今日(3月27日)は、「さくらの日」
日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。
3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二侯のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。
桜とは、バラ科サクラ属落葉高木または、低木。一般にはサクラ亜属に属するもの(以下参考の「くらしの植物苑だより」参照)。
桜は日本を代表する花・国花であり、万葉の昔から人々に愛され、親しまれてきた。我が国の桜の中で最も代表的な種類は、ヤマザクラで、古くから詩や歌に詠まれてきた桜はこの種である。
日本さくらの会HPによると、サクラは主として北半球の温帯に広く分布しているが、美しい花の咲く種類はアジアに多く、しかも日本列島が中心で、多くの種類が集中しているそうだ。また、中国や朝鮮半島にもかなりの種類があり、日本と共通の種類もある。その他、中国の奥地やヒマラヤ地方などには、日本のものと種類は異なるが、ヒマラヤ桜のように美しい花の咲く種類が分布している。ヨ-ロッパには、日本の桜のように花の美しい種類はなく、サクランボ、いわゆるミザクラの類がある。北米大陸には、我が国にもあるウワミズザクラに近いような種類や、常緑の種類などはあるが、これらは、日本人の持っている桜の概念からかけ離れた種類ばかりだそうだ。
そのようなことから、日本では代表的な樹木の花である桜も、西洋では花よりも「さくらんぼ」のなる木としてのイメージの方が大きいようだ。
今では、日本人にとっては、「花見」と言えば、「桜の花見」であることがお互いの間で了解されるくらいである。和歌では龍田の紅葉に対して吉野の桜(山桜)といわれてきた。伝統的な美意識の代表であるが、こうした意識の定着するのは平安時代になってからである。花を見て楽しむことでは、奈良時代はむしろ梅の花の方が、賞翫の対象になっていた。それが、次第に、日本人の好みも梅から桜へと変化した。
西行法師(1118~1190)には、旅の歌が多いが、特に桜の花を愛でた歌は有名で、その多くは『山家集』に収められている。出家後、西行は吉野山の麓に庵を結んでいる。ここで、桜への思いを和歌に詠んでいる。
「花に染む心のいかで残りけん捨てはててきと思ふわが身に」(出家したばかりなのに、どうしてこんなにも桜の花に魅せられるのだろう)
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」
この歌は、西行の桜への熱い思いが凝縮された歌として有名である。そして、自らの願いの通り、桜の咲く春に大往生した。この西行のことは、私のブログ今日(2月15日)は、「西行忌」「円位忌」で書いたので、興味のある方見てください。
そして、われわれ日本人の「桜」の花にもつイメージは、華やかで、「ぱっと咲いてさっと散る」といったものであるが、武家の時代になるとその咲き方の潔さ(いさぎよさ)が、日本的な武士道の精神にも合うものとして好まれるようになった。国学者の本居宣長が「しきしまの大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」と詠んだのはその好例である。そして戦時中にはこの散る桜の観念が戦争の高揚にも使われることになった。そして、私のコレクションの酒器にある「兵隊盃」といわれるものにも、桜の花と「しきしまの・・山桜花」の歌を刻んだものが多く見られる。これらは、兵役を終了した時の満期記念や凱旋の記念品として作られ配られた。(画像参照)
日本人には、「花より団子」ともいわれるように、花の鑑賞そのものより、もっぱら花の下に寄り集ってご馳走を食べ、酒を飲むといった饗宴の方が好まれる。こうした花の賞で方は、日本人独特のもので、西洋の鑑賞的な花を見るということとはずいぶん異なっている。このことは、『伊勢物語』八二段は「交野の桜」として知られる段で、日本人の花見に対する考えをよく示している。「花を見る」ことを「花狩り」といい、「紅葉を見る」ことを「紅葉狩り」というのは、花や紅葉を眼でみるだけではなく、枝を折るという行動を通して自然との関わりをもとうとする行為だといえる。そして、桜は見るだけではなく、実際に枝を折って頭に挿したりした。つまり、能動的に折るという行為で、花と関係をもつことによって親しむという思想のようである。
