創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

サヨナラ.私の池田大作-26

2016-11-04 09:06:32 | Weblog

『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
  創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
              2013/7/3 人間の科学新社 
    ------(144P)---(以下、本文)-------

《コラム》②“言論出版妨害事件”の当事者として
                          元聖教新聞社出版総局職員・岩崎文彦・妙光寺信徒
 今から四〇数年前の昭和四十四年頃、創価学会は「言論出版妨害事件」を起こしました。
 昭和三十五年、池田大作は三十二歳の若さで創価学会第三代会長に就任、昭和四十年頃、池田氏は、評論家の高瀬広居氏のインタビューに応え「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」と発言しており、極めつけの慢心状態にあったといえます。
 その五年後、会長就任から約一〇年目、“天下を取る”ことを公然と言っていた時期にこの「言論出版妨害事件」が起きました。公明党を手駒にし、総体革命路線の進展とともに、池田氏は本気で総理大臣になるつもりでした。
 しかし、日本を支配するというシナリオを根本的に狂わせたのが、この「言論出版妨害事件」でした。

◆ 一般書店に圧力をかける
 当時私は、聖教新聞社の出版局で仕事をしていました。私の日常的な業務は本屋さん回りです。
 聖教新聞の本とか、池田の著作本をコーナーに置いてもらったり、啓発していくのが、仕事でした。ある時、業務局に各部局から内々で一九名ほどの職員が集められました。各部局というのは、聖教新聞社職員はじめ、外郭企業の潮等の職員も含まれています。いわゆる、一般書店に出入りしている職員たちでした。横松昭(当時出版総局長)と青柳清(出版局次長)がこの「言論出版妨害事件」の現場実行犯の責任者として私たちを呼び集めたのです。
 横松氏は「実は、藤原弘達が『創価学会を斬る』という批判本を出した。ついては、いろいろ書店を回り、本屋の店頭から引っこめさせてくれ」ということを言われたのです。
 そしてこの一九名は、都内の書店を一軒一軒回り、「創価学会を斬る』本を並べるようだったら、今後は『人間車命』(当時べストセラーで書店では大利益を得ていた)を扱わせないよと言って書店に圧力をかけていきました。
 こうした一連の出版妨害により、各所で問題が噴出しはじめました。民社党(当時)の塚本書記長、共産党の松本善明議員等が国会で追及したのです。さらにマスコミが一斉に創価学会の独善的な体質を追求しはじめました。
 私たちが書店に圧力をかけている実行班の中で、聖教新聞職員の名前も証拠として提出されていますから、逃れようがありませんでした。
 学会本部には緊張が走り、この事件を“法難”と位置づけ、職員全員を集めての“全体会議”が毎月、開催されていました。
“全体会議”というのは、学会本部、聖教新聞、公明党本部、潮、民音等の外郭に勤務する職具、一千名以上が参加して行われる会合です。池田大作は、最初のころは出席していましたが、社会の糾弾が厳しくなつてから、どこかに雲隠れしてしまいました。かわりに、北條会長や秋谷副会長等の最高幹部たちは、自分たちがしでかした不始末は棚に上げ、共産党の謀略であるとか、反学会の攻撃などと取り繕っています。
 最後は学会の得意とする「法難だから、一致団結して乗り越えていこう」と職員を叱咤激励するありさまでした。全く、反省や改善を考えない、独善と狂気の無反省集団が創価学会の悪しき伝統となつているのです。
 許せないのは、池田大作の厚顔無恥な行動と発言です。昭和四十五年五月三日、第三三回本部総会の席上、この「言論出版妨害事件」の責任を取り、池田大作は世間に向け謝罪しました。
 いわゆる、「言論の自由を守る」「政教分離」「量より質的転換」などの約束でした。

◆ 謝罪はウソの演技だった
 二度と過ちはしないと社会に宣言したのに、一〇数年経ってから、一般紙のインタビュ-や小説「人間革命」では、この事件は、一部の人間がやったことと嘘の弁明をしていることです。「嘘も百篇言えば本当になる」とは池田創価学会の常套句になっていますが、無慙極まりない宗教団体に変質してしまいました。
 私自身、書店回りをしていた頃、どこが批判されているのかを確かめるため、藤原弘達氏の『創価学会を斬る』をとことん読んでみました。
 ところが、どこもかしこも、その批判本に書いてある通りなのです。内容を知って、少なからず驚きました。特に「公明党との政教一致が将来日本の民主主義に弊害が生じてくる」との言葉がその通りになっており、日本の政治状況の退廃ぶりは目を覆うばかりです。確かに、“言論出版妨害事件”という歴史の夕ーニングポイントにより、池田大作の天下取りの野望は雲散霧消しました。
  しかし、独善的な宗教政党公明党は党利党略に終始しており、創価学会の利益誘導の役割に汲々としています。日本に“創価毒”を撒き散らしています。
  池田創価公明党は、歴史から退陣することこそ日本国民が希求していることを知るべきでありましょう。
    ----この項おわり----(147P)----つづく--

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