趣味は読書。

気ままな読書記録と日々思うこと、備忘録

「日本語が亡びるときー英語の世紀の中で」 水村美苗

2009年08月10日 | 
以前、内田樹先生のブログで紹介していて
興味を持った本です。
親の都合で、著者が12歳で渡米後も
英語が嫌いで近代日本小説を読みまくったり
仏語を勉強したりと、変わった経歴をお持ちです。

その著者が指摘する
英語が<普遍語>というのは、説得力があります。
実際テレビ映像で観る国際会議も、母語ではない英語で
話されているのを多く見かけます。
それに私達が海外に出かける際にも、
国は違ってもとりあえず頼るは英語だと思います。

既に、科学や数学の世界では英語が採択され
英語で論文を書き英語でプレゼンは必須のことなりました。
それを受け、大学の理系では英語の授業が増え
TOEICなど盛んに受験させています。

読みながら、翻訳もなさる村上春樹さんは
どうするのかな~と思いました。
ご自身の作品を初めから英語で書かれたりするのだろうか、と。
う~ん、しないのでは、と勝手に想像しています。

物語というのは自身の中から生み出される物で
それはうんと原初的なものだと思うからです。
ル・グウィンの『ゲド戦記』を読んだ時に
これは原書で読むべきだと思ったのです。
翻訳では生かされない普遍的なもの、根源的なもの、
(「日本語が亡びるとき」の中では<テキスト>と表されていましたが)
その母語が持つ言葉こそに大きな意味があり
それを学び、自分の物にするためには
やはり<優れた翻訳>というものが必須なのだと思います。

子どもの頃から翻訳物に多く親しみ
英文学を専攻しましたが
一番読みたいと思ったものは露文でした。
でも、ロシア語を勉強する勇気が持てず
安易に英語に走ってしまったと思っていました。
でも、水村さんのこの本を読んで
案外その選択は間違いではなかったかも、と思いました。。