こ と の 端

散文でロジックを
環境 経済 エネルギー 電気 教育 などの "E" に関するちょっと気になったこと

隠 れ ん ぼ

2011-05-01 06:46:14 | Weblog
原発の是非を論じる時では

最早ない

放射能の有害性は

1945年 

夏の盛りのあの日あのとき

二度にわたって

この国に於いて

既に実証されている

それを繰り返す愚を

もう

これ以上犯してはならない


核の使用目的が

平和利用

という美名を持つ建前になっていたとしても

その方法の選択を誤れば

生命の存続を許さない事態を招く


よく分かっている筈のそのことを

何度も

なんども繰り返す必要は

もう

あるまい

地下資源や核による荒んだエネルギーを

直ちに放棄し

環境に一切の負荷を与えない

あたらしい

理想的な方法を

大急ぎで

見つけ出さなければならない


再生可能エネルギーであるのだから

無害だということはできない

欠陥は複数ある

文明は電気エネルギーの形態に

直流と交流との種別があることを

これまで

一度も弁別しようとしなかった


発電能力だけを足し算という方法で積み上げ

原発の能力を凌駕する

と判断するグループさえ現れるようになったほどである

それぞれに異なった電流の性質を

調整せずに

要素化するというプロセスで

数値だけを比較して

即断するという傾向がこのところ頓に強まってきた


出力が安定しない自然エネルギーを

正しく有効利用するには

二次電源となる蓄電ユニットを

システムの中枢に導入しなければならない

という鉄則がある

それは

経済合理性を失わせ

コストアップを消費者に強要するだけでなく

環境の復元をより遅らせる

という情けない粗末な結果を招いている


蓄電デバイスは一定期間ごとに

新しい別のユニットへと置き換える必要がでてくる

受益者の経済的負担は

これにより更に重いものとなる


シンプルでありながら

恒常性が保たれている電源でなければ

未来社会を建設するエネルギーとはなり得ない

ポイントは即ちここにある

事実関係の繋がりが見えるようになれば

無駄な遠回りを省くことは

十分に可能


問題のカタチが見えていないと

発電能力を対比させるだけで

原発を代替する能力があると単純に思い込む

それが錯誤であることを知らないままだと

いつまでたっても

有効解のある場所へと

辿りつくことはできない

実効なき温暖化対策を

これ以上無駄に重ねてはならない


事実関係の成り立ちを国民が知る段階へと

これから入る時代がやってくる

問題の所在がどこにあるか

を分かってさえいれば

前以て

無駄な行程を避けて通ることができるだろう


資本の浪費は

時間の空費を伴う

損失を減らすには

合理的な方法を選びとらなければならない

判断を

延々と誤ってきたというその経過の重みが

国の劣化と

国民の貧困というこの現実を

生みだしたのだ


未来を建設するためのエネルギーは

環境を汚したり

経済に負担を与えたりするようなもので

あってはならない

自然エネルギーに環境負荷はなくても

有効性 合理性 妥当性

に打ち揃って欠けていたのでは

経済的な負担を 

国民にただ強いるのみ


エネルギーシステムの在り方そのもの中に

問題の種が潜み続けている

禍の根源をなす中心の事物が

埋められているその場所を

文明が正確に突き止めたとき

不具合を取り除くための行為の一切は

容易な仕事へとたちまちにして変化する
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