ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

のりを超えず

2011-12-23 08:25:50 | Weblog
「矩を超えず」12月20日
 専門編集委員の玉木研二氏が、『あの熱をもう一度』という標題でコラムを書かれていました。玉木氏は、27年前の臨教審を取り上げ、『毎日新聞は紙面を割いて25委員全員の顔写真付き経歴と抱負の弁を載せた。委員は著名な学者、教育者のほか作家、経済人ら多彩な顔ぶれだった。今では考えられない破格の報道ぶりだったが、当時高まった改革機運を映している』と当時の熱気を紹介し、『今は昔、というべきか、この熱さから遠い。受験競争が減った少子化も一因だろう。規制や管理強化策、学力向上策などといった方策は論じられるが、理念が火花を散らすことはまずない~(中略)~何も臨教審を再現する必要はない。ただ、そも教育とは何ぞやというような青臭い議論をぶつけ合った熱さが、やはり要る』と結んでいます。
 全く同感です。大震災と原発事故、ギリシャに端を発した金融先導経済成長モデルの破綻など、今までの価値観が根底から覆されようとしている現代において、「新しい教育」こそが新しい価値観に基づく社会を構築するために不可欠になっているのです。今こそ、玉木氏が主張するように、「教育に関する青臭い議論」が必要なのです。
 そしてその議論は、政治が主導すべきなのです。民主主義社会において、主権者たる国民の意思を代表する政治だけが、新しい教育の目的と方向性を打ち出す権利があるのです。逆に言えば、政治の役割はそこまでです。激論を重ねて磨き上げられた教育像を示し、その運営や方法は、法に則り、専門家の手に委ねるという姿勢が大切です。
 しかし、現状はこの逆の方向に進んでいます。政治は大きな教育の目標を示すことができず、小手先の運営や方法について矮小化された議論を繰り返し、歴史の犠牲の上に学んだ「教育への政治の不介入」という原則さえねじ曲げようとしているのです。
 橋下改革の一つの柱である地方自治改革については、多くの政党がPTやWGを設置して前向きな姿勢を示しています。一方で、もう一つの目玉である教育改革については、どの政党も関心を示していません。ここに我が国の悲劇があります。

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