創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会を斬る-55

2021-02-22 08:02:46 | Weblog

   --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
     (本文中の色文字・下線・太線=兼ブログ主編)


   <この日本をどうする 2> --言論出版妨害事件--
 創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道出版部 昭和44年(1969年)
     --目次は第2回目に掲載--
    ------(P.196)---(以下、本文)-------

第三部 展望--その危険なる未来
6 創価学会はどこまで伸びるか
7 党勢拡大へのためのさまざまなる新組織
8 強引きわまる公明党選挙作戦   (~以上、前掲 P.235~)
9 公明党の政治的主張を裸にする 
◆ 安保--段階的解消というが--
  さてそれでは、公明党はいかなる政策を国民に訴え、どのようなかたちで発展してゆこうとしているのであろうか。目下、最大の政治的課題は「安保」と「沖縄問題」にあるが、この二点に焦点をしぽりながら公明党の政策なるものを、ある程度まで分析してみることとしよう。
 まず、安保については、池田会長は「一〇年ないし一五年にわたる段階的解消」をあげ、「現時点においては、七〇年の安保の自動延長はやむをえない。しかし、その後は期間を縮めるとかして漸減にもってゆき、やがて安保撤廃の平和体制とする」と述べている(『文芸春秋』一九六八年二月号)。
 安保に対する基本的な態度は、「段階的解消」にあるわけである。

 さらに最近では、この基本線を一歩進め、「一九七〇年代に安保を解消する」と主張するようになった。解消の期限を具体的に明示してきたわけである。従来の抽象論からすれば一歩前進とみてよかろう。
 そのプログラムをみると、日米安保体制の段階的解消の前段階として安保体制の実質的形骸化があり、一九七〇年代に解消し、そして完全中立にいたろうとするものである。では安保形骸化とは具体的には何をさすのか。その点について、
 ① 在日米軍基地の撒去、
 ② 事前協議事項の厳格な実施、
 ③ 防衛力増強義務の拒否、
 ④ 日本国とアメリカ合衆国との相互防衛援助協定(MSA協定)の廃棄、
 ⑤ 国連軍の地位に関する協定ほか失効、
 ⑥ 沖縄の即時無条件返還要求、の六項目をあげている。

 ところで、公明党は、歴史的には安保体制が日本を守るうえで一定のメリットがあったことを認めていながら、他面においては、それ以上に日本を戦争に卷きこむ危険性が安保にはある、というようないい方をしている。また安保の解消を主張しながら、各国等の反応等を考慮し、急激には否定しないといっている。こうした主張にはまさに中間政党としての特徴である生まぬるい中途半端な態度がそのまま前面にでているといってよいであろう。
 ただ「一九七九年一二月までに段階的解消が不可能な場合でもこれを廃棄する」と明言している点が注目されるが、これとてもその発想は、民社党の解消論と社共両党の即時安保廃棄論を、いうならば足して二で割り、つぎ木したようなものだということもてきるであろう。
 たしかに日米安保条約は、かって私が再三論じたように、史上空前の屈辱条約といえるかもしれない。いかなる国といえども、ほとんどその構成も系統も真相も知らされない他国の戦略体制の中に、すべての国家的利益と生存の権利まで委任しながら、しかもこれを甘んじて受けているなどとは、およそ、独立国の名にふさわしくないものといわなければならないからである。
 いかに集団安全保障の時代であろうと、広域共同体バンザイの時代であろうと、すべての国家的利益と生存の権利まで他国に委託するなどということは、自から国家主権を放棄するにも等しい。これを平等とか対等とかの言葉で擬装されて、利用されることに深い屈辱を感じないのは主権者としての政治的適格性に欠けているといわざるをえず、最大の屈辱として受け取るのが、われわれ主権者としての当然の態度であり、またそれなりの国民としての義務であるといわなければならない。

 それにしても安保条約を考えるとき思い出すのは、日本にとって本意ならざる開国を強要し、それによって歴史的にひとつの大きなエボックを画する役割りをになった、百年前のペリーの次のような言葉である。
 「われわれの動機の利己生、日本との通商関係が利益であると考え、これを求めたことを、承認するにやぶさかでない。それは知力ある国家すべてが、他国と友好関係をうちたてようとする動機であると信じている。ナショナル・インタレストを無視して、一つの国家が他の国家と純真で私心のない友好関係を持つというようなことをいって、世界を欺瞞しようとする人たちの単純さに対しては、われわれは、ただ微笑しうるだけなのである。」
 こういう国家としてのエゴイズムを前提としながら、安保をリアリスティックにみつめていくかぎり、われわれは安保条約というものに対してなんらかの姿勢をとらざるをえないわけだ。

 創価学会・公明党の安保の段階的解消もその意味においてはあながち非常識な線をいっているとはいわない。しかし、等距離完全中立、アジア、太平洋不可侵・不干渉の国際環境の樹立などというキレイ事や、どこの国とも仲よくしていくといった口あたりのよいことのみを羅列し、安保解消の軍事、政治、経済にわたる具体的な見とおしを語っていないところに、この党のいいかげんさがあるといわざるをえない。
     ----------(つづく)---------242 

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