ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

矜持

2024-07-16 08:45:34 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「学校にも」7月9日
 植草学園大教授野澤和弘氏が、連載企画『令和の幸福論』で、『強度行動障害の背景にあるのは』という表題でコラムを書かれていました。その中にとても印象に残る記述がありました。
 『成功している事業所に共通しているのは、行動障害を起こす利用者に対するポジティブな価値観をスタッフが共有していること、1人に任せるのではなく、法人がチームとして取り組む体制づくりを工夫していることだ。利用者が行動障害を起こすのは自分たちの支援に問題があるという謙虚さと福祉の専門家としての矜持があることも共通している』。
 そっくりそのまま、学校や教員に当てはまります。「子供の指導に成功している学校に共通しているのは、学習遅進、不登校、問題行動を起こす子供に対するポジティブな価値観を教員全体が共有していること、1人の教員に任せるのではなく、学校がチームとして取り組む体制づくりを工夫していることだ。子供が何らかの学校不適応を起こすのは自分たち教員の指導や支援に問題があるという謙虚さと教えることの専門家としての矜持があることも共通している」。
 しかし、実際にはこの真逆だという学校や教員も少なくありません。授業についてこれないのも、飲酒や喫煙、万引きなどの非行を繰り返すのも、子供が悪い、家庭がなってないと考え、そんな子供を担任させられた自分は運が悪い、と思っている教員は確実にいます。問題となる子供を担任している同僚に対し、「大変だよな。本当に○○先生は運が悪い。自分は問題のないクラスでよかった」と他人事として捉えている教員もいるはずです。
 自分の指導を振り返り反省する習慣をもたず、子供からでも保護者からでも、同僚教員からでも管理職からでも、批判を受けると反発するばかりで、自分が被害者のように思いこむ、そんな教員も少なくありません。
 不登校気味のAさんは、スクールカウンセラーにお任せしよう、ヤングケアラーかもしれないBさんについてはスクールソーシャルワーカーさんがなんとかしてくれるはず、などという教員としての使命感や矜持に欠ける人もいるはずです。
 私はとくに、この「専門家としての矜持」がポイントになると思っています。自分を専門家と意識することが、教員にとって不可欠だと思いますし、こうした意識を植え付けることが教員養成・研修の中核をなす目的とされるべきだと考えます。こうした自覚があってこそ、他から強制されるまでもなく、自分で課題や目標を決め、自己研鑽に励むことができるのですし、自分に謙虚になることもできるのです。
 野澤氏の言葉を噛み締めたいものです。

 

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