創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

お笑い創価学会-6

2014-09-13 09:32:29 | Weblog
○お笑い創価学会・信じる者は救われない〈6〉
  池田大作って、そんなにエライ?  佐高信VSテリー伊藤  知恵の森文庫 光文社
──────────────〈中略〉──────── 42
〔テキスト〕
◎池田大作 欲望と被虐の中で   井田真木子(ノンフィクション作家)
 なによりもまず最初に、本稿の主題を具体的に明らかにしたい。
 このような当たり前のことをわざわざ断るのは、この原稿が対象とする池田大作と創価学
会が、政治、経済、宗教としての機構、教育、地域社会、家族、個人の機能、また物心両面
の要素すべてが重なり合う領域に位置して──あるいはひとつの領域から別の領域へ無原則
的に侵入して──戦後五十余年の長きにわたり規模拡大を続けたため、それらすベての要素
において無数の問題を抱えており、主題を個別的な上にも個別的に絞り込まなければ対象を
捕捉する力がまたたくまに全域に拡散し、本稿がその意味を自ら見失うおそれが大きいから
である。ちなみに、この極度に強い拡散性は池田大作および創価学会の大きな特質のひとつ
である。
 本稿の主題は次の三点。
1.池田大作の奇怪さは、彼に長年向けられた批判および罵倒の総体を、つねに凌駕して
しまう。その巨大な奇怪さの中核にあるものは何か。また、これまで批判として投下された
莫大なエネルギ—は、昨年(一九九五年)の参院選挙での新進党の圧倒的勝利をみてもわか
るとおり、残念ながらそれに見合う効果を得られていない。それはなぜか。
 なお、本稿では創価学会の頂点に位置する〝池田先生〟という象徴として池田大作を読解
しょうと思う。
2.彼をここまで肥大させた原動力のひとつであり、なかんずく選挙において恐るべき力を
発揮する〝学会の女性〟たちを衝き動かす動機は何か。彼女たちはなぜ、多数の女性スキャ
ンダルが露呈したにもかかわらず、〝池田先生〟にかわらぬ熱狂的賛辞を送り続けることが
できるのか。
3.創価学会が戦後五十余年の長きにわたつて拡大を続けたため、すでに池田体制下では多
くの〝池田〟学会二世たちが壮年に近づいている。高度成長期に生れて人生の選択肢にこと
かかない世代に育ち、そのため、他の世代にまして物事のドライなわりきりかたを特徴とす
る年齢層に属し、しかも閉鎖的な学会体質とは相容れぬはずの、高度情報化社会の申し子で
もある彼ら、学会二世たちは、学会とどのような折り合いをつけ、あるいは反発を行なって
いるのか。また、彼らと学会一世との関係はどのようなものなのか。
 これは学会と〝池田先生〟が持つ、もっとも現代的側面である。以上。
なお本稿ては発言者の実名は出さない。これは発言者を不当な圧力から守るためでもある
が、むしろ、彼らの発言が学会が抱える問題を解くにあたって普遍的一般性を持つと考えた
ため、あえて個別の発言としてとりあげないほうが妥当だと考えたからである。

