ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

カネのかからない、はダメ?

2024-07-14 08:29:30 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「エロ本を読む」7月7日
 ノンフィクション作家河合香織氏が、『夏休みの「体験格差」 人生の豊かさを左右』という表題でコラムを書かれていました。その中で河合氏は、『「子どもに夏休みの特別な体験をさせる経済的な余裕がない」(略)この「体験格差」がいま大きな問題となっている』という問題意識を示されています。
 今、多くの方がこの「体験格差」に言及なさっています。その趣旨は理解できます。しかし、何か違和感を拭えないのです。河合氏は、『体験は楽しいだけではなく、子どもの非認知能力にも関係すると言われていて、人生を豊かに過ごすための武器になりうる』と述べ、『体験が重要と聞くと、親が先回りして多様な体験を用意する教育熱心な家庭もある。だが、「体験」の主体は子どもだ。お仕着せの体験では、その効果はどれほどだろうか』とも指摘なさっています。
 同感です。しかしその一方で、『スポーツや文化の習い事、自然体験や旅行』『長期休暇など休日の登山、海水浴、スキーなどの自然体験は~』などと、特定の「カネのかかる」体験についてのデータを示して、格差を強調なさっているのです。
 矛盾していないでしょうか。論理的に考えれば、非認知能力の育成に関係が深い体験とはどのようなものなのか、子供が主体となって取り組もうとする体験とはどのようなものか、を明らかにし、そうした体験についての格差の現状と課題について論じる、ということになるはずですが、そうした記述はないのです。
 時代が違うのを承知で言いますが、私は、小学生時代には、友達20人ほどが集まり、廃材で2階建ての陣地を作り闘った戦争ごっこ、池での手作り筏擬き、野良猫腹を押して出産させたこと、のり弁だけをもって隣の県まで歩いて探検にいったことなど、カネのかからない体験で、人間関係構築の難しさを学び、世間には我が家とは違う多様な家庭があることを知りました。中学生になると友人とエロ本を見たり、本屋でプレイボーイを立ち読みしようとして「子供がそんなものを見るんじゃない」と怒鳴られたりしました。男の友人と秘かに仕入れた猥談を披露しあい、助平なのは自分だけではないと安心したりもしました。
 バレンタインチョコをもらって有頂天になったものの、お返しをどうするか何週間も延々と悩み、小遣いをはたいて買ったぬいぐるみもとうとう渡せなかったという切ない体験、中3の修学旅行で、自由時間一緒にお土産を買いに行こうと女子から言われ、嬉しいのに何を話したらいいか分からず、不安で断ってしまったことをずっと後悔していました。こうした、「体験」が、私を形作ってきたと思っています。
 山登りをして湖畔でBBQ、海水浴に行って岩場でダイビング、冬にはスキー場でスキー教室に参加し、普段の日はピアノを習い、週1で英会話教室に通う、こうしたことが「体験」なのだとするような議論には違和感を覚えます。もし、これらこそが「体験」だというのであれば、昔の子供の大部分は体験無しで成長してきたことになってしまいます。
 体験は大切ですし、経済力が子供の体験に影響を与えることも間違いありません。でも、あまりにも体験と経済を結び付けて語り過ぎるように思ってしまうのです。子供にとっての体験論は、もっと広い視野で考えることが大切なのではないでしょうか。

 

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