだろうなあ、という思いを持たせることで、
小田さん自身が、この物語の主人公になるわけで、うまく楽曲にアゲてもらっている。
そういう物語を持つ、小田さんにあこがれをもつように、うまーくできているわけです。
ま、僕も、小田さんには、高校生のころから、だいぶ、あこがれた、もんです。はい。
しかし、この
「誰にでも、朝は、訪れるから」
という言葉は、センスを感じますね。まあ、今では、よく使われる言葉ですけど、
この時代は、この歌くらいだったような、気がします。
そして、この言葉選びのセンスのよさが、楽曲の中の女性のセンスのよさを感じさせる、うまい構造になっているわけですよ。
やさしかった恋人よ、その後、何をいいかけたの
僕の言葉が、あなたを、さえぎるように
こぼれた、あの時
非常に映像的な詩ですよね。
なんとなく、恋人達の一シーンを切り取ったようなビビッとな感じがある。
先程の女性は、やはり恋人だったんですね。
「やさしかった・・・」
としている、ということは、今はもう、やさしくないんですね。
つまり、今はもう、別れてしまった・・・ということを暗示している。
そして、彼女は、そのあとに、何かを、いいかけた・・・けれど、
自分が言葉を吐いてしまったから、聞くことはできなかった・・・。
あの言葉は、何だったの?
と、問いかけているんですね。
そして、こぼれた・・・という言葉で、何かの終りを、暗示しているんですね。
うまく、いかずに・・・それが、だめになる、理由だったのかもしれない。
そんなイメージをうまく、もたせているわけですね。
駆け抜けていく、夏の終りは
薄れていく、あなたの匂い
そして、時期が語られるわけです、思いのほか、早く過ぎ去っていく、夏の終り、ということで。
そして、同時に、あなたの匂いも、薄れていく、ということで、会わなくなっている状態を示しているんですね。
匂いって、五感なんですよね。
それに直接的な関わりがある、というか、女性の匂いって、独特なものがありますね。
まあ、男性にも、そういうのは、あるでしょうが、男性から、すると、こう、
普段無いものだけに、女性の匂いが、あるってことが、ちょっと、非日常だったりするわけです。
こういう世代ではね。だから、それが薄れていくっていうのは、非常にわかりやすい、というか、
経験者は、うなづける、みたいな、かゆいところに手が届く表現というか、そういう生々しさが、ありますね。
なんていうのかな、エッチしたあとに、手に残る匂い的な、川端康成の「雪国」には、
「中指だけが、彼女を覚えている」
的な表現が、ありましたね。そういう、生々しさの要素が、実は、この歌にあるんですね。
今日はあなたの声も聞かないで
ここから、このまま、帰るつもり
これね。小田さんの書いた楽曲だから、小田さんの思いとして、こう、男性主人公で、
聞いていたりするわけですけど、実は女性主人公としても、聞けるんですよね。
この、帰るつもりなのは、男性でもあるし、女性でもあったりするわけで・・・
男性が、聞いていると、これは、小田さんの物語、って聞けるし、
女性が聞いている場合、これは、女性の物語、としても聞ける、そういう構造になっているんですね。
まあ、それだけ、共感を得やすい構造になっている、ということですね。
そして、少しずつ、別れに、向かっているということが、語られています。
多分、彼女に会おうとすれば会える場所に来たのに、会わないで、帰ってしまう。
こういうのって、別れの近くになると、ありますね。
なんだろう。会わなくても、いい、むしろ、会わないことで、ホッとしたりするわけですよ。
そういう感情が動き出しているわけですね。別れが近い、そんなことを、思わせるわけです。
そっとそこに、そのままで、かすかに、輝くべきもの
決しても一度、この手で触れてはいけないもの
かけがえのないモノという表現なんですね。かすかに輝くべきものであり、触れてはいけないもの。
それは、彼女だったり、愛だったり、するんでしょうね。
中学生とか、高校生の頃って、こういう純粋なものを愛しますよね。
純粋なことに、価値を見出す、というか。
まあ、自分が純粋だから、そういうものに、価値を見ようとする、いわゆる自分アゲの一種なんですけど、
まあ、そういうと、ちょっとあれなんですが、まあ、純粋というのは、いいものです。
それが、愛だと、言っているわけですね。
僕は高校生の頃、この歌詞が、とっても好きでしたね。そうか、あれは、自分アゲだったのか・・・(笑)。
