今日(3月31日)は「エッフェル塔の日」
1889(明治22)年、3月31日エッフェル塔の落成式が行われた。パリのシャン・ド・マルスの広場に立つ鉄塔で、建設当時の高さは約312m(旗部を含む)で、世界で最も高い建造物であった。現在は放送用アンテナが設置されたため約324m。鋼製ではなく錬鉄製の塔である。
エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念し、1889年パリで開催された万国博覧会の目玉として計画されたものである。手掛けたのは、フランス人の技術者、アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel, 1832年12月15日 - 1923年12月27日)である。通常、エッフェル塔を設計した人物として知られれているが、エッフェル塔の設計者はステファン・ソーヴェストル、および構造を担当した技師モーリス・ケクランであり、エッフェルはその建設を請け負ったエッフェル社の代表である。
エッフェルは23歳の時に鉄道関係の資材会社に就職した。彼は工場で鉄を学び、橋や駅の建設現場で構造や設計を会得して鉄の建造物のスペシャリストとなり、1866年には鉄道の資材会社から独立、パリ近郊のルヴァロア・ペレにおいてエッフェル社を創業していた。そして、彼はフランスのみならず世界を股にかけて鉄橋や橋を架け続けていたそうで、パリのデパートボン・マルシェ、シャルル・ガルニエとの共作であるニースの天文台、マンハッタンの巨大な自由の女神像の鉄骨の設計も手掛けている。
このエッフェル塔建設は、計画が公表されるや否や塔の鉄骨剥き出しのデザインが、パリの落ち着いた景観を阻害するとして激しい反対運動が起こった。1887年小説家モーパッサンをはじめ47人の芸術家や知識人が連名で、建設反対の陳述書をパリ市役所に提出したそうだ。
建設には万博に間に合わせるため2年2ヶ月という月日を要したというが、この巨大な建物の建設に要した月日が早かったのか遅かったのかは、専門家でないのでよくわからないが、それにしても、そのような反対運動にも関わらずエッフェル塔が無事に建設できた要因は何か?・・・以下参考の「コラム:エッフェル塔のデザインの合意形成」によると、そのような意見に対して、エッフェルは、景観という価値判断の困難な問題には触れず、その他の塔の効用を説き、エッフェル案が採用されたことにより建設が可能となったようである。そのことから塔の名前に彼の名が付いたのであろう。1889年3月31日、世界最大の鉄の塔はついに完成。エッフェル塔をシンボルにしたパリ万国博覧会は華々しく開催され、「エッフェル塔に登ろう」が人々の合言葉となり、前代未聞の人気に、批判や非難の声は消え失せ、会期中に200万人もの人々が押し寄せたという。
又、建設後、反対派の文学者モーパッサンはエッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中でいまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言い、ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれたそうだ。
しかし、そのような景観論争がされていた時に、エッフェル塔の虜となっていた芸術家がいた。近代フランスの代表的な風景版画家アンリ・リヴィエールである。彼の作品に『エッフェル塔三十六景』がある。※参照パリの浮世絵 アンリ・リヴィエール
万国博覧会の第1回は,1851年にロンドンで開催され、第2回が1855年にパリで開催される。その後パリでの万博は,1889年までに、1867年,1878年,と2回行われている。日本が最初に参加したのは1867年のパリ万博である。このとき展示された日本の浮世絵は当時のヨーロッパの画家にショックを与え、やがて印象派やキュビズム(cubism。ピカソ・ブラックによってフランスに興った芸術運動)などの運動を誘発した。
浮世絵の大の愛好家だったリヴィエールはその作品に北斎の「富嶽三十六景」を暗示させることでエッフェル塔の芸術的重要性をとらえたといえる。
完成当時は賛否両論だったが、いまは、パリを代表するシンボルとなっているエッフェル塔は、世界遺産として、パリジャンのみならず人類の宝物として愛される施設となっている。しかし、その本来の価値が公式に認められたのは、実に建設から75年も経った1964年、フランス政府により歴史的記念建造物に指定されたときからではないだろうか。
キヤノン:クリエイティブパーク では素敵なエッフェル塔のペーパークラフトが作れますよ。他にも動物などお子様無期の素敵なペーパークラフトがダウンロードできるので、興味のある方はお子様と一緒に作ってみては・・・。
(画像はキヤノン:クリエイティブパーク のエッフェル塔のペーパークラフト)
参考:
エッフェル塔 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%A1%94
コラム:エッフェル塔のデザインの合意形成
http://sociosys.mri.co.jp/PCW/column/column4.html
ジャポニスム
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/2nen2001/groupeH_jp.htm
キヤノン:クリエイティブパーク 「ペーパークラフト」トップページ
http://cp.c-ij.com/japan/papercraft/
