活元運動をお勧めする、整体師のブログです

体は自然の一部であり、季節ごとに特徴があり、調整点が異なります。

“特殊な能力”は必要か?

2011-08-20 20:46:02 | 日記・エッセイ・コラム
最近知り合った女性から、以下のメール(部分)が届いた。

「…昨日お店に、人のオーラが見えるって方がみえました……
特別に凄い方って、割といらっしゃるんですねーー…
羨ましい限りです…」

それへの返信として、以下のメールをお返しした。


以前TVによく出ていた霊能者の江原啓之さんは、自動車の運
転が出来ないと仰っていましたが、その理由は、道路を歩いて
いるように見える人が、現実の人なのか、それとも霊なのか、
咄嗟には分からないので、それが霊であってもブレーキをかけ
てしまうので、普通の人から見れば、『誰もいないのに、何でブ
レーキをかけるんだ!?』ということになり、事故になりやすい
ので、運転が出来ないのだと云うことでした。

なるほど、霊が見えるとそんなとこで困ることもあるのだな!と
、その時思いましたが、どんな事にも長所と短所があるもので
す。

以前考えたことがあるのですが、もしも自分が思ったり願ったり
した事が、すべて直ぐに叶ったら、喜ぶのは最初の内だけで、
そのうち、達成感も待つ楽しみもない状態に耐えられなくなるだ
ろうと思いました。

○○さんは、多分ディズニーランドやディズニーシーに、何度か
行かれたと思いますが、数年前、姪っこ達とディズニーランドに
行ったとき、夜のパレードの後花火も終わると、一斉に、潮が
引く様に人々が帰りはじめました。
それで、どのアトラクションも空いているので、次から次へと
渡り歩いた(走った?)のですが、30分とか1時間以上待って
、やっと乗り物に乗れたり、場内に入れて、アトラクションを楽
しんだ時の、あの感動や喜びがない事に気付きました。
どれも、『何だかつまらない〓』のです。

『ある程度待たされて、やっとその時が来るから、嬉しいし、感
動もするのだ!』と、そのとき気付かされました。

もしも我々が皆、X線で物を見る能力があったら、せっかくの素
敵な彼や彼女が、内部の骨格が見えたり、それこそ内臓が見
えたりしたら、とても“惚れる”事なんか出来ないでしょう(笑)

見えないから良いのです。

私も以前、いわゆる超能力みたいなものに、憧れたことがあり
ますが、今は、身体が元気で、綺麗な景色が見えて、素晴らし
い音楽が聴こえ、美味しいものを味わう事が出来て…という当
たり前の事が、きちんと出来ること、そして自分をより高めるよ
う磨いて、余裕があれば人様や世の中の為に、出来る範囲で
すればよいのだと思っています。

今あるものに感謝して、あるものを生かして使う、とでも云いま
しょうか。

「必要なものは、与えられる」という言葉がありますが、備わって
いない能力は、必要ないか、又はふさわしくないから、備わって
いないのだと思います。

大徳寺さんも、神様に云われたことだとして、「霊能力とか云う
ものは、人間の(つまり、低い次元の)力であって、神の力では
ない。
人を愛するとか云う事が、神の力である…」という様なことを、
その著書「幸長ユキナガ」の中で、書いていらっしゃいます。