でも、あなたが、わたしを愛したように、
だれかが、あなたを、愛しているとしたら、
ああ時は、さらさら、流れているよ
えー、この歌詞なんですけど、僕は高校生の頃から、よくわからないんですよねー。
要は、恋人が、誰かに愛されている、としたら・・・という疑問、自問自答なわけですけど、
その答えが、
「ああ時は、さらさら、流れているよ」
ですからね。
?????という感じで、頭の中が、真っ白というか、よくわからないんですよね。
まあ、むりくりに言うと、
「それだけ、時が、流れたということだよ」
という、無常観に、辿り着いちゃうわけですねー。
どうも、ここが、よくわからない。ニヒリストなんですかねー。
まあ、恋愛にそれほど、嫉妬とか、もちこまない、あっさりとした、
「次の恋愛にも、すぐいけるから」
的な、感じなんでしょうかね。
でも、あえて、感情を書かないことで、強調しているんですね。
つまり、何かを言いたいけれど、言わない、
そこに、意味がある、ということでしょうかね。
夏は冬にあこがれて、冬は夏に帰りたい
あの頃のこと、今では、素敵に見える
そっとそこに、そのままで、かすかに輝くべきもの
決しても一度、その手で、触れてはいけないもの
とうわけで、失った過去の恋愛は、素敵に見える、と言っているわけです。
過去の自分や、恋愛の肯定、ということですね。
そして、その思い出は、そのままで、かすかに輝いてほしい、もう、触れてはいけないものだ、
と言っているわけですね。
そして、同時に、愛とは、輝くべきものであって、純粋なものだ、
ということも、言っているわけです。
これね、女性は、好きになりますよねー。そりゃ。
それで、いて、小田さんのあの声で、まあ、ヴィジュアルも、良かったですからねー。
そりゃ、モテまくりでしょう!
ねー。
こういう、こう、純粋な恋愛、という表現は、オフコースのテーマだったような気もしますね。
その中でも、この「夏の終り」は、せつない、純粋な愛を歌った、名曲とも言える感じですからね。
夏の終りだから、こそ、感じる、夏の良さ、や、冬の良さ。
終わったこと、終わった愛の、良さを、感じているわけです。
そして、その愛や、思い出は、純粋で、誰にも触れられないもの、大切なものだ、と歌い上げているんですね。
終わった恋愛の素晴らしさと、女性の素晴らしさ、
これ、要は、女性アゲの歌でもあるんだなー。だから、女性が聞いていると、小田さんと恋愛したような気持ちにもなるし、
自分がアゲられている気持ちにもなる、という構造なんですね。
だから、気持ちがいいわけです。
だから、みんな、聞いちゃう。名曲に感じる、ということで、男性にも、女性にも、いい曲だ、ということがわかりましたね。
そして、恋愛とは、純粋なものだと、歌い上げている。
そりゃ、誰でも、好きになりますよね、この楽曲。だって、人間は、恋愛するために、生まれてきたんだもんねー(笑)。
「愛の歌」って、人類共通の共感道具ですからね。だから、愛されるわけですよ。
なるほどねー、よーく、わかりました。
愛って、純粋であれば、純粋であるほど、価値をもちますからね。
そういう意味では、愛を褒め上げた、純粋さを、歌い上げた、一曲、と言えることが、できると思いますね。
なるほどー、だから、名曲なんですね。
えー、結論が、出たようです。なるほどねー、名曲には、名曲たる所以があるんですね。
はい。よーくわかりました。
今回も長くなりました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。
8月も最後の週末が、終わって、もう、終りですね。
なんだか、昨日は、いろいろなことが、終わっていったような気がします。
まあ、夏の終り、そんな季節でしょうかね。
というわけで、今日は、月曜日だし、やっぱり、歌詞論考が、したくなっちゃった、
ということで、季節的に、まあ、古い歌ですけど、
「夏の終り」オフコース
という、この曲を、歌詞論考したい!と思います。
えー、まあ、古い曲ですね。
僕が、高校生の頃、ライブでやろうと思って練習していた曲ですからね。
まあ、結局、ライブには、使いませんでしたけど、
ちょっと、高音がね・・・。
にしても、
「きれいな曲だなあ」
というのが、第一印象でしたね。これ。
そして、
「ああ、僕も同じことを思っていたなあ」
という共感を覚えた曲でもあります。
まあ、そのあたりの印象を感じながら、歌詞論考!行ってみましょう!
