創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

サヨナラ.私の池田大作-29

2016-11-07 08:07:48 | Weblog

『サヨナラ 私の池田大作』--女たちの決別--
  創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著
              2013/7/3 人間の科学新社 
    ------(158P)---(以下、本文)-------
9・原島嵩(元教学部長)の妻として   原島冨久子
      妙縁寺信徒
      東京都出身
      昭和三十一年一月六日入信
      元学会本部庶務部職員
      元女子部部隊長
<3-3>
◆ 妙縁寺で勧誡を受ける
  平成十年、妙縁寺支部の婦人部幹部・内海さんから折伏されました。彼女とは戦後、疎開していた富山から東京に戻った中学三年生の時、初めて知り合いになりました。明るくて賑やかな人で、昼休みになると女子生徒だけでなく男子もおしゃべりに加わり、いつもその中心に彼女がいました。私とは疎遠で、彼女と話しをした記憶はほとんどありません。
 創価学会に入った一九歳の時、友達の多い彼女を折伏しようと思い立ち自宅を訪ねたところ、「私の家は代々、妙縁寺信徒なのよ」というのです。
 でも朝晩の勤行、唱題はしてないというので、基本の勤行を教えながら座談会にも誘いました。そんな縁があった内海さんから、突然「元気ですか! との電話があり、「私は元気だけど夫が…」と話すと、「妙縁寺の御住職に会ってみない」と言うのです。内海さんに連れられて同寺に行きました。
 そこで、光久御尊師を紹介され「間違った題目を何時間唱えても通じないのだよ。早く電源を入れてこちらで頑張りなさい」との指導を受けました。おだやかで慈悲と威厳に満ちた言葉の数々が、当時の私の心に染み込み、即日勧誡を受けることを決意したのです。 それから直ぐに、客殿落慶法要の最後の登山会に参加させていただきました。しかし夫にはその事実を話すことが出来ず、約半年後に意を決し「実は私、日蓮正宗大石寺の信仰をしているのよ」と話すと、「えつ、もう一度聞かせろ」というので繰り返したところ、しばし沈黙した後で「では離婚しようよ」と言うのです。
 夫からすれば常に従順だつた妻が、正信会から黙つて宗門復帰するのは信じ難かったのでしよう。離婚話を聞かされて、私は知恵を絞って必死に考えました。どうしたら夫にわかってもらえるか、と。そして御住職の指導の中にあった、ある言葉を率直に伝えることにしました。
 御住職は常日頃、「嵩さんにはやってもらいたい仕事がたくさんある。早くこちらに来てもらいたい」と話していました。それを伝えたのです。その結果、同年の大晦日、「明日、お寺に行こうかな」というのです。もう嬉しくて、元旦の朝を千秋の想いで待ち受け、電話で御住職に「元旦にお寺に行きたい」と伝えたところ「午後二時にいらっしゃい」との返事。早速、私の母にそのことを伝えると、「嵩さんが決断したのなら、私も一緒に行きます」と。それで平成十一年一月元旦、原島家みんなで勧誡を受けたのです。

◆ 最後の使命は法統相続
 その年の五月二十五日、日顕上人猊下様への御目通りが実現しました。「次々と襲う病魔に悩んでいます」という夫の話に耳を傾けられていた猊下様は、緊張している私達の心を解きほぐすかのように、「現世で出るというのはまだ軽いのです。宿業が重い人は今世では出ません」と言われました。そのお言葉で、夫がどれだけ安堵したかわかりません。
 この御目通りこそが、私達夫婦にとっての大きな節目となりました。
 夫が最後に果たした使命は、法統相続を成し遂げたことだと思っています。
 三度にわたる危篤宣言の中で、二度も乗り越えられたのは息子・大作の存在でした。二度目の同十八年の時、意識不明に陥りました。その時、大作は「僕は原島家の長男として、信心のことについて何一つ教わっていない」と初めて目覚めたようです。そして家に帰り、寝ずに題目を唱えていました。すると翌日、夫の意識が奇跡的に回復し、同二十年までの数年間、父と息子だけの真剣な話し合いが続きました。夫は役割を終えたのか、その年の七月六日に成仏の相で息を引き取りました。私にとっては、結婚五〇年の歳月に終止符が打たれた瞬間でした。

◆ 命の続く限り御奉公
 最後に、主人と一緒に日顕上人猊下様へ初御目通りした時のエピソ-ドを紹介させていただきます。猊下様は私の顔を見るなり、「立派な体験発表をされたのですね」と仰せになりました。光久御住職が事前報告をしてくださっていたのです。私が感激しつつ驚いた表情を浮かべていると、さらに「昔、どこかでお会いしましたよね。覚えがあります」と言われたのです。私には全く記憶がなく、「初めての御目通りです」と答えました。
  ところが家に帰り、記憶を迪りながら調べて見ると、私が本行寺で入信した時に御授戒をしてくださつたのが、今の猊下様だったのです。
  今年、息子の大作夫妻に元気な男の子が誕生しました。原島家の法統相続は、これで安泰となりました。二人の娘にもそれぞれ孫が産まれ、健康に育っています。最近は、しみじみと妙益を感じる毎日です。「月月日日につより給え・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」のご聖訓を胸に、これからも御登山や折伏行、講活動などに励みながら、命の続く限り猊下様の御指南を実践して行きたいと、改めて決意しています。
    ----この項おわり----(161P)----つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする