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大小迫 つむぎの家

よみがえれ!大小迫の里山。 人と人、人と自然をつなぎ、つむぐ「つむぎの家」

綾里川にサケ遡上-その2 震災の爪痕と綾里川-

2012年12月09日 | 震災と復興

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かつては汽水域であった綾里川の河口は、地震による地盤沈下で、常時この橋のあたりまで海水が流れ込んでいます。

水面を遊泳していたカモの集団が、人の気配に一斉に羽ばたき西の空に飛びたっていきました。この水辺には、冬の渡り鳥以外にもカモメやウミネコなどもたくさん居り、さながら鳥の楽園になっています。

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オオバンのつがいは、さざ波に身をまかせゆったりと泳いでいます。

河口近くのこの辺りは、かつては綾里川の清流で水底まで見渡せ、藻や小魚・貝などの姿が見えていましたが、今は海水が入り込み、濁って川底は見えなくなっています。

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でも、少し遡っていくと、川はすぐに浅くなり、サケの姿があちこちに見られます。

産卵のために川を上ってきたサケは、このすぐ上流の「やな」を越えられずとも、ペアになろうと水しぶきをあげて活発に活動しています。この川の中をよく見ると砂利に混じって、レンガや陶器のかけらなど津波の痕跡があちこちに残されています。

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河口から500mの付近です。川を挟んで右手が綾里小学校です。

川の土手の道路は、通学路と言うこともあり左岸のガードレールは新しくしたものの右岸のガードレールは津波で壊れたままです。


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綾里川に架かる橋の欄干も応急橋です。通学時は毎日、スクールガードのボランティアの方々が児童の安全を見守っています。

この橋の袂に眼を移すと、いたるところでサケが産卵の場所を目指して遡上している姿や、一生を終えたサケの姿が見られます。

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あの険しい「やな」を乗り越えて、真水を求めて産卵に向かうサケや、越えたものの産卵場所に行きつく前に一生を終えもの、産卵して務めを終えたサケの死骸などがいたるところにありました。川中の死骸(腐食が進みさけの形も崩れてきています)はまだいいのですが、川岸に打ち上げられた屍は腐食臭が漂いカラスが群がっていました。


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たまたま、「やな」の点検に来られた方にお話を聞くことができました。

「綾里川に横たわるたくさのサケの死骸は、悪臭がして衛生上もよくないし何とかならないんでしょうかね?」と尋ねると、「サケの死骸を小さなプランクトンが食べ、そのプランクトンをサケの稚魚が食べて成長するというように、死骸はごみではなく循環をしているんです」と、子ども(稚魚)の顔を見ることなく産卵後に命を閉じるサケは、屍を卵からかえった稚魚の餌として残していく命の循環のための大切な役割を果たしているということでした。

今年は簡素な「やな」で、サケの採卵をして細々と養殖に取り組むが、川の水量も少なく、養殖施設の復旧もままならず、あと数年で養殖業はやめる予定ということでした。自然の川に戻される喜びと震災被害による養殖業の廃止、なんとも複雑な心境でした。


綾里川にサケ遡上 その1

2012年12月08日 | 震災と復興

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正面の大股山を源流とする綾里川に、震災後2年目の今年もサケが遡上しました。

遡上するサケの姿は、10月頃から見られ始めていましたが、川の水が不足していたため、河口に留まって、水かさが増すのを待って、11月初め頃から上流を目指して上ってきています。

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今、綾里川の下流域には採卵のための簡素な「やな」が仕掛けられていますが、サケは産卵のためにこのやなを乗り越えて、真水を求めて上流へと上っていきます。

(震災前には、河口にふ化場と採卵のための生簀がありましたが、昨年の津波ですべて流されてしまいましたので、仮のふ化施設で養殖に取り組んでいるようです)

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やなを乗り越え、水しぶきをあげながら上流へと泳ぐサケ。

綾里川は、水源から河口まで5kmほどの小さな川ですが、アユが生息し、サケやマスが遡上してきます。

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身体のほとんどが水面から浮いていますが、浅瀬でも必死に上流へ向かっています。

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やなを乗り越えて集まったサケの群れ。

ここで、真水に順応しているのでしょうか?

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やな場から100m上流では、浅瀬の中をオスがメスに近づき、ペアになろうとしているのでしょうか?

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その傍らでは、二匹が寄り添っています。求愛行動?

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こちらでは、メスの取り合いなのでしょうか?水しぶきをあげながら激しくぶつかり合っています。

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産卵の様子は見られませんでしたが、随所でオスとメスが寄り添って仲良くしている姿が見られました。

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一方こちらでは、産卵を終えたサケでしょうか、まだ生きていましたが、静かに横たわっていました。

大震災の津波で大きく変わった綾里川ですが、太平洋を回遊して成長したサケが、産卵場所を求めて母なる川に戻ってきました。途中に障害物があっても全力を尽くして川をのぼり、命を懸けて産卵し、子どもの顔を見ることもなく一生を終える姿はなんとも感動的ですね。


いま、奇跡の一本松は!

