ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

瞳を閉じて

2018-07-28 07:52:19 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「それでいいの」7月23日
 特集ワイドは『電車内化粧 論争再燃』という見出しで、様々な意見を紹介していました。私自身は、電車内で化粧する女性を目にしたことはありませんし、迷惑や不快感を被ったこともないので、特にこの問題について強い思いはありません。そんなわけでごく軽い気持ちで読み始めたのですが、最後にとても気になる記述がありました。
 「盛り鉄女子」という言葉を生み出したコラムニスト東香名子氏は『みんながするのならOKという人が増えている』、『さまざまな人がいる。気分を害するぐらいなら、見なかったことにしよう』、同じくコラムニスト犬山紙子氏は『電車内の化粧も「多様性の一つ」と緩やかに受け止められる社会になる』、新潟青陵大学教授碓井真史氏は『受け止め方に差があることを注意する行為は控えた方がいい。それが現代人のマナーです』と語っていらっしゃったのです。
 3氏が語っていらっしゃるのは電車内化粧についてだけではなく、「ある行為に対して違和感を感じても、人それぞれ、見なかったふりをして注意したりしない」という対応を望ましいものとして評価しているように感じられました。トラブルを避けるための生きる知恵としては理解できますが、本当にそれでよいのでしょうか。
 学校の役割の一つに、公共の場におけるマナーやルールの基本を身に着けさせることが期待されています。例えば、子供を連れて遠足などの校外学習のため電車に乗ったとき、車内で化粧する人、飲食をする人などを見かけ、子供が「先生あんなことしていいの?」と訊いてきたとします。私なら、「よいことではないね。でもあの人には今日特別な事情があるのかもしれない。だから注意したりはしないけど、○○さんはそんなことはしないようにしようね」というような答え方をすると思います。正直なところ、直接注意する勇気はないので。でも、ことの「善悪」はきちんと教えたいと考えてしまうのです。
 でも、3氏の考えによれば、「人それぞれよ。嫌だと思うなら目を閉じて見ないようにしなさい」という指導が正しいことになります。屁理屈であることは承知していますが、こうした態度の先には、車内で暴力を受けている人を見ても、「目を閉じて~」となり、土足で座席に乗っている子供を見ても「目を閉じて~」、店で万引きしている人を見ても「目を閉じて~」となってしまうのではないかと危惧するのです。それらの行為は化粧とは違って明確な犯罪やルール違反ではないか、という反論があることは分かっていますが、化粧と飲食、飲食と飲酒、股開き座りと座席への荷物置き、など違反かマナー上の問題か境界が曖昧で、だんだんと許容される行為が増えてくるように思えてならないのです。そしてやがては、土足も暴行も。学校内でも、教室でいじめを目撃しても、「目を閉じて~」というように。
 先程述べたように、私は小心者ですので、実際に注意することはなかなか出来ません。でも、いけないことだという認識はもっています。これが社会という公共空間を生きる人間として許される最低限のレベルであり、「目を閉じて~」では、社会そのものが崩壊してしまうように思うのですが。

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