日本には、中国など大陸からの渡来人によって、稲作文化が伝えられた。古来、日本人は、桜の開花時期によって、稲を植える時期を知り、桜の花の散り具合を見てその年の米の出来具合を占った。満開に咲いた桜を見て、神様に酒などの奉げ物をして豊作を祈った。いわば、桜は神様の宿る木として信じられていた。
私のブログ3月16日十六団子の日でも詳しく触れたが、それが、桜(サ=稲田の神霊。クラ=神の座)の名前の由来でもあるのだろ。サ(稲田の神霊)は、山の神であり、農民にとっては、田の神でもある。また、日本人の祖霊神でもあったのだ。だから、サクラは、「木花之佐久夜毘売(木花咲耶姫=このはなのさくやひめ)」が転訛したものと言う説もある。ここで、木の花はサクラを意味している。「この花(桜)のように美しい姫」といったところだろう。兎に角、農耕民族である日本人は、古来、桜は単に見て楽しむものではなかった。
前に述べた、「花を狩る」と言う行為は、木を折るという行為を伴い、現代人からすると木の枝を折るなんて自然破壊の悪いことに思われるが、東洋ではこうした他者と関わりをもつということで、そのものを賞翫するということが広く行われていたそうだ。このことについては、以下参考の「源氏物語に関するエッセイ・論文集」が色々考察しているが、つまり、そもそも、”農業とは木を倒し、土を掘り起こし、草木を刈るという反自然の環境破壊行為である。農民にとっては桜(自然)は、征服された犠牲者であり、それを「狩る」行為は、人間(支配者)の支配者たる地位を確認する行為とも考えられた。そして、「折」という漢字は屮(てつ)と斤(きん)に従い草木を断つ形と「説文」にある。また中国の神様に「大無齒シ折(大巫司誓)」という名の神様があるように、折は誓と同じ様にとられているそうだ。そして、この神に何事かを言う(ちかう)ことを意味する「誓」という漢字が「折」と「言」で構成されている。つまり、何か草花を折りながら神に祈ったといえるのだろう。中国では、何か誓う時の形式に草木を折るということが行なわれたのかもしれず、これは、「いけにえ」にも通じることなのかもしれない。だから、この折るという行為も神に捧げるということに通じるのかもしれない”・・・といっている。農民は、環境破壊行為をすることによって、生きてゆける。・・・そのような生きてゆくための行為への感謝の気持ちをこめて、始められたのが、花見の始まりだったのだろう。
それが、次第に、桜も儀礼的なものから見て楽しむものへと変化していった。
日常それほど花に興味のない人でも、桜の季節になると、どうも浮き浮きとしてしまう。農耕民族としての日本人のDNAには、サクラとは切っても切れない深い関係があるからだろう。
日本の春には、入学があり、進学があり、就職があり、退職もある。その人の人生の大きな節目に、春という季節がある。そして、その背景には桜の花が咲いているのである。
桜を通して、日本の自然や文化を思い起こす時、最近の、サクラの木の下での、焼肉にカラオケは、ちょっと、品がなさ過ぎる。同じ饗宴にしても、もう少し、エレガントにやってもらえないものだろうかね~。
(画像は、コレクションの盃より「兵隊盃」何れも桜の花を図案に「しきしまの大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」の歌が刻まれている。)
参考:
日本さくらの会
http://www.sakuranokai.or.jp/
マピオン > 春特集2005 > さくら名所100選&夜桜名所
http://www.mapion.co.jp/topics/sakura2005/100sen/index.html
さくら見頃情報
http://www.wni.co.jp/cww/docs/sakura.html
くらしの植物苑だより
http://www.rekihaku.ac.jp/kodomo/5/tayori30.html
第2講 花見と日本人(各論)
http://www.sonoda-u.ac.jp/private/k25022/setsu2.htm
源氏物語に関するエッセイ・論文集
http://www.iz2.or.jp/essay/9-3.htm
さくら雑学事典1・日本人と桜
http://homepage3.nifty.com/~tabi/c83/sakura1.htm
