ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

再発防止策

2010-07-02 07:48:29 | Weblog
「再発防止策」6月29日
 岐阜県内の公立中学校で、中1の少女を裸にし、その映像を10数人に送るといういじめが発覚しました。校長は、『二度といじめが起こらないよう再発防止策を考えたい』と話しているそうですが、そんなことは可能なのでしょうか。
 もし、その校長が「二度といじめが起きない方策」を考え出せたとしたら、それは国民栄誉賞を贈るくらいでは済まない偉大なる功績です。中野区立富士見中学校のいじめ自殺事件以来、今まで20数年間、教育学者や学校関係者がいろいろと知恵を絞ってきているにもかかわらず、再発防止策は発見も開発もされていないのですから。私は、これからも永遠に不可能だと思っています。
 いじめを完全に防ぐことは不可能である、ということを認めること、学校や教委の関係者は、自らそのことを認めるだけでなく、広く世間に訴えることが必要です。そのことが、いじめ問題対策の出発点なのです。
 もちろん、いじめは望ましいことではありません。しかし、いじめはやり方次第で完全に防げるという立場に立ってしまえば、いじめが起きたということは学校や教員のミスということになり、それが、隠そう、大事にならないように「被害者」に圧力をかけよう、多数派である「加害者」に迎合し「被害者」の責任と相殺しよう、という行動への動機づけとなり、結果として被害者をより深く、より長く苦しめることになってしまうのです。
どんなに雰囲気のよい学校でも、どんなに指導力のある教員の下でも、いじめは起こりえるのです。あくまでも、指導力のある教員の下では、発生率が低いというだけのことです。教員の指導や対応に問題がなかったかどうかの調査は当然のことですが、いじめ発生=ダメ教員という短絡的なとらえ方は、百害あって一利なし、です。
 今回の被害生徒の母親は、『許せない。いじめられる側の立場になり、法の下で責任をとってほしい』と話しているそうです。今回のような犯罪と呼ぶ方が適当な事例では、そうした措置も有効でしょう。ケースバイケースで、警察の力を借りることも含めた事後対応と分かる授業の実現、人権教育の充実など広い意味での防止策、カウンセリング体制の整備や校内巡視の実施など狭義の予防策等を組み合わせ、100件のいじめを60件に、次の年には40件にと減らしていくことを目指すと、できるだけ具体的に、できればいつまでにこういう体制をという時期も明確にして話すことが校長としての誠意ある対応です。
 「二度といじめが起きない」などと不可能な約束をし、「約束したのに出来ていないじゃないか」などと、かえって学校不信を強め、校長の言葉を軽くしてしまうような対応は慎むべきです。保護者の批判を、とりあえず逸らすための発言だとしたら、学校の最高責任者としての資質に欠けると言わざるを得ません。
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