◆「欲望の肯定」という遣産
 ところで、冒頭で述べたように、本稿の意図するところを見失わないためには、ここです
ぐさま個別の主題に入りたいところであるが、その前に、池田大作が〝池田先生〟になりか
わるために必須だったいくつかの要素をおさえておきたい。
 まず最大の要素は、戸田城聖創価学会二代目会長が池田大作に残したふたつの遺産だ。
 ひとつは欲望の全面的肯定というテーゼ。
 次に述べるのは、戸田が敗戦後まもなく全国を遊説してまわっていたとき、当時は別の宗
教団体に属していた女性が、戸田をかこむ座談会(学会でいうところの集会)に出席したと
きのエピソードである。
「その頃、属していた団体の〝先生〟は、座談会の壇上にのぼると、それまで先生のほうを
向いていた扇風機を聴衆に向けて、皆さんもどうぞ涼んで下さいとおつしやるのです。
しかし、戸田先生の集会に出ると、先生は扇風機を自分のほうに向けて、『見ましたか。
皆さんひとりひとりが、こうならなくつちゃいけないんですよ』とおつしゃる。そのとき思
いました。これは戸田先生の勝ちだ」
経済的に豊かになり、清貧が流行するまでになった今の日本で、もし戸田のような振舞い
に出れば不行儀のそしりを受けるかもしれない。しかし、ともあれ、欲望は生に向かう原動
力である。それを肯定することは、心身両面において萎えきつていた敗戦後の日本人を励ま
す上で、〝勝ち〟を意味したのだ。しかも、戸田は布教の対象を 〝ロー・シーリング・ク
ラス〟、言い換えれば何をやっても上にはあがれないと自らの頭打ち状態を諦めきった、
“ロー・シーリング=天井が低い”な未組織労働者や、産業ベルト地域の中小商工業で働く
若者などの貧困層にしぼつていた。
 扇風機を一度でも自分だけに向けてみたい。四畳半の住居から六畳へ住み替えたい。死ぬ
前に、一日でも面白おかしい思いをしたい。生れ変わったときには、今より少しはましな生
活をしてみたい。戸田が想定した欲望とは、そのようなささやかなものではあったが、彼が
学会の会長だった以上、欲望の全面的肯定は教義のひとつとして定着し、池田大作を生む遺
産のひとつとなったことは否めない。
 ふたつめの遺産は学会組織である。
 戸田は本来的に商才があった。だから、教義を学ぶことによって上層部入りを果たすこと
ができる教学部や、若い人材育成のための男子部や女子部、布教や選挙のさいの動員に不可
欠な婦人組織や青年組織を地方ごとにまとめる支部と、その統括部署さらに集金組織である
財務、中枢と直結する庶務や参謀部を、一種戦闘的セールス集団にも似た組織として、早い
時期に作り上げたのである。
 おそらく、モノにせよ幸福思想にせよ、なにものかを売る(布教する)ためには、確固と
した組織作りが必要であることを戸田は知り抜いていただろう。そして、その組織構成はそ
のまま池田大作に引き継がれたのである。
また、戸田と池田の密接というより、むしろ親子に近い関係性と、それによつて培われ
た、池田大作の近代日本人としての一般性の欠如も見逃せない要素だ。
 池田は 二〇歳たらずで戸田が経営する中小企業の社員となるが、彼らの関係は社主と社
員というより、師匠と徒弟の上下関係に近かったようだ。事実、池田自身が自著『人間革命
(四)』で、苦しい金策にかけまわったあと、戸田が池田に次のように呼びかけてねぎらった
と書いている。
「さあ、寝るか。伸、ぼくの蒲団で一緒に寝ようよ」
 伸とは、池田のペンネーム.山本伸一からとつた愛称である。
 池田の成育歴を見る限りにおいて、これほど密接な開係を、戸田に出会う前、家族や友人
と築いた形跡はない。池田は極端に貧しい東京の海苔採取業者の五男に生れた、めだたない
さほど期待されない青年だった。
 むしろ彼の初めての生家は、戸田城聖の内部にあつたと考えるほうが自然だ。
そこにおいて、比喩ではなく戸田と肌を接して生きた池田は、まさに親鳥から雛が餌を口
移しにされるように、創価学会の繁栄が善であることを覚えただろう。また前述したように
戸田は小なりといえども、欲望の完全肯定者である。池田は彼から、欲望を抑制するのは悪、
無限に発散させるのは善という定義も学んだはずだ。さらに、戸田が学会活動とは別に経営
していた小口金融会社の営業などに従事することによって金への嗅覚を発達させただろう。
 実際、その嗅覚は奇蹟的なまでに確かだったと、この時代、池田とともに営業まわりをし
た人たちはいう。彼は投資預金のありかを、まさに鼻でかぎつけた。池田が、
「この家には必ず金がある。この家に交渉しにいこう」
と指さした家が、彼の同僚には思わず二の足を踏ませる廃屋同然なものなのに、その家を
訪ねてみると、池田がいうとおりの大金が必ずあったというようなエピソードは枚挙にいと
まがない。
 その後、創価学会の階段を一段ずつのぼるにつれて、自分の生家は学会にしかないことは
さらに池田の中に深く刻み込まれたはずだ。
 要するに、戸田に会った時点から、過剰な欲望を発露することをあからさますぎる恥とし
て疎んじる意識を持つ近代人の一人として、彼を読解する可能性は消えたのである。池田大
作は学会という特殊な規範を持つ、閉じた組織の中で自分を育んだ人なのだ。
「僕はここを出たら何もできない人間なんだから。ほかに何もできないんだから」
 これは、池田が〝学会の危機〟のたびに側近にもらしたとされるセリフである。まことに
正直な告白だといえるだろう。

────(~48頁)──────◇────────(引用ここまで……つづく)

◆日蓮系(見延・創価・正宗・立正・法華等)の全ては…《日蓮の妄想!!・妄説!!・妄言!!》
  ―宗教を語る― =源濁れば流れ清からず=

◆池田創価学会は、日蓮利用の脱税・詐欺・横領等に恐喝・暴力もある反社会団体である。
   その親分は、カリスマ・おぞましさで、史上類なき――池田大作

◆これまでも……これからも……池田創価・公明党
    大衆から‥詐欺、ゴロツキ…隠して“偉ぶりごっこ”‥で50年

◆12/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】
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