日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。
3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二侯のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。
桜とは、バラ科サクラ属落葉高木または、低木。一般にはサクラ亜属に属するもの(以下参考の「くらしの植物苑だより」参照)。
桜は日本を代表する花・国花であり、万葉の昔から人々に愛され、親しまれてきた。我が国の桜の中で最も代表的な種類は、ヤマザクラで、古くから詩や歌に詠まれてきた桜はこの種である。
日本さくらの会HPによると、サクラは主として北半球の温帯に広く分布しているが、美しい花の咲く種類はアジアに多く、しかも日本列島が中心で、多くの種類が集中しているそうだ。また、中国や朝鮮半島にもかなりの種類があり、日本と共通の種類もある。その他、中国の奥地やヒマラヤ地方などには、日本のものと種類は異なるが、ヒマラヤ桜のように美しい花の咲く種類が分布している。ヨ-ロッパには、日本の桜のように花の美しい種類はなく、サクランボ、いわゆるミザクラの類がある。北米大陸には、我が国にもあるウワミズザクラに近いような種類や、常緑の種類などはあるが、これらは、日本人の持っている桜の概念からかけ離れた種類ばかりだそうだ。
そのようなことから、日本では代表的な樹木の花である桜も、西洋では花よりも「さくらんぼ」のなる木としてのイメージの方が大きいようだ。
今では、日本人にとっては、「花見」と言えば、「桜の花見」であることがお互いの間で了解されるくらいである。和歌では龍田の紅葉に対して吉野の桜(山桜)といわれてきた。伝統的な美意識の代表であるが、こうした意識の定着するのは平安時代になってからである。花を見て楽しむことでは、奈良時代はむしろ梅の花の方が、賞翫の対象になっていた。それが、次第に、日本人の好みも梅から桜へと変化した。
西行法師(1118~1190)には、旅の歌が多いが、特に桜の花を愛でた歌は有名で、その多くは『山家集』に収められている。出家後、西行は吉野山の麓に庵を結んでいる。ここで、桜への思いを和歌に詠んでいる。
「花に染む心のいかで残りけん捨てはててきと思ふわが身に」(出家したばかりなのに、どうしてこんなにも桜の花に魅せられるのだろう)
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」
この歌は、西行の桜への熱い思いが凝縮された歌として有名である。そして、自らの願いの通り、桜の咲く春に大往生した。この西行のことは、私のブログ今日(2月15日)は、「西行忌」「円位忌」で書いたので、興味のある方見てください。
そして、われわれ日本人の「桜」の花にもつイメージは、華やかで、「ぱっと咲いてさっと散る」といったものであるが、武家の時代になるとその咲き方の潔さ(いさぎよさ)が、日本的な武士道の精神にも合うものとして好まれるようになった。国学者の本居宣長が「しきしまの大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」と詠んだのはその好例である。そして戦時中にはこの散る桜の観念が戦争の高揚にも使われることになった。そして、私のコレクションの酒器にある「兵隊盃」といわれるものにも、桜の花と「しきしまの・・山桜花」の歌を刻んだものが多く見られる。これらは、兵役を終了した時の満期記念や凱旋の記念品として作られ配られた。(画像参照)
日本人には、「花より団子」ともいわれるように、花の鑑賞そのものより、もっぱら花の下に寄り集ってご馳走を食べ、酒を飲むといった饗宴の方が好まれる。こうした花の賞で方は、日本人独特のもので、西洋の鑑賞的な花を見るということとはずいぶん異なっている。このことは、『伊勢物語』八二段は「交野の桜」として知られる段で、日本人の花見に対する考えをよく示している。「花を見る」ことを「花狩り」といい、「紅葉を見る」ことを「紅葉狩り」というのは、花や紅葉を眼でみるだけではなく、枝を折るという行動を通して自然との関わりをもとうとする行為だといえる。そして、桜は見るだけではなく、実際に枝を折って頭に挿したりした。つまり、能動的に折るという行為で、花と関係をもつことによって親しむという思想のようである。
