大震災で7万本の松の中で奇跡的に残った高田松原の一本松の現在の姿です。
震災後、奇跡の一本松として皆さんから支えられ、また復興のシンボルとして保護されてきましたが、残念ながら寿命が尽きてしまいました。陸前高田市では、心の支えとなった一本松をモニュメントとして残すことが決まり、間もなく保存のための裁断作業が始まります。
工事の開始にあたって、これまで、関係者しか近づくことができなかった一本松を、8月中旬から一般の人にも開放し、間近で見学ができるようになりました。樹齢300年とも言われています奇跡の松を近くで見てきました。
写真は、しおさい橋(平成6年に造られた大津波にも耐えて残った橋)のたもとにたたずむ一本松です。一本松の後方にあるのは、破壊されながらも一本松を津波から守った水門管理棟の建物です。
しおさい橋の陸側からみた一本松です。古川沼の水門(右側)と、その水門をコントロールする管理棟が、孤高の一本松を際立たせています。
間近で見る一本松は、葉が赤くなっているものの、真直ぐな美しい樹形で青空に映えていました。
しおさい橋からみた高田町の現在の姿です。左側の二階建ては、高田松原ユースホステルで、その後方に9階建てのキャピタル1,000(ホテル)がみえます。古川沼のたもとには、いろいろなレジャー施設がたくさんありましたが、今は一面ヨシやアシ、雑草に覆われています。
大津波にさらわれた陸前高田の荒涼とした大地に、夏草が生い茂り、その中に一本のひまわりが奇跡の松を見つめていました。
東日本大震災を永遠に忘れることなく、復興のシンボルとして一本松が毅然として、高田町や気仙町を見守ってくれたおかげで、瓦礫の整備も何とか進んできています。今後は、住宅の再建や街並みの整備、暮らしの基盤となる農林・水産・商工業などの産業の再生化の課題があります。モニュメント保存される一本松だけでなく、人と自然が調和・共存できる道筋を探すかのように、「ひまわり」が一本松や私たちに問いかけているように感じました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます