綾里と赤崎を隔てている峠付近はなだらかで、電波反射板からも尾根を通って峠にたどることができます。
写真下の雪筋が街道で、ここで合流し、峠に続きます。
峠の頂上(429m)に標識が建っていました。平成8年の道の日に建立されたもので、根元が何やらカジられて窪んでいました。よく見ると、歯形が残っており、クマがかじった後でした。でも、この歯型はだいぶ古いようでした。
標識のすぐ近くに、老杉の大木が立っていました。標識のなかった時代、旅人は峠のこの杉の根元で一休みしたものと思われますが、私たちが峠で間近に目にしたものは、樹皮が無残にも引き剥がされた状態の老杉でした。
不審に思ってよく観察してみると、根元のところが大きく削り取られていました。蜂蜜の大好きなクマの仕業と思われます。真新しい傷で、この老杉の根元にミツバチが巣を作り、その巣を襲い蜜をほじくりだしたクマの痕跡が残っていました。
根元は、写真のように丸裸にされており、上のほうにはクマが登った爪痕もありました。環境省自然保護官(レンジャー)の久保井さんは、「クマは蜂蜜が大好物で、またここにミツバチが巣を作れば、やってくるでしょう」ということで、人の往来が途絶えているとはいえ、昨年の大震災後、道路が津波で遮断された時には、何人もの人がこの峠を通って大船渡の街に行き来したことを考えると、何らかの方策を立てる必要があると痛感しました。
峠を赤崎側に下るところです。途中まで灌木の林の山腹をなだらかに横切っていきます。
灌木の間からは、大船渡湾を隔てて氷上山が垣間見えます。
雪の残る山肌を下りてくると、すぐに大きく曲がりくねった九十九折の路になりますが、昔日の人々が踏みしめた古道に落ち葉が積もり、柔らかく歩きやすい路でした。
灌木の林から、30分ほど下ると杉の植林帯になります。途中、林道が走っており、その林道を横切って、また杉の植林帯に入りますが、その林道脇に、なにやら花が咲いたような樹がありました。
調べてみたら「シンジュ(神樹)の木」で、花のように見えたのは果実のかたまりでした。シンジュは中国原産で、かつて街路樹や養蚕用に植えられたそうで、天に届くほど背が高くなることから、天国の木→神樹と名付けられたそうですが、生育力が旺盛で野生化して各地に繁殖しているそうです。ニワウルシ(庭漆)の別名がありますが、ウルシ科ではないのでかぶれません。
杉林を30分ほど下ってくると、赤崎側の大洞の登り口に着きます。ここには、標識がありました。ただ、舗装道路から少し入った所にあり、気を付けないと見過ごしてしまいそうです。
大洞の登り口のすぐ近くには、国指定遺跡の大洞貝塚があります。標高31mの丘を中心に約20,000㎡が指定されております。この遺跡から200mほどの所まで、今回は津波が押し寄せ、近くの赤崎小学校が波に飲み込まれました。復興計画では、この遺跡の近く(南リアス線の線路を挟んだ山側)に、学校を再建する計画がでていますが、遺跡との折り合いでまだ決定されていないようです。
大洞口から綾里に帰る途中、合足(あったり)という小さな入り江の集落があります。ここも、今回の津波で海岸の漁業施設が壊滅状態になりました(ただ、人的被害はありませんでした)。
この入江の西隣に、太平洋の東方に向いた小さな浜があります。波打ち際まで杉が植林されていますが、この杉林の中、海岸から30mの場所に、波で削られたように岩の先端が丸くすべすべした巨石(高さ1.2m、横幅1.2m、長さ3mほど)があります。明治三陸大津波で海底から運ばれてきた「津波石」だそうです。
今回の津波でも、この杉林の奥まで津波が押し寄せ、植林され育ったこれらの杉も、枝は枯れて赤くなっていました。
地元に帰ってきて、間もなく丸2年になろうとしていますが、まだまだ知らないことがいっぱいです。地域の文化や伝統を「まもり」自然と人、人と人を「つなぎ」・「つむいで」いこうということで「大小迫つむぎの家」を立ち上げ、進めてきていますが、もう少し地域の文化・生活について学んでいかなければとの思いを強くしています。