ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

申し訳なかった、が出発点

2024-08-10 08:24:42 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「時代は(悪い方に)変わった」8月3日
 『花火中止「燃えかす」火種』という見出しの記事が掲載されました。『夏の風物詩として人々を楽しませてきた花火大会。だが、中止を余儀なくされるケースが各地で相次いでいる』ことの現状を報じる記事です。
 記事では、中止に追い込まれて花火大会の事例が列挙されています。『鳴門市納涼花火大会(略)近隣住民から花火の燃えかすによる車の汚れなどに関する問い合わせが17件(略)会場付近には新たな住戸の建設が進む住宅街があり、屋根にソーラーパネルを設置する家々が増えた(略)パネルに関する相談は寄せられた』『船橋港親水公園花火大会(略)会場付近の港に停泊するプレジャーボートに汚れや焦げ付きの被害があった』『狭山市の納涼花火大会も、住宅や道路、車への燃えかす飛散』『兵庫県三田市の「三田まつり」(略)燃えかすが周囲の森林に落ちて火災を招く恐れ』などです。
 こうした状況について、『おもちゃの花火を公園でやるのでさえ苦情がきます。花火大会の音がうるさくて勉強できないという人もいます』『何十年も続く歴史のある大会だってあるので、それぞれの事情にしっかりと目を向けていく必要がある』などの関係者の声が紹介されていました。
 何だか腑に落ちませんでした。記事ではあからさまには書かれていませんが、全体のトーンとして、「人々が様々な権利を主張するようになってきて、花火大会の開催が難しくなってきたが、歴史のある大会を続けられるようにしっかりと対応していく必要がある」という主張に受け取れたからです。そうなのでしょうか。
 もちろん、そうした面は否定できません。しかし、様々な要求や注文を出す人々を、クレーマー予備軍のように見る感覚を感じ取てしまうのも事実です。そうではなく、今まで、夏休みは受験勉強に集中できる期間で勉強したかったのに、花火大会で妨害された。文句を言いたかったけれど、周囲には楽しみにしている人もいて、おかしな奴と思われそうで言い出せなかった、最近、花火大会に批判的な人が注文を口に出すようになってきたのでやっと言うことができた、という人がいるとは考えられなかったのでしょうか。
 夜、花火の音で安眠出来ないという人や、飼い犬が興奮して鳴くので近所の手前困ったという人、どこにも苦情を言えず屋根に落ちた燃えかすを自分で取り除いていた人、道路の掃除を黙々としていた人、そうした人の善意による我慢、周囲の無言の圧力を受けての忍耐、そうした声を上げることが難しかった「被害者」がようやく声を上げることができるようになった、という捉え方は出来なかったのでしょうか。
 1000人の人が楽しみにしているのだから、10人の少数派は我慢すべきだ、確かに大変だが365日に中の1日くらい我慢すべきだ、という考え方は多数派の前に少数派は屈服しろという暴言だという認識が必要です。
 人は、今まで継続してきたものについて、継続させることが当然で変えようとする者の方に問題があるという考え方をしがちです。問題があるならば、なぜもっと早くに言わなかったのだ、と責めがちです。しかし、それは難しいことなのです。特に、同調圧力が強い我が国では。
 学校の部活について、今、教員側から様々な問題点が指摘されるようになってきています。部活も長年続いてきました。変化を望む教員に対して、多くの生徒と保護者が継続を望んでいるという人は、花火大会を楽しみにしていいる人がいるのだから続けるべき(=少数派は我慢しろ)といっている人と同じであり、教員の声を、なぜ今になって急に言い出したんだと責める人は、時代の空気の大きさを考慮できない思慮の浅い人です。
 部活問題について、変革を望むことは我儘ではありません。今まで我慢させてごめんなさい、ご迷惑をかけて申し訳ない、そんな態度を出発点にすべきだと考えます。

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