ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

2つの叡智が揃ってこそ

2018-08-30 08:32:03 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「総合力の視点から」8月23日
 『日本のみ修士・博士減少 米英など7カ国調査 研究力衰退あらわ』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『人口当たりの修士・博士号取得者が近年、主要国で日本だけ減っていた』ことが明らかになったそうです。記事では、近年の減少傾向という「変化」に焦点が当てられていましたが、私は別の記述に注目しました。
 『日本の取得者は自然科学に偏るが、他国では特に修士で人文・社会科学の取得者が多く~』という部分です。近年の変化ではなく、我が国では以前から理科系重視が続いていることが、この記述でも明らかになっているということです。私は、「研究力」というような限定的な部分で近年の傾向を憂うのではなく、国としての「総合力」として、人文・社会科学系の軽視問題を考えるべきだと思うのです。
 今、DNAの切断や結合などの遺伝子改変技術が、医療や農業の分野で課題となっています。それ自体は純粋に自然科学系の問題かもしれませんが、社会にその技術を応用し人々の生活の幸福度を増していくためには、人文・社会科学系の能力が求められているはずです。一例を挙げれば、出生前診断の在り方については、歴史的、宗教的、文化的にヒトという存在をどう定義するかということなしに、野放図に技術的な追究だけを続けることは、人類に大きな災いをもたらすかもしれません。それを防ぐために求められるのは人文・社会科学的な叡智であるはずなのです。
 原発、脳死判定、IT殺人兵器開発、など自然科学の視点だけでは考えられない問題は他にもたくさんあります。最近では、米国で「遺伝子サイト」を利用した犯罪者検挙が相次いでおり、プライバシーや人権の視点から議論を呼んでいますが、我が国にとっても、決して他人事ではありません。
 記事が指摘するように、修士や博士号取得者の処遇改善問題は重要です。しかし、この問題を自然科学系だけの問題として対処するのではなく、人文・社会科学的系を含めて考えるべきなのです。そして、それは、単に大学院の問題ではなく、小中学校から継続して行われている国語科や社会科教育の振興につながっていくことになるはずです。私たち教員も、歴史は暗記教科などと言われることがないよう、社会科って楽しい!といわれるような授業を創り上げていかなければなりません。

 

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