大小迫 つむぎの家

よみがえれ!大小迫の里山。 人と人、人と自然をつなぎ、つむぐ「つむぎの家」

里山散策と山野草の会

2011年04月24日 | 震災と復興

1週間前の出来事です。その前の週に初めて実行した里山散策ツアー。大小迫の春満開の4月17日、その第2弾?が、実行されたようです。その時の写真が入ったSDカードが、郵送されてきました。

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大小迫の春が、あちこちで花開いていたことがわかります。

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どちらかがイワウチワ?電話での説明、色と形状だけだと、どちらが何だかよくわかりません。珍しい花のようですが…

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これらを、天ぷらにして食する!のがこの時の散策ツアーの目的♪

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避難所からは、引っ越しが決まったという2人の姉妹が参加してくれました。

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あっ、何かみつけたかな?

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あとの参加者は、大小迫を支えてくれている地域の方々。

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みんなで収穫。何かしら食せるものが、きっとあちこちにあったのでしょう。

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真ん中に天ぷらが見えます。いいですね~。

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ヤマトも何かおこぼれを貰えたのかな?

引っ越しが決まった姉妹、この後綾里を離れることになるのかもしれませんが・・・育った地域がこんな素敵な場所だったこと、心のどこかに記憶しておいてもらえると嬉しいですね。


里山散策ツアー

2011年04月12日 | 震災と復興

昨日で1ヶ月。日曜日に来た母からの電話です。

●避難所に行く●

つむぎの家を何とか役立ててもらえればと、この1ヶ月地域の窓口や社協に足を運んできましたが、どこも反応がいまいちでした。いろいろと事情があるのだろう、あまり出すぎても…と考えてじっと待っていましたが、この日曜日はとても穏やかなぽかぽか陽気。里山では一気に春の芽吹きが見られます。じっとしていられず、自然の営みに背中を押されるように、コミュニティセンターに足を運びました。

ちょうど朝の新聞で、エコノミー症候群の記事を見たばかり。綾里の避難所生活者は93名という記事も同時に見ました。整備されたての里山で、思いっきり手足を伸ばしてもらえないかな、なんて少し考えながら。

窓口では相変わらず反応が薄かったのですが、たまたまその場にいた方の口添えで、直接避難所で呼びかけることになりました。

今週から、瓦礫の行政撤去が始まるとのことで、越喜来の義兄も毎日のように家のあった場所に確認に足を運んでいましたが、綾里地区でも同様で、日中の避難所にいる方はそれほど多くはありませんでした。

里山を見学しませんか?という声かけに、反応はまちまちでしたが、それでも大人の女性がおひとり「行こうかな」と言ってくれたのをきっかけに、近くでぬり絵をしていた小学2年生の女の子2人もついてきてくれました。

●里山散策ツアー●

小学生は、偶然にも以前に散策に来てくれた子供たちで、その時に目にした「もずのはやにえ」を良く覚えていてくれたのも、ツアー参加のきっかけとなりました。(12月12日の記事-自信作「わたしのころ柿」と里山散策-http://blog.goo.ne.jp/yukitixyann/d/20101212

里山で最初に飛び込んできたのは、オオイヌノフグリ。子供たちは青いじゅうたんに目を輝かせ、「ね、これ何?」と尋ねてくれるままに植物の名前を答えていたら、そのうち「ハカセ」と呼ばれていました。

「ハカセ~」と呼ばれ、植物の名前を聞いてはお父さんが持たせてくれたカメラで写真を撮り、樹に登ってみたり、少し広い場所では側転をしてみたり。ひとりは、お母さんを亡くされたそうですが、自然の中で溌剌としている姿に、複雑な気持ちになりながらも、やっぱり眩しい笑顔に、こちらが元気をもらいました。

最後に、みんなで氏神様でお祈り。何をお願いしたの?と尋ねてみると、ちょっと勿体ぶりながら教えてくれた言葉が、

「みんなが元気になれますように」

瞬間、グッとこみ上げるものが…。

ばっけ(ぼっけ)(←ふきのとうのこと)を4人でたくさん摘み取りました。味噌炒めにして後日避難所に届ける約束をして別れました。

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※モノレールと桜、多摩の春の代表的な風景です。写真のないブログも寂しかったので、私の今日の通勤風景を載せてみました。

○古時計○

前回の記事の古時計のエピソード。父の話を聞き「すごい!」と思う反面、ん?とうとう疲れで幻覚でも見るようになったか・・・と、実は半信半疑ながら、記事に載せたのですが・・・

母の話でも、避難者が集まる中でその音が響き、その後息を吹き返して時を刻み続け、きちんと時刻を音で知らせてくれていることがわかりました。疑って失礼!

