創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

お笑い創価学会-10

2014-09-22 18:18:01 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈10〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 42
〔テキスト〕
◎池田大作 欲望と被虐の中で   井田真木子(ノンフィクション作家)
──────────────〈中略〉──────── 63~
◆学会二世にとっての“池田先生”
 では最後の主題、池田学会下の二世たちについて話を移そう。
 筆者がモニターした家族の中では、息子と娘が二世に当たる。
「私たちは、生れてきたときからすでに家族ではなかったんです。父は母に話せないことが
あり、母は父に話せないことがある。さらに親は子供に、子供は親に話せないことが山のよ
うにある。これでいったい家族でしょうか。私、物心がついた頃から、いつも死んだら楽に
なるのになあと思っていました。死に対しての恐怖はないんですよ。やはり、宗教教育を受
けていますから。だけど、家族のようであって家族でないものの中で生きるのは、恐怖だっ
たし、苦しかった。死にたかったです」
長女はこう言つて続ける。
「大人は学会をやめて、池田の呪縛から離れても、もどる家庭があるでしょう。でも、二世
の子供は、もどりたい、でも、もどるつてどこへ?そういう感じ。もとから家族ではない
家庭から、どこにもどればいいのって」
とはいえ、二世はいわば他の選択肢なしに学会員として生れた人々だから、ある時期まで
は素朴な池田信奉を保つている。
 彼らの父は当時、すでに池田批判を強固に持っていたが、それを少しでも子供に感じさせ
たら、子供の口から池田にその事実が洩れる。子供に白々しい噓をいうのは父として忍びな
いので、ついつい子供と距離を置き、会話を避けるようになる。
 母は父の心中は知っているものの、自分自身はいまだに熱狂的池田崇拝者だから、父もそ
うであるかのように取り繕いながら、子供には“戸田先生”の後継者である“池田先生”が
いかに偉大かを説き聞かせる。子供たちは口を開きたがらない父を怖れながら、母の内面の
苦悶もどこかで察知しつつ、また、母も父も学会幹部であるという立場上、どんな間違いも
許されないし、万が一、間違いでもあれば、それはすぐさま両親の身に害を及ぼすのだと暗
黙のうちに感じとりながら、非常に神経質な子供時代をおくることを余儀なくされる。
 このような関係に変化が訪れるのは、息子たちが創価学園に入り、いわゆる思春期の揺ら
ぎが始まる一五、六歲になったときだ。
 この家族の息子たちと同様、池田学会二世として生れ、今は、学会をやめた人たちは、そ
の揺らぎが訪れるまでは、自分たちの心理は実に素朴なものだったという。
 創価学園出身の二世の一人はこう言う。
「中学に入りたての男の子なんて、半分くらいはわかるけど、半分は難しくてわからない理
論をふりかざされると単純に、凄いなあと思ってしまうんですよ。池田はそこがすごくうま
い。半分わかる。でも半分はわからない。だから“池田先生”は凄い人だということになつ
てしまう」
 また別の創価学園出身の二世はこう言う。
「うぶな中学生だったら一発で憧れてしまうようなすごい美人の先生なんかがいるわけです
よ。そういう先生が、顔面紅潮させて、今日は“池田先生”が学校に来て下さいました、み
んなでお話を聞きにいきましょう、なんて言う。ぞろぞろと講堂に行くと、“先生”はそこ
でピンポンをしている。なんか変な光景だなとは思いますよ、当然。
 でも、“先生”がー言、暑いなと言うと、クリームソーダがさつと出てきて、“先生”は半
分ぐらいそれを飲むと、美人の先生にグラスをわたすわけ。そうすると、先生はそれを高々
と掲げて、これが“先生”のお飲みになったクリ—ームソーダですって叫んでさ、恭しく口
をつけるわけ。で、そのあと、ソーダが僕ら全員にまわってくるの。
 僕は、その美人の先生が口つけたところはこのあたりだったっけ、なんて思いながら、チ
ュッとか口をつけましたけどね」
 よく考えれば、そういう素朴な中学生の行為も、学会の細胞のひとつとして機能していた
わけである。
 創価学会が教育機関を持ったということはある意味で面期的なことだ。それは二世の囲い
込みであり、子供を人質にとるというもっとも効果的な会員の掌握策にして、子供によって
親の行状を知る、新しい密告回路の開設である。また、池田は、若い人材を他の国立大学な
どに合格させたのちに、それを蹴らせて創価大学に入学させることを頻繁に行ない、創価教
育機関の優秀性をアピールした。
 そして、東大や京大を蹴って創価大学に入った優秀な人材は、世間の風に当たらぬうちに、
卒業後すぐ本部職員に採用される。
 創価学園の開設が池田体制下の昭和四三年であることを考えると、この教育システムを作
るにあたっては、彼は、批判者が池田にはそれがないと言い続けてきたオリジナリティを十
分に発揮したといえよう。彼は自らのようにな“外”の規範に曝されず、学会という閉じた
空間でのみ育成される人材を増殖させるシステムを考えついたのだ。
 しかしそのなかでも、いわゆる思春期における価値観の揺らぎとともに、池田への疑義を
持つ二世が生れ始める。そのとき、それまで素朴な信奉しか持ち得なかったぶん、学会と池
田に対する疑問が生れ、すでに高度成長期まっただなかの“外”の世界には、学会員になる
以外の選択肢が溢れんばかりにあることを知ったときの、彼らの懊悩にははかりしれないも
のがある。
 ちなみに、学会をやめることを、二世たちはS(学会のこと)をぬけると言う。彼らの悩
みや苦しみは、単に親が信じ、生れたときから彼らが信徒であった宗教を、自分が大人にな
つたときあらためて選び取らなかったという単純なものではない。彼らの悩みは、いわば亡
命者の悩みと同等に思える。
 そして、彼らは、Sをぬけたのは、もうせ昔のことですからとさりげなく話そうとはするが
話し込めば話し込むほど、彼らの学会と池田に対する思いには、単純にわりきれないものがあ
ることが感じられる。
 それは、自分を迫害する故郷から亡命してきた人たちが、迫害の事実については、はっき
り認めるものの、どこか生れ故郷に対する愛着を振りきることができないアンビバレントな
感情、具体的にいえば、あえてすベてを振りきつて再生したい思いと、振りきることによっ
て、生れてこのかた、たしかに自分の中を滔々と流れ自分の人格を作り上げた十数年と、わ
かちがたい家族の思い出をすベて否定することになる哀しみの間を行きつもどりつする感情
に近いものがある。彼らがまるで亡命者のように見えるというのは、そういう意味である。

────(~67頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく) .

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
      疑うは……魔の働き・地獄ゆき…で50年

◆創価の真相1/3

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