今日は、冷たい麦茶など、ぐびびと飲みましょう!
さて、はじめて、いきましょうか。まず、こんな歌詞から、この歌は、はじまります!
夏は冬にあこがれて 冬は夏に帰りたい
あの頃のこと、今では、素敵に見える
まず、この印象的なサビから入る、この曲なんですが、
このフレーズを聞いて、
「そうだな、確かに、夏になると、冬がよかったなあ、なんて、思うよね」
と、思っていたのが、まあ、あんぽんたんな高校生の僕でした。
これ、お互いが、お互いの存在を強調している、いい例なんですよね。
冬があるから、夏が、楽しかったり、
夏があるから、冬の良さを、感じたり、
そんな強調関係を、歌った歌、ということになりますね、この曲は。
そして、この歌詞の一番、いいたいことは、
「あの頃のこと、今では、素敵に見える」
なんですね。冬も、夏も、なく、過ぎ去った日々のできごとが、
なんとなく、素敵に見えてしまう。
ということで、過去の肯定フレーズなんですね。
そして、物語が、始まるわけです。
誰よりもなつかしいひとは
この丘の空が好きだった
あきらめないで、歌うことだけは
誰にでも、朝は、訪れるから
というわけで、小田さん、横浜の出身なんですが、
あの辺りは、ほんとに、丘が多いんですよ。
僕もまあ、足を伸ばして、あのあたり、自転車で、走りまわったりするんですが、
丘が、多くて、練習には、うってつけ(笑)。
まあ、そういう目でみるのも、あれですが、
小田さんの楽曲には、丘に立つ、美しい女性、というストーリーが多いのも、事実です。
そして、好き、という言葉は、使わず
誰よりもなつかしいひと
という言い方をするわけです。これ、単純な「好き」とは違って、なんだか、物語を盛り上げる感じですね。
その女性は、この丘の空が、好きだった、
というわけです。そして、その女性から言われたんでしょうね。
「あきらめないで、歌うことだけは、誰にでも、朝は、訪れるから」
口語体の文章で、生々しさが感じられるんですね。
こう、女性に言われた、そのままの、言葉って感じ。
さらに、小田さんって、女性声なんで、こう、
歌を聞くと、女性がそのまま、話しているような感じもあるんですよね。
まあ、だから、男性が、聞いていても心地良い、ということになるわけです。
やっぱり、女性は、男性の声を聞くのが、心地良いし、
男性は、女性の声を聞くのが、心地よーく出来てますからね。本能的に。
だから、女性は、よく、
「男性の太い声が、魅力的!」
みたいなことを、いいますね。
僕らは、女性の高目の声や、やわらやかい声を好みますから
「へー」
って感じですけど、まあ、本能的にそうなっているわけですねー。
なので、小田さんの楽曲は、男性が聞いていても心地いいし、女性が聞いていても心地いい!
