最近知り合った女性から、以下のメール(部分)が届いた。
「…昨日お店に、人のオーラが見えるって方がみえました……
特別に凄い方って、割といらっしゃるんですねーー…
羨ましい限りです…」
それへの返信として、以下のメールをお返しした。
以前TVによく出ていた霊能者の江原啓之さんは、自動車の運
転が出来ないと仰っていましたが、その理由は、道路を歩いて
いるように見える人が、現実の人なのか、それとも霊なのか、
咄嗟には分からないので、それが霊であってもブレーキをかけ
てしまうので、普通の人から見れば、『誰もいないのに、何でブ
レーキをかけるんだ!?』ということになり、事故になりやすい
ので、運転が出来ないのだと云うことでした。
なるほど、霊が見えるとそんなとこで困ることもあるのだな!と
、その時思いましたが、どんな事にも長所と短所があるもので
す。
以前考えたことがあるのですが、もしも自分が思ったり願ったり
した事が、すべて直ぐに叶ったら、喜ぶのは最初の内だけで、
そのうち、達成感も待つ楽しみもない状態に耐えられなくなるだ
ろうと思いました。
○○さんは、多分ディズニーランドやディズニーシーに、何度か
行かれたと思いますが、数年前、姪っこ達とディズニーランドに
行ったとき、夜のパレードの後花火も終わると、一斉に、潮が
引く様に人々が帰りはじめました。
それで、どのアトラクションも空いているので、次から次へと
渡り歩いた(走った?)のですが、30分とか1時間以上待って
、やっと乗り物に乗れたり、場内に入れて、アトラクションを楽
しんだ時の、あの感動や喜びがない事に気付きました。
どれも、『何だかつまらない〓』のです。
『ある程度待たされて、やっとその時が来るから、嬉しいし、感
動もするのだ!』と、そのとき気付かされました。
もしも我々が皆、X線で物を見る能力があったら、せっかくの素
敵な彼や彼女が、内部の骨格が見えたり、それこそ内臓が見
えたりしたら、とても“惚れる”事なんか出来ないでしょう(笑)
見えないから良いのです。
私も以前、いわゆる超能力みたいなものに、憧れたことがあり
ますが、今は、身体が元気で、綺麗な景色が見えて、素晴らし
い音楽が聴こえ、美味しいものを味わう事が出来て…という当
たり前の事が、きちんと出来ること、そして自分をより高めるよ
う磨いて、余裕があれば人様や世の中の為に、出来る範囲で
すればよいのだと思っています。
今あるものに感謝して、あるものを生かして使う、とでも云いま
しょうか。
「必要なものは、与えられる」という言葉がありますが、備わって
いない能力は、必要ないか、又はふさわしくないから、備わって
いないのだと思います。
大徳寺さんも、神様に云われたことだとして、「霊能力とか云う
ものは、人間の(つまり、低い次元の)力であって、神の力では
ない。
人を愛するとか云う事が、神の力である…」という様なことを、
その著書「幸長ユキナガ」の中で、書いていらっしゃいます。
「…昨日お店に、人のオーラが見えるって方がみえました……
特別に凄い方って、割といらっしゃるんですねーー…
羨ましい限りです…」
それへの返信として、以下のメールをお返しした。
以前TVによく出ていた霊能者の江原啓之さんは、自動車の運
転が出来ないと仰っていましたが、その理由は、道路を歩いて
いるように見える人が、現実の人なのか、それとも霊なのか、
咄嗟には分からないので、それが霊であってもブレーキをかけ
てしまうので、普通の人から見れば、『誰もいないのに、何でブ
レーキをかけるんだ!?』ということになり、事故になりやすい
ので、運転が出来ないのだと云うことでした。
なるほど、霊が見えるとそんなとこで困ることもあるのだな!と
、その時思いましたが、どんな事にも長所と短所があるもので
す。
以前考えたことがあるのですが、もしも自分が思ったり願ったり
した事が、すべて直ぐに叶ったら、喜ぶのは最初の内だけで、
そのうち、達成感も待つ楽しみもない状態に耐えられなくなるだ
ろうと思いました。
○○さんは、多分ディズニーランドやディズニーシーに、何度か
行かれたと思いますが、数年前、姪っこ達とディズニーランドに
行ったとき、夜のパレードの後花火も終わると、一斉に、潮が
引く様に人々が帰りはじめました。
それで、どのアトラクションも空いているので、次から次へと
渡り歩いた(走った?)のですが、30分とか1時間以上待って
、やっと乗り物に乗れたり、場内に入れて、アトラクションを楽
しんだ時の、あの感動や喜びがない事に気付きました。
どれも、『何だかつまらない〓』のです。
『ある程度待たされて、やっとその時が来るから、嬉しいし、感
動もするのだ!』と、そのとき気付かされました。
もしも我々が皆、X線で物を見る能力があったら、せっかくの素
敵な彼や彼女が、内部の骨格が見えたり、それこそ内臓が見
えたりしたら、とても“惚れる”事なんか出来ないでしょう(笑)
見えないから良いのです。
私も以前、いわゆる超能力みたいなものに、憧れたことがあり
ますが、今は、身体が元気で、綺麗な景色が見えて、素晴らし
い音楽が聴こえ、美味しいものを味わう事が出来て…という当
たり前の事が、きちんと出来ること、そして自分をより高めるよ
う磨いて、余裕があれば人様や世の中の為に、出来る範囲で
すればよいのだと思っています。
今あるものに感謝して、あるものを生かして使う、とでも云いま
しょうか。
「必要なものは、与えられる」という言葉がありますが、備わって
いない能力は、必要ないか、又はふさわしくないから、備わって
いないのだと思います。
大徳寺さんも、神様に云われたことだとして、「霊能力とか云う
ものは、人間の(つまり、低い次元の)力であって、神の力では
ない。
人を愛するとか云う事が、神の力である…」という様なことを、
その著書「幸長ユキナガ」の中で、書いていらっしゃいます。