『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
2013/7/3 人間の科学新社
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10.法華講員として一家和楽を築く 今村照子
宝浄寺信徒
東京都出身
昭和二七年入信
元女子部部隊長
現法華講宝浄寺支部(支部婦人部長)
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◆ 脳梗塞を克服
主人は前々から不整脈の持病があり、大学病院での検査の結果、カテーテルによる手術を受けることになりました。当日、手術が終わり、長い時間が経ち看護師さんより、「家族の方に連絡を取って下さい。」とのことで、息子と嫁に連絡を取り、三人で医師から話を聞くことになりました。
「心臓手術は成功しましたが、血管に詰まっていた血栓が脳に飛び、脳梗塞を発症しています。厳しい状況で、集中治療室におられます」と、思ってもみなかった、信じられない結果が告げられました。手術の前に「二〇〇件に一件くらい、他の病気や脳梗塞になる場合もあります」と説明を受けていましたが、まさか自分の主人がその一人になるとは夢
にも思っていませんでした。
さっそく、御住職様にご報告申し上げたところ、すぐに御秘附の下附を御許し頂きました。
手術後、二か月でリハビリ専門の病院に移り、そこで一ヶ月のリハビリを受け、退院しました。左半身麻痺、歩行困難等の後遺症を克服し、現在は通常の生活が送れるまで回復させて頂きました。
最初に見て下さったドクターが主人の回復ぶりにびっくりしておられ、また、「御見舞に行った時は、再起不能だと思いましたよ。まさかこんなに回復するとは、今だから言えますが」と言われた方もいらっしゃいます。
大御本尊様の御加護はもちろんの事、御住職様、奥様はじめ、在勤の御僧侶方や講員皆様が主人の回復を祈って、お題目を送ってくださり、暖かい励ましの言葉をかけて頂いたお陰と心より感謝いたしております。
主人の病気を通し、私自身、大御本尊様の偉大な御力を確信すると共に、この御恩にお応えするためには、一人でも多くの方を救うため、折伏を実践する以外にはない!と決意を新たに致しました。
◆ 感謝の折伏を実践
十一月、夫婦で何度もお会いしては、食事を共にしていたさんと蒲田駅の近くでお会いしました。主人の病気の体験などお話し、一緒にお寺に参詣して御住職に会っていただき、折伏することが出来ました。
私は婦人部長の他に班長を兼任しております。みんなでお題目を唱え、異体同心して折伏に励んだ結果、平成二十三年、今村班として三一人の折伏を成就させていただきました。
そして念願であった支部目標一五〇名を見事に達成することが出来ました。
ある日、主人がぽつりと「お前の父親が死んで何年になるかね。」と言うのです。
二十四年の回忌表で調べますと、ちょうど三七回忌に当たる事が分かりました。
十二月はじめ、お寺に法事の申込を行い、一五年ほど会っていない茨城県取手市に住む妹夫婦に連絡を取りました。 以前、法要に誘った時は断られたのですが、今回は快く法要に参加してくれるとのことでした。
当日、二時からの法要前に、妹夫婦と今村家六人で一緒に食事をしました。一五年ぶりでしたが、和やかな雰囲気の中で懇談することができました。寺院に到着し、控室で妹夫婦に「入信したらどうですか」と促すと、「どうしたらいいの」とあっさりと入信を承諾、二人揃って御住職様に御授戒をして頂くことが出来ました。
この時は、長い間、抱えていた両家のわだかまりが消えた瞬間でもあり、不思議な思いと共に、父親から大きなプレゼントをもらった様に思えました。
平成二十四年は、今村班で九人の折伏を成就し、支部目標一七〇名を達成させて頂きました。
◆ 法華講で信心の基本を学ぶ
今、創価学会時代を振り返ると、信仰の目的が「池田先生中心」になっており、御本尊様を拝する姿勢、御僧侶に対する姿勢などがなおざりになっていました。
それまでは創価学会が正しいと確信して学会活動に邁進してきましたが、徐々に「本尊模刻問題」や日蓮正宗への中傷誹謗を知るにつけ、本当に騙されたという複雑な思いで悶々としていました。おそらく、学会員の人たちも同じように悩んでおられると思います。
信仰とは政治活動したり、F票の獲得に血眼になるためではありません。いつの間にか、学会の指導に染まってしまったのです。信仰の目的は、“一生成仏”です。
御本仏日蓮大聖人様に報恩感謝申し上げる「お講」をはじめ、各種行事や寺院参詣の折に、御住職様から御本尊様の偉大なお力、信心の姿勢について御指導をいただいています。
総本山大石寺に参詣し、日蓮大聖人様の御当体である大御本尊様に御開扉をいただけるのですから、こんな幸せなことはありません。
学会員のみなさん、どうか勇気を出して、寺院を訪ねてください。
◆ 折伏は私の生きがい
入信してかれこれ六〇年となりました。
友人や知人にこの信心の話をしていくことが楽しくてなりません。
いつでも、誰にでも、どんな所でも折伏を実践しています。
御本尊様の偉大なお力を、胸を張って堂々とお話できることが嬉しく、これからも生きている限り折伏を実践してまいります。
折伏は私の生きがいです。
----この項おわり----(171P)----つづく--