創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

サヨナラ.私の池田大作-51

2016-11-29 08:53:45 | Weblog

『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
  創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
              2013/7/3 人間の科学新社

おわりに--最強の「婦人部」を検証する
創価学会・公明党を糾すOB有志の会事務局長   古谷博
                                           宣徳寺総代
   ------(P271)---(以下、本文)-------
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◆ 複雑な創価学会組織を概説する
  創価学会組織は、わかりやすく言えば、ピラミッド型といわれる。公称会員数八百万世世帯を有し、その頂点に、最大の権力者、池田大作名誉会長がいる。
 全体の本部機構・事務機構は、会長や理事長が統括しており、基本的な組織構図は半世紀を経ているが、変わっていない。
 創価学会本部の下に、地域としての組織体制があり、日本全国を十三方面(北海道、九州など)に分け、方面の下に県単位があり、更に第一県、第二県、第三県と分割されている。各県の下には、圏、本部、支部、地区、ブロックと称された組織があり、その組織ごとに長,副の役職者が任命される。
 県長、副県長にはじまり、末端の副ブロック担に至る夕テ組織があり、学会員にそれらの役職を与えることは、一種MC(マインドコント口ール)の方策の一つである。
  また、本部中枢機関として壮年部・婦人部・青年部(男子部・女子部・学生部・高等部・中等部・少年・少女部)、教学部、文化本部、社会本部等がある。網の目のような複雑な組織形態は、長年にわたる創価学会のノウハウであり、組織防衛の戦術とも言われ、一般人には分かり難いであろう。

◆ 創価組織最強の「婦人部」とは何か
 婦人部の存在なくして学会を語ることはできない。
 第二次大戦のおり、アメリカのダグラス・マッカサー将軍は、「婦人陸軍部隊」一五万人の活躍もあって戦争に勝利したことについて、「女性たちは一生懸命働き、男性よりも規律正しい。」「私の一番の兵士」と、最大限の賛辞を贈った。
 それ以上に、創価学会の「婦人部」は、ことの善悪はともかくとして数の多さと活動の濃密さでは戦場の兵士をも凌いでいるといえる。
 婦人部員たちを一生懸命にさせた源泉は、本来の絶対的な信仰を基盤として、それぞれ人生を戦い抜いてきたからにほかならない。寄稿された一八名の体験からもそのことが伺い知れる。
 彼女たちは家庭を守る主婦であり、家族を支え、子供たちを育てる母の立場であるが、それすら犠牲にして学会活動に全身全霊で邁進してきたのである。選挙になれば、友人知人宅の訪問、電話による公明党候補者への投票依頼に必死になり、また、センセーのお手紙である「聖教新聞」の啓蒙を精力的に推進し、自らも多部数を取って活動に使う。
 財務では、食費や交通費などを節約をし、中には保険を解約してお金を捻出して納める婦人部員たち。このような女性が何十万人もいるのだから、最強組織と言われる所以である。世界のどこを探しても、こんな凄まじい女性活動家を見つけることは困難であろう。
 エセ指導者の甘言にだまされてはならない
 永遠の指導者・池田大作は、公の場に既に三年有余、現れていない。
 池田大作の時代と支配は終わったのである。
 創価学会婦人部は、本書一八名の赤裸々な体験を読み、真摯に受け止めていただきたい。池田大作の呪縛からぬけ出す機会が今であることを知り、速やかに創価学会から脱会すべきである。
 そして、本来の日蓮正宗の信仰に立ち返り、一生成仏を目指し幸せな人生の再スタートを切つていかれることを切に願うものである。

◆ 婦人部の組織と歴史
  創価学会に「婦人部」の組織が登場するのは、「創価教育学会」(一九四〇年)の時代に遡る。初代牧ロ会長が中心となった教育者の集まりから、日蓮正宗・総本山大石寺の信徒団体を結成し、そこで「教育研究部」「折伏指導部」「青年部」「少年部」、そして「婦人部」が作られた。総会員数は五〇〇名ほどであった。
 昭和二十六年五月、東京向島の常泉寺に於いて、戸田城聖氏が第二代会長に就任した。
 名前を「創価学会」と改称し、折伏大行進の号令を発した。その総会で戸田会長は、婦人部への思いを講演している。
「終戦後、牢より出てきたときは、東京は焼け野、学会も荒涼、そのときにきたのが、柏原、和泉の両女史であり、このとき、広宣流布は絶対にやることを決心したのであります」(戸田講演集上から)と。翌六月、青年部・壮年部に先駆けて「第一回本部婦人部委員会」を開催しているところから、「婦人部」が創価発展の重要なセクションと位置づけられたのである。
 婦人部の特長は、仕事に従事している男性よりも比較的に時間が自由であり、理論的に物事を考え動くというより、感性で受け止めて動くという傾向がある。本部から打ち出されたことに真面目に取り組む姿勢は、組織活動の原動力となり、婦人部の強化こそが組織運営の要となったのである。
 その後、折伏の進展とともに、青年部による“邪宗撲滅”の戦いなどが華々しくなるが、戸田会長は「婦人部長」を組織の第一線に立たせるように常に配慮している。戸田会長が他界した翌年、学会本部の機構が改められ、池田大作総務ら青年部幹部4名が理事に、本部婦人部長に柏原ヤス、青年部長に秋谷栄之助が就任している。
 この年、柏原ヤスが東京地方区から参議院選挙に立候補して当選。国会議員と創価学会の婦人部長を兼任した。
       ---------(275P)-------つづく--

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