2012年08月28日 | 震災と復興

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大震災で7万本の松の中で奇跡的に残った高田松原の一本松の現在の姿です。

震災後、奇跡の一本松として皆さんから支えられ、また復興のシンボルとして保護されてきましたが、残念ながら寿命が尽きてしまいました。陸前高田市では、心の支えとなった一本松をモニュメントとして残すことが決まり、間もなく保存のための裁断作業が始まります。

工事の開始にあたって、これまで、関係者しか近づくことができなかった一本松を、8月中旬から一般の人にも開放し、間近で見学ができるようになりました。樹齢300年とも言われています奇跡の松を近くで見てきました。

写真は、しおさい橋(平成6年に造られた大津波にも耐えて残った橋)のたもとにたたずむ一本松です。一本松の後方にあるのは、破壊されながらも一本松を津波から守った水門管理棟の建物です。

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しおさい橋の陸側からみた一本松です。古川沼の水門(右側)と、その水門をコントロールする管理棟が、孤高の一本松を際立たせています。

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間近で見る一本松は、葉が赤くなっているものの、真直ぐな美しい樹形で青空に映えていました。

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しおさい橋からみた高田町の現在の姿です。左側の二階建ては、高田松原ユースホステルで、その後方に9階建てのキャピタル1,000(ホテル)がみえます。古川沼のたもとには、いろいろなレジャー施設がたくさんありましたが、今は一面ヨシやアシ、雑草に覆われています。

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大津波にさらわれた陸前高田の荒涼とした大地に、夏草が生い茂り、その中に一本のひまわりが奇跡の松を見つめていました。

東日本大震災を永遠に忘れることなく、復興のシンボルとして一本松が毅然として、高田町や気仙町を見守ってくれたおかげで、瓦礫の整備も何とか進んできています。今後は、住宅の再建や街並みの整備、暮らしの基盤となる農林・水産・商工業などの産業の再生化の課題があります。モニュメント保存される一本松だけでなく、人と自然が調和・共存できる道筋を探すかのように、「ひまわり」が一本松や私たちに問いかけているように感じました。


ありがとう!敬子婆ちゃん ~兜小色紙~

2012年04月27日 | 震災と復興

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昨年のお雛様に続き、名古屋の敬子婆(自称)様より手作りの兜色紙100個が支援物資として贈られて来ました。

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数に限りがあるので、綾里小学校の子どもたち一家庭に一つの兜色紙を届けることにしました。

学年を代表して、二年生の教室にて、敬子婆さんからの兜色紙を見せながら子どもたちに手作りの兜色紙について簡単に説明しました。教室の入り口の壁には、昨年の支援物資「和の行事えほんカレンダー」が飾ってありました。

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一人一人の手元に渡った兜色紙に、「ワーすごい!」の歓声があちこちから聞こえました。「写真を撮ってもいいですか?」というと、全員がVサインでポーズをとり、満足顔。

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数日後、2年生のクラス全員(24人)から、敬子婆ちゃんへのお礼の手紙が届きました。

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ブログへの紹介は一部ですが、24人全員が心のこもったお礼のお手紙を書いてくれました。

「心のこもった兜色紙」、敬子婆ちゃんはどんな思いで一つ一つの作品を仕上げられたのでしょうか。「子どもたちが健やかに育ってほしい!」との願いが、手作りの作品から伝わって参りました。その思いが、子どもたち一人ひとりの心にも、しっかりと刻まれたことでしょう。

被災した綾里小学校の施設は、プールと菜園以外はすべて復旧し、震災前の小学校に戻りました。つむぎの家に遊びに来る子供たちも元気に、はつらつと里山を駆け巡っています。地域を超えたたくさんの方々の心温まるご支援に心より感謝申し上げます。


初日の出 ー復興元年ー

2012年01月01日 | 震災と復興

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平成24年1月1日、大震災からおよそ10ヵ月、新しい年が明けました。

午前6時10分、玄関を出て空を見上げると雲一つない快晴、日の出の見える港へとウオーキングすること40分、水平線間際の東の空にはうっすらと白い雲がかかっていました。今年も、やはり水平線からのご来光は無理かと半ばあきらめていましたが、雲が切れ、水平線からの神々しいご来光を拝むことができました。

未曽有の大震災から年が改まり、復興への道のりは、まだまだ遠いですが、朝日を受けた三陸の海には、わかめの養殖いかだが穏やかな海を映していました。

自然との共生と、明るい未来を信じて復興元年のスタートです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。