ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

潔く身を引く?

2018-08-14 08:07:35 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「辞めること」8月8日
 『山根会長に進退一任』という見出しの記事が掲載されました。日本ボクシング連盟の山根終身会長に纏わる様々な問題が指摘され、その進退が注目を集めている件に関する記事です。記事によると、『日本ボクシング連盟は7日、大阪市内で緊急理事会を開き、山根明会長の進退を本人に一任することを決めた』ということです。
 山根氏は、本日辞任表明をすることになるようです。結果として、一連の不祥事の責任を取って職を辞するということで騒動を収束させることになるわけです。大変疑問の残る決着です。
 我が国では、ある組織に於いて不祥事が発生すると、その解明や再発防止策よりも、「誰が責任を取るか」に焦点が当てられ、次に責任の取り方として「辞めるか辞めないか」に興味関心が集まるという傾向が見られます。今回も、ここ数日、山根氏が会長職を去るのかどうかという点に報道が集中した感があります。
 財務次官のセクハラ問題も、理財局長の虚偽答弁も、辞任した途端、メディアの追及は下火になっていきました。私はこうした報道を目にする度に、強い違和感を感じてきました。先に挙げた例は、いずれも自ら辞職を申し出て認められたものです。処分としての免職ではありません。この違いを十分に理解しなければなりません。
 私は教委勤務時代に、不祥事を起こした教員の処分に関する職務を担当していました。体罰でもわいせつ行為でも、該当教員からの辞職の申し出を認めることはありませんでした。辞職を認めた後では、調査に協力させる強制力を失ってしまい、不祥事の真相を明らかにすることができなくなり、当然のことながら適切な再発防止策を立案することもできなくなってしまうからです。
 また、辞職した後に、不祥事の全容が明らかになって免職処分をしようとしても、既に支払った退職金等を取り返すことはできません。あくまでも自主的返納をもとめるだけであり、本人に拒否されれば、裁判によって返還を求めるしかなく、膨大な時間と労力を費やすことになり、しかも全額返還は認められない可能性が高いのです。
 そもそも自主退職を認めるということは、責任の所在を認めさせることなく、「自分は悪くないが、結果として組織に迷惑をかけた」という理由で辞職させるということで、「悪いこと」をした人の罪を曖昧にしてしまう処理法なのですから、悪人の逃げ得を許す行為なのです。
 今回の連盟のやり方は、山根氏に「自ら潔く身を引いた」気骨のある人物という名誉を与えることを交換条件に解任を見送るという取引に他ならず、連盟としての自浄努力を放棄したものです。
 教員の処分に於いても、辞職の申し出はあります。しかしそれは受理せず、あくまでも本人は反省し辞職する意思があるということを処分決定の際に勘案するという扱いであり、辞めると言っているんだからと無罪放免ということはありません。停職3カ月が1カ月になり、処分が決定した後自主的に退職していくというようなケースが一般的です。教員だけのルールではなく、それが当然だと思います。その程度の厳しさがなければ、外部の信頼を得ることはできません。

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