日本には、中国など大陸からの渡来人によって、稲作文化が伝えられた。古来、日本人は、桜の開花時期によって、稲を植える時期を知り、桜の花の散り具合を見てその年の米の出来具合を占った。満開に咲いた桜を見て、神様に酒などの奉げ物をして豊作を祈った。いわば、桜は神様の宿る木として信じられていた。
私のブログ3月16日十六団子の日でも詳しく触れたが、それが、桜(サ=稲田の神霊。クラ=神の座)の名前の由来でもあるのだろ。サ(稲田の神霊)は、山の神であり、農民にとっては、田の神でもある。また、日本人の祖霊神でもあったのだ。だから、サクラは、「木花之佐久夜毘売(木花咲耶姫=このはなのさくやひめ)」が転訛したものと言う説もある。ここで、木の花はサクラを意味している。「この花(桜)のように美しい姫」といったところだろう。兎に角、農耕民族である日本人は、古来、桜は単に見て楽しむものではなかった。
前に述べた、「花を狩る」と言う行為は、木を折るという行為を伴い、現代人からすると木の枝を折るなんて自然破壊の悪いことに思われるが、東洋ではこうした他者と関わりをもつということで、そのものを賞翫するということが広く行われていたそうだ。このことについては、以下参考の「源氏物語に関するエッセイ・論文集」が色々考察しているが、つまり、そもそも、”農業とは木を倒し、土を掘り起こし、草木を刈るという反自然の環境破壊行為である。農民にとっては桜(自然)は、征服された犠牲者であり、それを「狩る」行為は、人間(支配者)の支配者たる地位を確認する行為とも考えられた。そして、「折」という漢字は屮(てつ)と斤(きん)に従い草木を断つ形と「説文」にある。また中国の神様に「大無齒シ折(大巫司誓)」という名の神様があるように、折は誓と同じ様にとられているそうだ。そして、この神に何事かを言う(ちかう)ことを意味する「誓」という漢字が「折」と「言」で構成されている。つまり、何か草花を折りながら神に祈ったといえるのだろう。中国では、何か誓う時の形式に草木を折るということが行なわれたのかもしれず、これは、「いけにえ」にも通じることなのかもしれない。だから、この折るという行為も神に捧げるということに通じるのかもしれない”・・・といっている。農民は、環境破壊行為をすることによって、生きてゆける。・・・そのような生きてゆくための行為への感謝の気持ちをこめて、始められたのが、花見の始まりだったのだろう。
それが、次第に、桜も儀礼的なものから見て楽しむものへと変化していった。
日常それほど花に興味のない人でも、桜の季節になると、どうも浮き浮きとしてしまう。農耕民族としての日本人のDNAには、サクラとは切っても切れない深い関係があるからだろう。
日本の春には、入学があり、進学があり、就職があり、退職もある。その人の人生の大きな節目に、春という季節がある。そして、その背景には桜の花が咲いているのである。
桜を通して、日本の自然や文化を思い起こす時、最近の、サクラの木の下での、焼肉にカラオケは、ちょっと、品がなさ過ぎる。同じ饗宴にしても、もう少し、エレガントにやってもらえないものだろうかね~。
(画像は、コレクションの盃より「兵隊盃」何れも桜の花を図案に「しきしまの大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」の歌が刻まれている。)
参考:
日本さくらの会
http://www.sakuranokai.or.jp/
マピオン > 春特集2005 > さくら名所100選&夜桜名所
http://www.mapion.co.jp/topics/sakura2005/100sen/index.html
さくら見頃情報
http://www.wni.co.jp/cww/docs/sakura.html
くらしの植物苑だより
http://www.rekihaku.ac.jp/kodomo/5/tayori30.html
第2講 花見と日本人(各論)
http://www.sonoda-u.ac.jp/private/k25022/setsu2.htm
源氏物語に関するエッセイ・論文集
http://www.iz2.or.jp/essay/9-3.htm
さくら雑学事典1・日本人と桜
http://homepage3.nifty.com/~tabi/c83/sakura1.htm