という、非常に珍しい形なんですよね。
そして、この言葉、小田さんが、言われたんだろうなあ、
という生々しさを、感じるんですね。
まあ、オフコースは、最初、売れないグループでしたからね。
そういう厳しい時期に、女性に言われたんだろうなあ、という思いを持たせることで、
小田さん自身が、この物語の主人公になるわけで、うまく楽曲にアゲてもらっている。
そういう物語を持つ、小田さんにあこがれをもつように、うまーくできているわけです。
ま、僕も、小田さんには、高校生のころから、だいぶ、あこがれた、もんです。はい。
しかし、この
「誰にでも、朝は、訪れるから」
という言葉は、センスを感じますね。まあ、今では、よく使われる言葉ですけど、
この時代は、この歌くらいだったような、気がします。
そして、この言葉選びのセンスのよさが、楽曲の中の女性のセンスのよさを感じさせる、うまい構造になっているわけですよ。
やさしかった恋人よ、その後、何をいいかけたの
僕の言葉が、あなたを、さえぎるように
こぼれた、あの時
非常に映像的な詩ですよね。
なんとなく、恋人達の一シーンを切り取ったようなビビッとな感じがある。
先程の女性は、やはり恋人だったんですね。
「やさしかった・・・」
としている、ということは、今はもう、やさしくないんですね。
つまり、今はもう、別れてしまった・・・ということを暗示している。
そして、彼女は、そのあとに、何かを、いいかけた・・・けれど、
自分が言葉を吐いてしまったから、聞くことはできなかった・・・。
あの言葉は、何だったの?
と、問いかけているんですね。
そして、こぼれた・・・という言葉で、何かの終りを、暗示しているんですね。
うまく、いかずに・・・それが、だめになる、理由だったのかもしれない。
そんなイメージをうまく、もたせているわけですね。
駆け抜けていく、夏の終りは
薄れていく、あなたの匂い
そして、時期が語られるわけです、思いのほか、早く過ぎ去っていく、夏の終り、ということで。
そして、同時に、あなたの匂いも、薄れていく、ということで、会わなくなっている状態を示しているんですね。
匂いって、五感なんですよね。
それに直接的な関わりがある、というか、女性の匂いって、独特なものがありますね。
まあ、男性にも、そういうのは、あるでしょうが、男性から、すると、こう、
普段無いものだけに、女性の匂いが、あるってことが、ちょっと、非日常だったりするわけです。
こういう世代ではね。だから、それが薄れていくっていうのは、非常にわかりやすい、というか、
経験者は、うなづける、みたいな、かゆいところに手が届く表現というか、そういう生々しさが、ありますね。
なんていうのかな、エッチしたあとに、手に残る匂い的な、川端康成の「雪国」には、
「中指だけが、彼女を覚えている」
的な表現が、ありましたね。そういう、生々しさの要素が、実は、この歌にあるんですね。
今日はあなたの声も聞かないで
ここから、このまま、帰るつもり
これね。小田さんの書いた楽曲だから、小田さんの思いとして、こう、男性主人公で、
聞いていたりするわけですけど、実は女性主人公としても、聞けるんですよね。
この、帰るつもりなのは、男性でもあるし、女性でもあったりするわけで・・・
男性が、聞いていると、これは、小田さんの物語、って聞けるし、
女性が聞いている場合、これは、女性の物語、としても聞ける、そういう構造になっているんですね。
まあ、それだけ、共感を得やすい構造になっている、ということですね。
そして、少しずつ、別れに、向かっているということが、語られています。
多分、彼女に会おうとすれば会える場所に来たのに、会わないで、帰ってしまう。
こういうのって、別れの近くになると、ありますね。
なんだろう。会わなくても、いい、むしろ、会わないことで、ホッとしたりするわけですよ。
そういう感情が動き出しているわけですね。別れが近い、そんなことを、思わせるわけです。
そっとそこに、そのままで、かすかに、輝くべきもの
決しても一度、この手で触れてはいけないもの
かけがえのないモノという表現なんですね。かすかに輝くべきものであり、触れてはいけないもの。
