ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

「同じ」を見せる

2018-08-18 07:57:37 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「男でなければ」8月11日
 専門編集委員青野由利氏が、『女医にかかりなさい』という表題でコラムを書かれていました。医学部入試点数操作に関する内容です。その中で青野氏は、『いまだに「医者は男」という思い込みが世間にあるとしても、まさか公平なはずの入試で「4浪男子」と「全ての女子」が同じように減点されていたとは。さらに驚くのは、この話に「現状を考えれば理解できる」という声があることだ』と書かれています。
 入試における点数操作は許されることではありません。しかしここではそのことについてではなく、「現場が男性を求める」という指摘について考えてみたいと思います。実は、学校もそういう現場なのです。ご存知のように、小学校では女性教員が多いのに対し、中高では女性教員は少数派になります。なぜなのでしょうか。
 医学部入試では、成績だけに基づいて合否を決めると、合格者は女性ばかりになってしまうと言われていました。女性の方が成績がよいたしいのです。それは教員採用試験でも同じです。女性の方が成績が、少なくともペーパーテストや小論文の成績は、女性の方がよいのです。
 私は、教員は教えることの専門家であるという立場で、数学のペーパーテストの成績がよい者がよい数学の授業ができるとは考えていませんが、世間的には、数学の成績がよい→良い数学教員になる、という図式の方が受け入れられやすいでしょう。そして、中学受験のない小学校よりも、高校受験、大学受験を控えている中高の方が、学力形成が重視されているはずでもあります。そうであれば、中高教員には、採用試験の成績の良い女性がより多く採用されてもよいはずなのに、そうはなっていません。
 まあ、希望者自体が少ないのですから仕方がない面もありますが、希望者が少ないこと自体も不思議な現象です。公立校の教員は、給与や待遇面では魅力ある職なはずですから。2人の子供を産休と育休を上手く使えば、4年間休み続けて育て、職場復帰することも可能なのですから、多くの女性にとって夢のような職場なのではないでしょうか。
 それでもやはり、中高では女性教員は少ないのです。私の教え子の中にも英語教員の免許を取得しながら、しかもとても優秀な人でありながら、教職を選ばなかった女性がいます。ですから、採用者側にも、希望する若者の側にも、女性を忌避する何らかの理由があるはずなのです。
 理由はいくつかあるでしょうが、その一つが「生活指導」であり、もう一つが「部活指導」だと思います。中高では生活指導=問題行動への対応という側面があり、「不良」を力で押さえつけることのできる腕力が期待されているのです。私が教委に勤務していた自治体では、中学校の生活指導主任は全員が男性、それも30代の教員で、3/4が体育の教員でした。力による抑止力路線は明白でした。
 また、運動系部活も、男性顧問が大半を占めていました。女性の顧問は体育の教員だけで、ほとんどの運動部活は、男性顧問でした。もちろん、自身にその運動の経験があるのであれば、男女を問うことは意味がありませんが、男性、それも若い教員は、競技経験がなくても、運動部活の顧問を「押し付け」られるのが常態化していました。つまり、男性の需要が大きいのです。
 私は、中高も今よりもなお女性教員比率を上げていくべきだと考えています。そのためには、「生活指導」や「部活指導」の在り方を変えていく必要があります。また、女性教員が増えることによって、「生活指導」や「部活指導」が変わっていくことになるでしょう。卵が先か、鶏が先かという議論のようですが、両面から変革の動きを作っていくことが大切です。
 学校で、男女が同じように働く姿を生徒に見せることは、生徒の人権意識を高めるためにも重要で効果的なことなのですから。

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