地震で復活した命。古時計が新たに刻み始めた時間を、一層大切にし続けることが、私たちに課されているような気がします。


珍事発生

2011年04月08日 | 震災と復興

昨夜の余震、東京でもだいぶ揺れを感じました。火事、倒壊、怪我人・・・私たちの目や耳に入って来る情報は、どうしたって心配してしまうようなものばかりです。大船渡でも震度6弱。ですが、つむぎの家は無事です。

公設電話を使って、昼間に父から連絡がありました。

●余震とその影響●

3月11日の地震に比べると揺れた時間は短かったものの、非常に大きな縦揺れでした。震災により一部が落ちた蔵の土壁はさらに大きく崩落しましたが…木造の家の中では、特別に物が落ちたり倒れたりすることはなく、唯一落ちてきたのは、母屋の天井の煤。しばらく囲炉裏が大活躍だったせいか、震災の日よりもたくさんの煤が落ちてきました。

※3月27日時点の蔵の内壁

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※外壁が一部落ちた蔵(3月27日時点)

津波注意報の発令により、夜中でしたが10人強の方が母屋に避難して来られました。注意報が解除されるまで、しばしの時間を過ごしました。

そして今回の余震でインターネットも使えなくなり、大船渡合同庁舎のPCは一時的に仕舞われてしまいました。停電が起き、固定電話はもとより携帯電話も今朝から使えなくなりました。連絡手段もあっという間に限られてしまい、束の間の便利?な生活は一時中断となりました。

●珍事いろいろ●

避難者が集まった夜中の1時頃でしょうか。突然「ボーーン」という音が母屋に鳴り響きました。懐かしい、そして聴き慣れた音ではありましたが、でも鳴るはずのない音。一瞬耳を疑いました。

見ると、長い間動かなくなっていた、“おかみ”(神様のいるお部屋)の振り子時計が、動いているではありませんか!

どうやら、今回の余震の揺れがきっかけ?で、振り子が動き出したようなのです。慌ててゼンマイを回しました。そうして今は、すっかり何事もなかったかのように、時を刻んでいます。

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※おかみの振り子時計、3月27日にアップした震災10日後の写真の中に、発見しました。写真ではわかりにくいですが、私が知る限り、数年間時を刻むのを止めていたはずです。止まったきっかけはわかりませんが、素人修理では動かず、長い間そのままの状態で飾られていました。

地震で電気が消え、津波の不安にかられ。そんな中、地震により芽吹くものがあるとは、想いもしませんでした。う~ん、摩訶不思議。

さて、珍事その2は、母の行動です。

避難者も帰宅した朝。落ちてきた煤で汚れた家の中を掃除しようと、掃除機を取り出し、コンセントを伸ばし、スイッチを入れ・・・

いやいや、電気が止まっていますから、動くはずもありません。「あらやだ~」と一言。

その次には何を思ったのか、溜まった汚れ物を洗濯機に入れ、スイッチを入れようと!!

…束の間でしたが、すっかりと電気のある生活に戻ってしまっていたのでしょうか。解らなくもないエピソード。おっちょこちょいの母親らしいですが、きっと疲れもあるんだろうなぁ、なんて思いながら、父の話を聞いていました。


保健師の活動

2011年04月07日 | 震災と復興

災害派遣で、陸前高田に入った妹から、写真とコメントが送られてきました。

陸前高田では、保健師の半数以上が津波で流されてしまい、全国からの保健師チームが活動に当たっているとのこと。妹はその一人として、確か首相が訪問した日も支援に当たっていたはずです。

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左奥の建物が、被災した高田市役所。

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両親は、活動先に会いに行ったようです。顔が見れて、互いにホッとしたことでしょう。

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昼食でしょうか。毎食これだったわけではないでしょうけれど…。寝食も限られた状況での活動であったことが窺われます。お風呂にも入れなかったようで、つむぎの家の生活状況の良さを改めて感じます。

ところで、つむぎの家をボランティアの宿泊拠点にできればという願いは、なかなかかなわないようです。いろいろと難しいことがあるのかな?でももし双方のニーズがあって、単に繋がっていないだけならば、それは勿体ないことだと思うのです。

以下、妹から届いたコメントです。

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電柱の数がどんどん増え、整備されつつある印象はあるけど、まだ手付かずのがれきの山がたくさんありました。

避難所巡りと健康相談をするなかで、涙しながらも「がんばります」という方や、ボランティアに片付けを頼むなんて申し訳ないという方、家が全壊しても遠くの娘さんの家より住み慣れた地域で暮らしたいという方が印象的でした。

