ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

あなたがつくるイメージ

2018-08-15 08:04:47 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「一括り」8月8日
 放送作家たむらようこ氏が、『「テレビ」とひとくくりにしないで』という表題でコラムを書かれていました。その中でたむら氏は、『テレビマンといったらみんな同じイメージなのでしょうか。でも、本当はテレビ局の中にもいろんな人のいろんな考えがあります(略)失礼な取材をやらかした番組があれば、襟を正す番組もある(略)テレビ局、あれは何かの象徴ではなく一人一人の考えの集まりなのだ』と書かれています。
 テレビ局を学校に、テレビマンを教員に入れ替えれば、同じようなことが言えそうです。多くの人は、教員について、あるイメージをもっていることでしょう。世間知らず、融通の利かない石頭などというイメージの場合もあるでしょうし、子供好き、聖職者、理想家、自己犠牲的というようなイメージもあるかもしれません。もしかしたら、裏表があり羽目を外すときにはとことん乱れるというのもあるかもしれません(実際に言われたことがあります)。学校についても同様でしょう。
 でも、たむら氏のテレビ論と同じように、学校も多様ですし、教員も十人十色、千差万別です。ですから一方的な決めつけに接すると反発したくなります。私が新卒の頃、教員の多くは名刺を持っていませんでした。社会人なのに名刺を持たないなんてあり得ないと言われたことがあります。その通りです。その通りなのですが、そのことだけをもって教員の常識は社会の非常識などと言われると、カチンときたものです。どの業界にも、その業界だけの常識があるはずだと反発し、言い合いになったこともありました。
 それでは、たむら氏が言うように、「学校」や「教員」としてみるのではなく、一人一人を見てほしいという主張が正しいのかと言われれば、そうではないと考えます。私自身に、医師は、警察官は、銀行マンは、テレビマンはというようなイメージがあり、それは仕方がないことだと思っているからです。何人、何十人という警察官と接することはありませんし、テレビマンの知り合いもいません。
 だからこそ、教員は、自分の一挙手一投足が、教員というもののイメージ、学校というもののイメージを作るということを自覚する必要があると主張してきたのです。ジャージで出勤、サンダルで校内を歩く、子供をお前と呼ぶ、酒場で子供の話をする、そんな行為も教員のイメージを悪化させるのです。それは法では裁かれないものの「小さな信用失墜行為」なのです。

 

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