3月11日「地名を守る会」
今日は何の日~毎日が記念日を見ると、1978年の今日(3月11日) 東京で「地名を守る会」が結成 されたとあった。
「地名を守る会」をつくったのは、谷川健一氏だと思われる。 谷川氏は、民俗学で知られている。初代「太陽」編集長を勤めた後、退社し、著作活動をされているが、地名を守る会をつくり、3年後の1981年には川崎に日本地名研究所を創設し、地名の保存運動を行っている。
同氏のHP「日本地名研究所」)の「緊急声明」とあるページで、”地名は日本の伝統文化の根幹をなすものであり、日本の歴史・地理・民俗・考古などすべては地名を由縁としている。1999年12月、政府は新しい「行政改革大綱」を決め、全国の市町村を2005年まで現在の3分の1である1000以下にしようと、合併を強引に進める方針を定めた。これは、明治21~22年の町村大合併、また昭和37年の住居表示に匹敵する大改革であるが、この大改革によって、合併市町村の新しい名がぞくぞくと誕生することになったが、その中には、由緒ある地名とはまったくかけ離れた、新市・新町の名がしばしば見られる。”として、新市町村の命名にあたって、安易な方法にたよらず慎重な配慮をするよう警告している。(2002年3月)
昭和の大合併においては、新設合併により誕生した市町村が、新たに名称を決める際に、名称をめぐる対立を避ける目的で実際の区域よりも広い範囲を指す「広域地名(都道府県名や旧国名、郡名などといった、広い地域を指す地名)」を採用したケースが多く見られるが、昭和の大合併時に広域地名を採用した市町村を含む合併協議の際、当該市町村への「吸収合併」イメージを持たれることなどを避け、名称問題を円満に解決するため、当該市町村の名称として使われている広域地名の使用を避けるケースが散見され、その際にひらがな・カタカナ地名、合成地名、方角地名などを採用することが多く、一部識者による批判の対象となっているようだ。
たしかに、『週間朝日』(2002年4月12日号)よりの抜粋 に、”例えば、「さいたま」は、本来「さきたま」で、「き」が音便化して「い」になった。「埼」は海に突き出した岬、「玉」は岬にまつる精霊とい推測が成り立つ。漢字の「埼玉」からは実際にそうした地理性、歴史性が見出せるが、「さいたま」という表記からは「さきたま」は連想できない。”とあるが、確かにその通りだとは思うが、それでは、どんな名前に変更すればよいのかととなると、地域間の意見調整も大変で、難しい問題だろうな~。
兵庫県氷上郡の6つの町が合併して誕生した丹波市(平成16年11月から発足)の場合も、結構紛糾したようだ。
普通、県庁所在地は、県名のつく市にあるものだが、そうででないところも一部ある。兵庫県は面白いところで、兵庫県の中に神戸市、神戸市の中に兵庫区がある。そして、県庁所在地は、神戸市にある。兵庫は、平安末期、平清盛によって港が開かれ、日宋貿易の拠点となり、福原には一時都もおかれた。室町時代以降、区内南部の「兵庫津」を中心に、豪商が建ち並び海運の要所としてのみならず、一大経済都市として再度歴史に登場。江戸期寛政年間、司馬遼太郎著「菜の花の沖」でも有名な、高田屋嘉兵衛が択捉航路を開き、兵庫津は北海道物産交易の基地として大いに賑わっていた。そして、江戸時代には、区南部にあたる地域の人口が、1万人を超える有数の規模を誇った港町であった。
明治元年、明治新政府は地方を「府県藩」に分けた。このとき「兵庫県」が置かれ、伊藤博文が初代県知事となり、兵庫区内・切戸町の兵庫城に県庁が置かれていた。以後、1871(明治4)年の廃藩置県などを経て、兵庫県は現在のような形へと移行していく。
兵庫県の名は、前にも述べたように、現在の神戸市兵庫区に役所が置かれた事にある。そして、もともと、ここにある兵庫港(現在は神戸港の一部)が古くから国際貿易港として開港していた為である。また、一説には幕末、安政の五ヶ国条約によって兵庫港の開港を諸外国より求められた幕府は、兵庫港開港を約束しながら実際の開港地は兵庫ではなく、あえて当時人口希薄な、東隣の一漁村神戸を開港したため、諸外国から条約違反とする非難を避けるために「神戸」ではなく「兵庫」を県名に用いて神戸をその管轄区域に含めてお茶を濁したとする説がある。
どこの地名にも、歴史や文化がある。地名の中に見られる、歴史、文化は大切にしたいものだよね。
(画像はマピオン・ 兵庫の地図)
参考:
日本地名研究所
http://www8.ocn.ne.jp/~timeiken/index.html
広域地名 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%9F%9F%E5%9C%B0%E5%90%8D
兵庫県 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C
兵庫区 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E5%8C%BA
神戸市兵庫区のホームページ
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/84/
神戸史跡地図・兵庫区(神戸市文書館)
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/map/hyougo.html
