ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

その場しのぎ

2011-06-16 07:57:31 | Weblog
「分かってはいるが」6月13日
 前回も紹介した「失敗学」の創始者である畑村洋太郎氏を、翌日の夕刊でも取り上げていました。その中に、『その成果の一例が「人間の注意力に頼らない」という原則だ。「周知徹底」「教育訓練」「管理の強化」-失敗学においては、これを「効果の薄い3大失敗対策」と位置付けている』という記述がありました。
 複雑な思いです。私自身、そうなのではないかと薄々感じていました。一方で、私が指導室長であったとき、議会答弁や保護者説明会など、「公」の場において、しばしば「研修を充実させていくとともに、周知徹底を図っていく」「校長や副校長を指導し管理を強化していく」などという言い回しを使ってきたからです。便利なのです。こうした言い回しは。
 教育行政も他の行政行為と同じように、組織で意思決定をし、予算の裏付けがあってはじめて実施することができるという性質をもっています。しかし、事故が発生し、緊急にその対策が求められているとき、そんな悠長なことはしていられません。そして、自らの権限で狭義の事故対応を終え、今後の再発防止策が求められたとき、「まだ再発防止策までは手が回りません」というのが実態であっても、そうは言えないのです。そんなことを言えば、火に油を注ぐようなもので、議会や住民の怒りをかってしまいます。内部の意思決定もなく予算もないとき、「周知徹底」「教育訓練」「管理の強化」という決まり文句が役立つのです。「具体的にはどうするんだ」と追及されても、「関係主任の研修会を開催し~」「臨時校長会の場で~」「直ちに注意事項を掲載した文書を各校に送付し~」というような決まり文句で切り抜けることができるのです。
 つまり、「失敗学」がいうところの「効果の薄い3大失敗対策」とは、本質的な問題解決ではなく、当座の責任逃れ、追及をかわすための「対策」でしかないのです。そして、時間が経ち、その問題にかんする関心が薄れ、新しい問題が発生して皆の関心がそちらに移り、「周知徹底」「教育訓練」「管理の強化」の結果はどうなったのか、という検証を迫られることもなく、やがてうやむやになっていくのです。そうした意味では有効な策かもしれませんが。
 もちろん、悪いのは私のように「一時逃れの誤魔化し」をした担当者です。しかし、これにはやむを得ない面もあります。一担当者の心掛けでどうにかなるというレベルの問題ではないのです。事故や事件が発生したとき、性急に犯人捜しや原因明示を求めるのではなく、一定の時間を与える代わりにきちんとした分析と対策を求めるという「文化」を社会全体で共有することが必要なのです。失敗を生かし、再発を防ぐには、組織が変わるだけではなく、社会も変わらなければならないのです。
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