ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ファクトを語れ

2018-08-09 08:12:03 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「知りたいのは」8月3日
 『中2自殺「いじめ原因」』という見出しの記事が掲載されました。青森市でおきた中2生徒がいじめを訴えて自殺下地権についての報告書が提出されたことに関する記事です。最初の報告書案で、いじめではなく思春期鬱が自殺の主たる原因とされていたことに遺族が不満を表明し、審議会が解散させられた経緯があります。しかし、ここではその中身や経緯についてはふれません。気になったのは『「寄り添う」事例共有を』という見出しで書かれた記事の解説です。
 その中に、『文部科学省のいじめ調査のガイドラインは「被害児童生徒・保護者に寄り添いながら対応し(略)」よう定めているが、「寄り添う」の基準は明確ではない』という記述がありました。また、同市の審議会の元会長の『寄り添うというのは分かるようで分からない』という言葉も紹介されていました。さらに、新会長は『遺族の知りたいという気持ちに添う意味での第三者性と公正性が大事』と語っていらっしゃいました。
 私はこのブログで、いじめ調査について、いじめが自殺の原因か否かという点に焦点が当てられることに疑問を呈してきました。新会長が言っているとおり、遺族が知りたいことを明らかにすることが最重要視されるべきなのです。では遺族が知りたいのは何かと言えば、自殺するまでに学校内で、いつ、誰によって、どのような状況下で、どのような言動があり、それに対して、いつ、誰が、どのような支援の手を差し伸べ、どのような指導をし、組織としてどのように情報が共有され、教委に報告され、校長は教員に対応を指示していたかという「事実」であるはずです。
 もちろん、調査を続ける中で矛盾する証言が存在し、事実を確定できないこともたくさんあるはずです。その場合はそのまま矛盾する証言を併記すればよいだけです。報告書に信頼性をもたせるためには、調査の結果だけではなく、調査の方法についても報告を受けた者がその適否が判断できるように、面接による聞き取りか、アンケートか、目安箱のような匿名の情報提供なのか、面接は誰が行ったのか、なども明記すべきです。
 膨大な量になるでしょう。でも、無理に集約せず、そのままを報告すればよいのです。そして、自殺の原因の特定は不要です。あくまでも事実を明らかにし、後の評価は報告を受けた者に委ねればよいのです。遺族が、特定の教員の処罰を求めるかもしれませんし、教委や校長を訴えるかもしれません。加害者側に損害賠償や新聞広告での謝罪を要求するケースも考えられます。
 それらへの対応は、実際にそうした事態に直面したときに、それぞれの立場で、誠実且つ正当に行えばよいのです。報告者はその際の証拠となります。報告書の内容をねじ曲げて嘘の記述をしても、裁判となれば、必ず不正は明らかになり、訴えられた側はより大きなダメージを受けることになります。しかし、正確な報告書を作成し、それに基づいて判決が下されるならば、ダメージは限定されたものになるはずです。「寄り添う」とは関係ありませんが、それこそが組織としてのダメージコントロールなのです。
 審議会等が、原因の特定をしようとするから、対立が生まれるのです。事実を明らかにし、事実を元に説明し、謝罪し、関係者に必要な処分をし、改善策を提示する、そこまででよいのです。それが知りたい気持ちに「寄り添う」ことなのです。そこから先は、教委の仕事ではありません。自治体の仕事でもありません。司法の、場合によっては警察の仕事だと割り切ることが大切です。

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