ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ロン毛ノーネクタイ

2016-10-01 07:34:09 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「気分」9月23日
 プロデューサー残間里江子氏が、『「心機一転」のヘアカット』という表題でコラムを書かれていました。その中で残間氏は、アラセブン(?)の男性の旧友と再会したときのことを記されています。旧友氏は、『そう多くはない残存毛髪をゴムで束ねていた』そうで、『短い髪って体制にくみしたみたいで落ち着かないんだよね。ロン毛は分量的に無理だから、せめて結んでおこうと思ってさ』と語っていたというのです。さらに、旧友氏は、『来年は古希だし、もうひと頑張りするためにはスキンヘッドにでもするかな』とおっしゃってもいたそうです。
 こういう人いるなぁ、と思いました。共産主義に傾倒したわけでも、公権力にひどい目に遭わされた経験があるわけでもないのに、体制側や保守的という在り方に拒絶反応を示す人たちです。こうした人たちは、七三分けといった髪型に拒絶反応を示します。そして、ネクタイやスーツといった服装も好みません。
 私は教委勤務時代にこの反七三、ノーネクタイ、ノンスーツという方々と席を共にすることが多々ありました。それは、人権関係の集会や学習会、職員団体との話し合いなどでした。そこでは、ダークスーツにネクタイをし、髪をきれいに分けた教委側の人間と、ノーネクタイ、ノンスーツの職員団体側が、それぞれユニフォームを着た対戦チームのように対峙していました。私は内心、型にはまることを嫌うと言っている彼らが「反体制ユニフォーム」で揃えていると思ったものでした。
 職員団体の構成員や人権活動に取り組んでいる教員たちと個人的に話をすると、それほど過激な思想をもっているわけではないことに気付かされることが多かったですし、社会常識もあり、私たち教委側の立場や考え方についても普通の評価をいただけるケースもありました。また、失礼な言い方になりますが、団体の主張やテキストに書かれていることをオウム返しに述べるだけで、国旗・国歌や労働法、人権課題についても深く考察されているとは言い難い方もいました。
 つまり私とそれほど変わらない思想、考え方・感じ方をもっているということでした。私は次第に、そんな彼らと私を隔てるものは、実は、ネクタイとノーネクタイ、スーツと非スーツに象徴される「気分」の差なのではないかと思うようになりました。
 堅固な思想信条によるのではなく、「気分」としての反体制、それが彼らの基盤にあるように思えたのです。実はそれがやっかいなのです。論理的な対立であれば、論争の結果、相手を説き伏せることも可能です。理論的に劣っていれば主張を引っ込めざるを得なくなる理屈だからです。しかし、「気分」が原因では、いくら法治国家における法規範を持ち出してもにらみ合いが続くだけなのですから。
 ちなみに私はガチガチのネクタイ・スーツ派でした。退職した今でも、冬はできれば自宅でスーツを着ていたいくらいです。ネクタイも温かくて好きです。襟元をきちんと締める感じがたまりません。「気分」が言動に及ぼす影響はとても大きいのです。

 

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