1889(明治22)年、3月31日エッフェル塔の落成式が行われた。パリのシャン・ド・マルスの広場に立つ鉄塔で、建設当時の高さは約312m(旗部を含む)で、世界で最も高い建造物であった。現在は放送用アンテナが設置されたため約324m。鋼製ではなく錬鉄製の塔である。
エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念し、1889年パリで開催された万国博覧会の目玉として計画されたものである。手掛けたのは、フランス人の技術者、アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel, 1832年12月15日 - 1923年12月27日)である。通常、エッフェル塔を設計した人物として知られれているが、エッフェル塔の設計者はステファン・ソーヴェストル、および構造を担当した技師モーリス・ケクランであり、エッフェルはその建設を請け負ったエッフェル社の代表である。
エッフェルは23歳の時に鉄道関係の資材会社に就職した。彼は工場で鉄を学び、橋や駅の建設現場で構造や設計を会得して鉄の建造物のスペシャリストとなり、1866年には鉄道の資材会社から独立、パリ近郊のルヴァロア・ペレにおいてエッフェル社を創業していた。そして、彼はフランスのみならず世界を股にかけて鉄橋や橋を架け続けていたそうで、パリのデパートボン・マルシェ、シャルル・ガルニエとの共作であるニースの天文台、マンハッタンの巨大な自由の女神像の鉄骨の設計も手掛けている。
このエッフェル塔建設は、計画が公表されるや否や塔の鉄骨剥き出しのデザインが、パリの落ち着いた景観を阻害するとして激しい反対運動が起こった。1887年小説家モーパッサンをはじめ47人の芸術家や知識人が連名で、建設反対の陳述書をパリ市役所に提出したそうだ。
建設には万博に間に合わせるため2年2ヶ月という月日を要したというが、この巨大な建物の建設に要した月日が早かったのか遅かったのかは、専門家でないのでよくわからないが、それにしても、そのような反対運動にも関わらずエッフェル塔が無事に建設できた要因は何か?・・・以下参考の「コラム:エッフェル塔のデザインの合意形成」によると、そのような意見に対して、エッフェルは、景観という価値判断の困難な問題には触れず、その他の塔の効用を説き、エッフェル案が採用されたことにより建設が可能となったようである。そのことから塔の名前に彼の名が付いたのであろう。1889年3月31日、世界最大の鉄の塔はついに完成。エッフェル塔をシンボルにしたパリ万国博覧会は華々しく開催され、「エッフェル塔に登ろう」が人々の合言葉となり、前代未聞の人気に、批判や非難の声は消え失せ、会期中に200万人もの人々が押し寄せたという。
又、建設後、反対派の文学者モーパッサンはエッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中でいまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言い、ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれたそうだ。
しかし、そのような景観論争がされていた時に、エッフェル塔の虜となっていた芸術家がいた。近代フランスの代表的な風景版画家アンリ・リヴィエールである。彼の作品に『エッフェル塔三十六景』がある。※参照パリの浮世絵 アンリ・リヴィエール
万国博覧会の第1回は,1851年にロンドンで開催され、第2回が1855年にパリで開催される。その後パリでの万博は,1889年までに、1867年,1878年,と2回行われている。日本が最初に参加したのは1867年のパリ万博である。このとき展示された日本の浮世絵は当時のヨーロッパの画家にショックを与え、やがて印象派やキュビズム(cubism。ピカソ・ブラックによってフランスに興った芸術運動)などの運動を誘発した。
浮世絵の大の愛好家だったリヴィエールはその作品に北斎の「富嶽三十六景」を暗示させることでエッフェル塔の芸術的重要性をとらえたといえる。
完成当時は賛否両論だったが、いまは、パリを代表するシンボルとなっているエッフェル塔は、世界遺産として、パリジャンのみならず人類の宝物として愛される施設となっている。しかし、その本来の価値が公式に認められたのは、実に建設から75年も経った1964年、フランス政府により歴史的記念建造物に指定されたときからではないだろうか。
キヤノン:クリエイティブパーク では素敵なエッフェル塔のペーパークラフトが作れますよ。他にも動物などお子様無期の素敵なペーパークラフトがダウンロードできるので、興味のある方はお子様と一緒に作ってみては・・・。
(画像はキヤノン:クリエイティブパーク のエッフェル塔のペーパークラフト)
参考:
エッフェル塔 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%A1%94
コラム:エッフェル塔のデザインの合意形成
http://sociosys.mri.co.jp/PCW/column/column4.html
ジャポニスム
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/2nen2001/groupeH_jp.htm
キヤノン:クリエイティブパーク 「ペーパークラフト」トップページ
http://cp.c-ij.com/japan/papercraft/