それは、彼女だったり、愛だったり、するんでしょうね。
中学生とか、高校生の頃って、こういう純粋なものを愛しますよね。
純粋なことに、価値を見出す、というか。
まあ、自分が純粋だから、そういうものに、価値を見ようとする、いわゆる自分アゲの一種なんですけど、
まあ、そういうと、ちょっとあれなんですが、まあ、純粋というのは、いいものです。
それが、愛だと、言っているわけですね。
僕は高校生の頃、この歌詞が、とっても好きでしたね。そうか、あれは、自分アゲだったのか・・・(笑)。
でも、あなたが、わたしを愛したように、
だれかが、あなたを、愛しているとしたら、
ああ時は、さらさら、流れているよ
えー、この歌詞なんですけど、僕は高校生の頃から、よくわからないんですよねー。
要は、恋人が、誰かに愛されている、としたら・・・という疑問、自問自答なわけですけど、
その答えが、
「ああ時は、さらさら、流れているよ」
ですからね。
?????という感じで、頭の中が、真っ白というか、よくわからないんですよね。
まあ、むりくりに言うと、
「それだけ、時が、流れたということだよ」
という、無常観に、辿り着いちゃうわけですねー。
どうも、ここが、よくわからない。ニヒリストなんですかねー。
まあ、恋愛にそれほど、嫉妬とか、もちこまない、あっさりとした、
「次の恋愛にも、すぐいけるから」
的な、感じなんでしょうかね。
でも、あえて、感情を書かないことで、強調しているんですね。
つまり、何かを言いたいけれど、言わない、
そこに、意味がある、ということでしょうかね。
夏は冬にあこがれて、冬は夏に帰りたい
あの頃のこと、今では、素敵に見える
そっとそこに、そのままで、かすかに輝くべきもの
決しても一度、その手で、触れてはいけないもの
とうわけで、失った過去の恋愛は、素敵に見える、と言っているわけです。
過去の自分や、恋愛の肯定、ということですね。
そして、その思い出は、そのままで、かすかに輝いてほしい、もう、触れてはいけないものだ、
と言っているわけですね。
そして、同時に、愛とは、輝くべきものであって、純粋なものだ、
ということも、言っているわけです。
これね、女性は、好きになりますよねー。そりゃ。
それで、いて、小田さんのあの声で、まあ、ヴィジュアルも、良かったですからねー。
そりゃ、モテまくりでしょう!
ねー。
こういう、こう、純粋な恋愛、という表現は、オフコースのテーマだったような気もしますね。
その中でも、この「夏の終り」は、せつない、純粋な愛を歌った、名曲とも言える感じですからね。
夏の終りだから、こそ、感じる、夏の良さ、や、冬の良さ。
終わったこと、終わった愛の、良さを、感じているわけです。
そして、その愛や、思い出は、純粋で、誰にも触れられないもの、大切なものだ、と歌い上げているんですね。
終わった恋愛の素晴らしさと、女性の素晴らしさ、
これ、要は、女性アゲの歌でもあるんだなー。だから、女性が聞いていると、小田さんと恋愛したような気持ちにもなるし、
自分がアゲられている気持ちにもなる、という構造なんですね。
だから、気持ちがいいわけです。
だから、みんな、聞いちゃう。名曲に感じる、ということで、男性にも、女性にも、いい曲だ、ということがわかりましたね。
そして、恋愛とは、純粋なものだと、歌い上げている。
そりゃ、誰でも、好きになりますよね、この楽曲。だって、人間は、恋愛するために、生まれてきたんだもんねー(笑)。
「愛の歌」って、人類共通の共感道具ですからね。だから、愛されるわけですよ。
なるほどねー、よーく、わかりました。
愛って、純粋であれば、純粋であるほど、価値をもちますからね。
そういう意味では、愛を褒め上げた、純粋さを、歌い上げた、一曲、と言えることが、できると思いますね。
なるほどー、だから、名曲なんですね。
えー、結論が、出たようです。なるほどねー、名曲には、名曲たる所以があるんですね。
はい。よーくわかりました。
今回も長くなりました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。