ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

凡プレーヤーは名解説者

2024-07-25 08:33:40 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「二流の人」7月18日
 川柳欄に、越谷市K氏の『一流のプレー二流が解説し』という句が掲載されていました。意味は明瞭、スポーツなどで現役時代に対した実績を挙げられなかった解説者が、現役の一流選手のプレーについて、偉そうに批評するという状況を詠んだものです。関脇までしか行けなかった親方が横綱の相撲を批判する、現役時オリンピックに出場できなかったにもかかわらず、メダリストのプレーを解説する、現役時代に一度も3割を撃ったことがない野球選手が大谷の不調の原因を分析する、そんな状況です。
 私は、この句を複雑な思いで見ました。自分のことを言われているという思いが半分、少し認識不足なんだけど、という思いが半分という感じで、です。私は、指導主事として、多くの授業を見て、指導講評してきました。校内研修や初任者研修、区市の研究部会の授業、都の教育研究員や指導力不足教員の授業も担当してきました。
 初任者や指導力不足教員の場合はともかく、区の研究部会や校内研、教育研究員の中には、いわゆる授業の上手い教員がいました。一方、私自身は、このブログでも再三触れましたが、現役教員時代は授業の下手な教員だったのです。
 つまり、K氏が指摘する「一流のプレー二流が解説し」状態だったわけです。私は指導主事時代に、表には出しませんでしたが、内心ではそのことに引っ掛かりを覚えていました。「そんなに言うなら、お前がやって見せろ」、もし、私に問題点を指摘された授業者が、そう言ったとして、「よし、見せてやろう。名人の技を見て驚くな」と言い返せればいいのですが、実際には相手と五十歩百歩の授業しか見せられないかもしれない、という思いを抱いていたのです。
 しかし、それでは私には教員を指導する指導主事としての資格はないのか、と訊かれればそうではなく、「授業に対する評価と改善点の示唆」については、指導主事の中でも上位の能力がある、という自己評価を下していました。矛盾しているように思うかもしれませんが、そうではありません。
 授業を分析する視点を明確にもち、大切なポイントを見逃さず、多くの「事実」から、その教員の長所と短所を整理して示し、相手が納得できるような表現で伝え、いくつかの選択肢という形で改善の方向を示すことができる、それが授業に対する指導講評力だと考えます。
 現役教員時代から、区の社会科研究会、自主的な活動であった社会科勉強会などで多くの授業に学習指導案作成段階からかかわってきた経験によって、授業について「解説」する力は、授業の上手い教員=一流プレーヤーよりも上だと考えていたのです。要するに、一流のプレーも解説できる二流プレーヤーだということです。
 もちろん私の勝手な自己評価ですから、私をよく知る人からは、「お前は授業は三流、解説は二流だ」と言われてしまうかもしれませんが、授業力と授業についての指導講評力は比例するものではないということだけは言っておきたいのです。名プレーヤー必ずしも名コーチにあらず、凡プレーヤーでも名コーチになりうる、です。

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