ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

古い自分が嫌になる

2024-07-02 08:20:43 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「我が子の担任だったら」6月26日
 論点欄は、『賃上げラッシュの背景』というテーマでした。3人の論者の中で、映画監督上田慎一郎氏のご意見の中に気になる記述を見つけました。『昔は、とにかく仕事に打ち込んで、出世して何かを成すといった「仕事が人生」のような価値観があった。でもそうではなくて、仕事はお金を稼ぐ場であり、趣味や友達と会って遊ぶなどして時間を充実させたいという人が増えてきている(略)「給料は安くてもやりがいはある」という筋立てだけでは通用しなくなってきている』という記述です。
 かつて映画界には、ある作品に惚れ込んで、その作品を世に出すためなら、給料も休みもいらない、私生活を犠牲にしても構わない、という人がいたが今では~、ということです。当然だと思います。自分のことだけでなく、そうした自己犠牲を是とするような考え方をしている者が身近にいたら、「目を覚ませ!お前は間違っているぞ」とアドバイスしてやるのが、社会人として正しい在り方だと思います。
 そう考える一方で、我が子の担任が、「教員の仕事はお金を稼ぐため。稼いだお金で酒を飲んだり、パチンコをしたり、合コンで騒いだりして、人生を充実させたい」という考え方の人物だったらどうでしょうか。
 今日は近くにパチンコ店がリニューアル開店だから学校は休みます、と平然と口にする人だとしたら、どうでしょうか。過重労働は人権侵害、適切な労働管理の下でこそ心身ともに健康な状態を保つことができる、私生活も充実していてこそ余裕をもって子供と接することができる、教員自身が労働者の権利をきちんと行使する手本となる意味は大きい、などと肯定的な目で見ることができるでしょうか。
 確かにふた昔前に比べれば、そうした保護者は少しだけ増えているような気もします。しかし、今でも大多数の保護者は、「うちの子の先生、あまりやる気がなくて困る」と感じてしまうのではないでしょうか。旧型人間の私は、もちろん違和感を覚える方です。もちろん、教員は専門職という立場の私は、教員聖職論に与するつもりはないのですが、それにもかかわらず、どこかに「子供の成長が喜びであり、やりがいだ」というような教員像を描いてしまうのです。
 もし今、昔のように教員採用面接の面接官を務めていたとして、「教職志望の理由は、他の公務員よりも給与がいいことです。長期休業中は年休も取りやすいですし」などと答える若者に好感はもてないと思います。私だけでしょうか。

 

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