『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
2013/7/3 人間の科学新社
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10.法華講員として一家和楽を築く 今村照子
宝浄寺信徒
東京都出身
昭和二七年入信
元女子部部隊長
現法華講宝浄寺支部(支部婦人部長)
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◆ 草創期の学会は日蓮正宗の教義を実践
昭和二十七年、母が知り合いの学会員から折伏を受け、私は半年後に向島の常泉寺で御授戒を受けました。その時の御住職様は後の第六十五世猊下になられた堀米日淳上人様でした。所属は、築地支部で支部長は馬場さんという穏やかな方でした。
父は先祖からのお寺に執着しており、私が結婚してだいぶ経ってから入信することができました。実家は天台宗真言系で、長男が立たないという宗教であつたためか、私の兄は、心臓弁膜症でその年の十二月に亡くなりました。
父は、若い頃JR(旧国鉄)に勤めており、大井工場から満州の満鉄事業所に移りました。兄、私、妹の三人が満州で生まれその後帰国、父は地元の小さな町工場に勤めました。
生活は苦しく、両親が一生懸命に働きながら私たちを育ててくれました。父と母は働き者で、水飴の販売、石焼き芋などの行商に精を出していました。私は子ども心にも、売上が良くなるよう御本尊様に祈っていました。
◆ 青春時代も学会活動に積極的に参加
昭和二十六年、創価学会第二代会長の戸田城聖先生の会長推戴式がありました。私の住んでいた大田区は、東京では、学会員が多く、当時の学会最高幹部がたくさんいた地域です。古参幹部では、原島宏治理事長や辻青年部長、「力ミソリの竜」と言われた竜年光さん、池田大作氏もこの地で入信しました。
第二代会長の戸田先生は、「七五万世帯」の折伏を目標に掲げ、折伏大行進と銘打たれました。
草創期の学会は、戸田先生の指導通り、日蓮正宗の信仰を純粋に実践しておりました。
大田区の学会員の生活は決して豊かではありませんでしたが、総本山大石寺におわします大御本尊様の偉大さを力強く語り、新興宗教を破折するなど、凄まじい折伏を毎日のように展開し、意気軒昂でした。
戸田先生は、「悩んでいる人、迷っている人を大御本尊様の元へ案内していくのが私たちの使命である」と常々御指導しておられました。私たち学会員は、戸田先生の民衆救済への情熱と気迫に感動し、人々を救うと共に、必ず日蓮大聖人の仏法を広宣流布するのだという熱い思いでいっぱいでした。
母などは、毎日のように大田区中を駆け巡って活動をしており、私も女子部の活動をしておりました。その当時、地方折伏が活発に行われており、私も壮年、婦人の方々と一緒に茨城県の大洗まで足を運び、折伏に励んでおりました。
ある時、駅のホームで、同行する人たちを探していると、二~三人の厳つい人たちから呼び止められました。
びっくりしたのですが、どうも人間違いだったようです。
それは、後でわかったことですが、満州から日本に留学していた学習院大学生の愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)さんが行方不明になり、新聞・ラジオで探していたのです。私と慧生さんとは年齢的に同じくらいでしたから、間違えたようです。その後、かわいそうに慧生さんは、天城山心中で死亡したとして新聞で知りました。
一九五七(昭和三十三)年でした。同年三月十六日、総本山大石寺に於いての行事にも参加し、戸田先生の病躯をおしての最後のお姿を拝しました。
毎月のように豊島公会堂で行われた戸田先生の“金曜講義”にも毎回参加していました。またお登山の折、古い客殿で開催された質問会などにも参加させて頂きました。他にも学会活動の思い出は、語り尽くせないほどありますが、折伏を中心とした学会活動は勢いがありましたし、楽しい青春時代でもありました。
女子部の班長・区長・部隊長を経験し、その後、結婚いたしました。
◆ 本尊模刻に疑問
主人は、千葉から東京のガラス店に丁稚奉公しながら、独学でガラスの資格を取ったほどの苦労人で、独立して店舗を溝え現在に至っています。
公明党の支援活動や、民音、その他の学会活動をしていましたが、何か創価学会が変わってきていると感じるようになりました。池田氏が、最大の謗法行為である御本尊模刻をしたことを知り、「学会はおかしい」と思うようになり、それ以来、学会活動には参加せず、家で勤行をし、悶々とした日々を過ごしていました。
私がお琴を習つていた先生が近所におられ、娘さんが日蓮正宗の御僧侶に嫁いでおられました。その関係で、学会の謗法行為や逸脱を知り、創価学会を脱会することを決意いたしました。
◆ 創価学会と決別
昭和六十三年四月、宝浄寺の当時の御住職、大村日統上人にお願い申し上げ、創価学会と決別し、一家四人、晴れて法華講員として入講を認めて頂くことが出来ました。
当時、創価学会の蒲田会館を訪問し、応対に出た事務長に家族四人の脱会届を提出したところ、彼は、「今時、わざわざ来て脱会届を出されるとは奇特な方ですね」と言われたりしました。
私たち家族が脱会したことを知り、大田区の幹部三人が訪ねてきました。
「何が嫌で学会をやめるの。いつでもお登山できるフリーパスを出しますよ、役職も付けますから」と条件を言ってきました。
私は、「そんなことではないんです。本来の信仰を貫きたいだけなんです。」とはっきりと断り、同時に我が家を拠点として提供することも終わりにしました。
法華講員として、お寺に通い御住職様から信心の基本を学ばせて頂けることに感謝し、唱題と折伏に励む日々でした。
平成十六年、法華講支部婦人部長の大任をお受けすることになりました。
平成二十一年七月、立正安国論正義顕揚七五〇年記念大総会のみぎり、御法主日如上人猊下様より平成二十七年、三十三年に向けての御命題が示されました。
翌平成二十二年、宝浄寺支部の折伏誓願目標、一七七名が掲げられ、目標を達成したいとの思いから、寺院への朝詣りをはじめました。二月に主人が知人夫妻と妹さんの三人を折伏いたしました。三月には、私がその方のお姉さんと会い、折伏したところ入信されました。
唱題・折伏を実践し半年が経った六月、我が家にとって最大の難が降りかかってきました。
---------(76P)-------つづく--