遠く離れた横浜からの支援をありがたかられ、少しずつ現実を受けとめながら、前に進もうとする方々も多く、これからももっといろんな支援が必要になるのかなと感じました。

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ボランティアに片づけを頼むのは申し訳ない、というお話。県民性をよくあらわしているのかもしれません。ですが、遠く横浜からの支援を有難がられ…というくだりからは、信頼してもらえるようなシステムや方法さえあれば、もっともっと外からの手を上手く活用してもらえるのでは、という期待も少し。

そして住み慣れた地域で暮らしたい、という希望。阪神淡路大震災の際に、ボランティアで現地入りした時も、同様のニーズを強く感じました。地域や郷土への一人ひとりの愛着が、集まって大きな力になる過程も目にし、いろいろと考えさせられたことを思い出します。

何らかの形で、そのお手伝いができれば良いのですが。

さて、何ができ、何をするのか(…毎回こればかりつぶやいていますね)。


340通のメール

2011年04月03日 | 震災と復興

本日4月3日の、両親からの連絡です。インターネットはまだですので、引き続き、電話で父と母と交互に話されたことを、長女の私がまとめて書いています。

●綾里の気候と状況●

日蔭の空気は冷たいですが、日差しの暖かさは日に日に増し、今日は縁側にいるのが気持ち良いくらいのぽかぽか陽気です。庭の水仙のつぼみも一気に膨らみ、明日にでも開くのではないかという勢いです。

ハウスで育てている苺も、一粒だけ赤く染まり、同居の姉(私の伯母)に食べてもらったところ、 甘くて美味しいと喜んでくれました。季節のエネルギーが凝縮された初物。今年の有難みは、例年とは少し違います。これから、さまざまな初物に出会える季節がやってきます。

そんな春の訪れを、着実に感じる毎日。今日は久々に庭の草むしりをしました。

●メール●

昨日、合同庁舎のPCで、家のPCに届いていたメールを、震災後初めて開きました。娘から開き方は聞いていたものの、時間と覚悟が必要だろうと、まとまった時間が取れるのを待ち、意を決してでしたが・・・

その数、なんと340通!夫婦で一つのアドレスですが、想像以上の数でした。共用PCのため、周囲に気を使いながらでしたが、2時間近くかけて閲覧しました。

そこで、皆さんに多大なご心配をおかけしていたということ、改めて、ではなく初めて、わかりました。すぐ身近に、被災者と呼べる方々がたくさんいらっしゃる中で、自分たちは家も流されず、生活もできています。被災者や避難者だとは、これっぽっちも思っていなかったのです。

自分たちの無事をすぐに発信しなかったことで、こんなに波紋を広げてしまったこと、たいへん申し訳ないことをしたと感じ、反省しました。

すぐにでも返事を書きたいところですが、時間がないのと…それから実は、言葉にするゆとりがまだないことにも、気づきました。応えたい気持ちがあるのに、対応しきれず、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

↑↑ この事態なのに、すぐの答えを望む人は誰もいないから大丈夫だよ、無事が解ればそれで十分だと皆思っているよ、と伝えておきました。

●電話、そしてブログ●

固定電話が通じたという書き込みを見て、早速たくさんの方からお電話をいただきました。お気持ち本当に有難いです。ただ、電話のある新宅よりも、母屋にいる時間が長いため、受話器を取れない方々も多く、こちらも申し訳ありません。

皆さんから、「何か欲しいものは?何ができますか?」というお声をいただくのですが、既にお知らせしているように、物資は溢れかえっています。地域に配れるものは必死に配っていますが、そろそろ仕分けや整理の手間も気にかかるようになってきました。

お話しできた方には直接お伝えしましたが、応援してくださるそのお気持ちだけで十分ですし、気持ち以上に嬉しいものは、今は、ないのかもしれません。

そのような点で、このブログとコメントも、勇気づけられる手段です。思わぬ人の繋がりがあったり、自分たちの暮らしの軌跡を感じることができたり。コメントを書き込もうかと思うのですが、メールの返信同様、言葉や文章にするのは、思った以上にエネルギーを要するようで、有難く閲覧だけさせてもらっています。

皆さま、本当に本当にありがとうございます。

●何をするか、すべきか、何ができるか●

見渡すと、どこでも被災した方々、当事者と言える方々が、いちばん頑張っています。自分たちが被災者かどうかは置いておくとして、今でも「何かできることがないか」と模索中です。焦らず、でも何か行動したいという想いがあります。

明日からは、農作業を再開します。今日から始めようかと意気込んだのですが、カレンダーを見たら日曜日でした。ですので今日は休み、月曜日から、仕事再開です。

皆さんに聞かれる「何ができますか?」。実は私たちも、とても知りたいことです。きっと世界中の多くの人が、同じ想いを持っているのでしょうね。このエネルギーを無駄にせず、実を結ぶ形で維持できるよう、今は適度に動きながらじっくり観察し、そして折に触れ情報発信していきたいと思っています。