今日は何の日~毎日が記念日を見ると、1978年の今日(3月11日) 東京で「地名を守る会」が結成 されたとあった。
「地名を守る会」をつくったのは、谷川健一氏だと思われる。 谷川氏は、民俗学で知られている。初代「太陽」編集長を勤めた後、退社し、著作活動をされているが、地名を守る会をつくり、3年後の1981年には川崎に日本地名研究所を創設し、地名の保存運動を行っている。
同氏のHP「日本地名研究所」)の「緊急声明」とあるページで、”地名は日本の伝統文化の根幹をなすものであり、日本の歴史・地理・民俗・考古などすべては地名を由縁としている。1999年12月、政府は新しい「行政改革大綱」を決め、全国の市町村を2005年まで現在の3分の1である1000以下にしようと、合併を強引に進める方針を定めた。これは、明治21~22年の町村大合併、また昭和37年の住居表示に匹敵する大改革であるが、この大改革によって、合併市町村の新しい名がぞくぞくと誕生することになったが、その中には、由緒ある地名とはまったくかけ離れた、新市・新町の名がしばしば見られる。”として、新市町村の命名にあたって、安易な方法にたよらず慎重な配慮をするよう警告している。(2002年3月)
昭和の大合併においては、新設合併により誕生した市町村が、新たに名称を決める際に、名称をめぐる対立を避ける目的で実際の区域よりも広い範囲を指す「広域地名(都道府県名や旧国名、郡名などといった、広い地域を指す地名)」を採用したケースが多く見られるが、昭和の大合併時に広域地名を採用した市町村を含む合併協議の際、当該市町村への「吸収合併」イメージを持たれることなどを避け、名称問題を円満に解決するため、当該市町村の名称として使われている広域地名の使用を避けるケースが散見され、その際にひらがな・カタカナ地名、合成地名、方角地名などを採用することが多く、一部識者による批判の対象となっているようだ。
たしかに、『週間朝日』(2002年4月12日号)よりの抜粋 に、”例えば、「さいたま」は、本来「さきたま」で、「き」が音便化して「い」になった。「埼」は海に突き出した岬、「玉」は岬にまつる精霊とい推測が成り立つ。漢字の「埼玉」からは実際にそうした地理性、歴史性が見出せるが、「さいたま」という表記からは「さきたま」は連想できない。”とあるが、確かにその通りだとは思うが、それでは、どんな名前に変更すればよいのかととなると、地域間の意見調整も大変で、難しい問題だろうな~。
兵庫県氷上郡の6つの町が合併して誕生した丹波市(平成16年11月から発足)の場合も、結構紛糾したようだ。
普通、県庁所在地は、県名のつく市にあるものだが、そうででないところも一部ある。兵庫県は面白いところで、兵庫県の中に神戸市、神戸市の中に兵庫区がある。そして、県庁所在地は、神戸市にある。兵庫は、平安末期、平清盛によって港が開かれ、日宋貿易の拠点となり、福原には一時都もおかれた。室町時代以降、区内南部の「兵庫津」を中心に、豪商が建ち並び海運の要所としてのみならず、一大経済都市として再度歴史に登場。江戸期寛政年間、司馬遼太郎著「菜の花の沖」でも有名な、高田屋嘉兵衛が択捉航路を開き、兵庫津は北海道物産交易の基地として大いに賑わっていた。そして、江戸時代には、区南部にあたる地域の人口が、1万人を超える有数の規模を誇った港町であった。
明治元年、明治新政府は地方を「府県藩」に分けた。このとき「兵庫県」が置かれ、伊藤博文が初代県知事となり、兵庫区内・切戸町の兵庫城に県庁が置かれていた。以後、1871(明治4)年の廃藩置県などを経て、兵庫県は現在のような形へと移行していく。
兵庫県の名は、前にも述べたように、現在の神戸市兵庫区に役所が置かれた事にある。そして、もともと、ここにある兵庫港(現在は神戸港の一部)が古くから国際貿易港として開港していた為である。また、一説には幕末、安政の五ヶ国条約によって兵庫港の開港を諸外国より求められた幕府は、兵庫港開港を約束しながら実際の開港地は兵庫ではなく、あえて当時人口希薄な、東隣の一漁村神戸を開港したため、諸外国から条約違反とする非難を避けるために「神戸」ではなく「兵庫」を県名に用いて神戸をその管轄区域に含めてお茶を濁したとする説がある。
どこの地名にも、歴史や文化がある。地名の中に見られる、歴史、文化は大切にしたいものだよね。
(画像はマピオン・ 兵庫の地図)
参考:
日本地名研究所
http://www8.ocn.ne.jp/~timeiken/index.html
広域地名 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%9F%9F%E5%9C%B0%E5%90%8D
兵庫県 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C
兵庫区 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E5%8C%BA
神戸市兵庫区のホームページ
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/84/
神戸史跡地図・兵庫区(神戸市文書館)
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/map/hyougo.html