ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

男には男を、女は女を

2021-11-28 08:46:32 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「偏見助長?」11月23日
 『性被害防止策明文化3割』という見出しの記事が掲載されました。『児童相談所を設置している自治体のうち、職員と子どもが不適切な関係になるのを防ぐためのルールやガイドラインを明文化しているのは3割程度にとどまる』ことについて報じ、課題を指摘する記事です。
  その中に気になる記述がありました。『マニュアルに個別連絡の禁止を盛り込んだり、「職員の居住地を教えない」「原則同性職員を配置する」といった内容を記載したりしている』という記述です。
 児相も学校も、指導的立場にある大人と子供が長時間共に過ごす場という共通点があります。ですから、児相で問題になることは、学校でも問題になるのです。職員による性被害という問題も同様です。だから気になるのです。
 同性職員を配置する、という考え方に問題はないのでしょうか。女児には女性職員を、男児には男性職員を、ということです。一見すると妥当な措置のようですが、そこには、偏見が潜んでいるように思えてなりません。女児に性的な行為をするのは、女性を性的な興味関心の対象とする男性だという思い込みがあるのではないでしょうか。しかし、実際には、女性を性的な興味関心の対象とする女性もいるわけです。女性の同性愛者です。もちろん、男性の同性愛者も。
 そして実際に、男性職員や男性教員による男児への性的な行為は各地で摘発されています。私の知人の元教員も、退職後にスタッフとして参加していた児童活動で男児の裸の写真を撮るという行為で逮捕されました(なぜか、女性スタッフや教員が女児に、という犯罪は聞いたことがありませんが)。
 つまり、「同性職員を配置」という考え方は、児相という公的な機関が、この世に同性愛者は存在しないという前提に立っている、同性愛者の存在を否定している、差別や偏見に加担しているということになるのではないか、というのが私の抱いた疑問なのです。
 差別をしているという意識無しに差別をし、そのことについての自覚がない、それが一番恐ろしいことです。「同性職員を配置」はその一例なのではないでしょうか。だからといって、移動教室で女児の入浴指導を男性教員に行わせるわけにはいかないのですが。

 

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