ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

「柔軟」と「依怙贔屓」

2014-10-09 08:19:08 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「えこひいきとの違い」10月2日
 バンコク支局の岩佐淳士記者が『ルールよりも「温情」?』という表題でコラムを書かれていました。その中で岩佐氏は、『タイ人は法律や規則に「柔軟」に対応する。以前に取材した国軍の元幹部はタイ社会について「タイ人はみな家族だ。自分の兄弟や息子が交通違反をしたら見逃すだろう」と語っていた』と、自らの交通違反を見逃してもらった経験に関連づけて、『ルールより裁量が重視される』タイ社会の現状を紹介しています。
 頭の固い原理原則主義者である私には、タイ社会のあり方は不快です。しかし私は社会学者ではありませんから、このことについては論じようとは思いません。ただ、タイ社会の「柔軟」と「えこひいき」の関係について考えてみたいのです。
 教員にとって、致命的なのは「あの先生はえこひいきをする」という烙印を押されることです。子供も保護者も、「えこひいき」には敏感です。おかしな話ですが、すべての子供に冷たい教員と一部の子供にだけ優しく後は冷たい「えこひいき」教員とでは、前者のほうが評判がよいというのが実情です。普通に考えれば、たとえ一部の子供とはいえ優しさを見せるほうがましだと考えそうですが、そうではないのです。
 横並び意識が強いとされる我が国の国民性だという意見もあるかもしれませんが、程度の強弱はあれ、こうした心理は各国共通のものです。「えこひいき」は学級崩壊への第一歩となります。しかし、タイ社会はいろいろありますがそれなりに機能しています。どこが違うのか、というのが疑問なのです。
 学校における「えこひいき」は、固定的です。あるときには「えこひいき」で得をし、別のときには「えこひいき」で損をするというケースはほとんどありません。一方、タイ社会における「柔軟」は、誰もが得をするチャンスがあります。もちろん、資産家や上流階級の人のほうが得をする機会は多いでしょうが、下層階級の人にもチャンスはあるのです。交通違反をしたときの取り締まり警官が同郷だったり、知人だったりすれば見逃してもらえるというように。
 つまり、ある場面における「えこひいき」は、それが固定的であると考えられているときには耐え難い苦痛ですが、別の場面では自分が「えこひいき」してもらえる可能性があると認識されていると、さほど苦痛ではないと考えられるのです。そうした場合、「えこひいき」は「柔軟」に変わるのです。
 実は、保護者や子供は、「えこひいき」は拒否しても「柔軟」には肯定的なのです。むしろ「柔軟」は、話が分かる先生として求められ、評価されることさえあるのです。話は飛躍しますが、著名人が学校生活を振り返るような企画では、恩師の「柔軟」さにふれるケースがほとんどです。それを「えこひいき」とする論調はみたことがありません。
 教員に「柔軟」さは必要なのでしょうか。私は否定したいですが。

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