1836年の今日(3月6日)は、アラモ砦の戦いが終結した日。
テキサス義勇軍約200人がメキシコ正規軍数千人と戦い全滅。「アラモを忘れるな」が合言葉に 。
アラモの戦いはテキサス独立戦争中の1836年2月23日 ~ 3月6日の13日間にメキシコ共和国軍とテクシャン叛乱軍の間で行われた戦闘である。戦闘の舞台となったアラモ砦は、もともと、スペインの布教所として1718年にサン・アントニオ・デ・ベハル(後のテキサス州サンアントニオ)に建設されたものであった。19世紀初頭にスペイン軍の騎兵隊が駐屯し、その要塞を「アラモ」と呼んだ。このアラモ伝道所はテキサス州サン・アントニオ郊外に遺跡がある。ここは、当時、メキシコ領であったテキサスの独立と、アメリカ合衆国への併合、その後に続くアメリカ・メキシコ戦争など、アメリカ大陸の歴史を動かす発端となった場所である。
「アラモ砦の戦い」といえば、1960年にジョン・ウェインが監督・主演で映画化した『アラモ』を思い出す。アラモ砦に立てこもったわずか200名弱のテキサスの男たちが数千のメキシコ軍相手に奮闘し、最後は玉砕したと言う壮絶な戦いを、史実に基づいて描いた作品である。この映画を筆頭に、その後、何度か映画化され、 2004年にも同名で映画化されている。
16世紀以来、スペイン領だったテキサスの広大な土地は1821年に独立したメキシコの領土になっていた。メキシコの中心からあまりに遠い辺境のテキサスにはアメリカの開択移民達がどんどん移住してきた。しかし、メキシコの独裁者サンタ ・アナ大統領は、彼らの移住を阻止しようと圧政を加えた。彼らは、自由とメキシコからの独立のために反乱を起こし、アラモの砦に立てこもった。この叛乱をきいたメキシコでは独裁政権を樹立したばかりのサンタ・アナが自ら数千の軍隊を率いて叛乱軍を制圧しようと、サン・アントニオ市に進軍してきた。
テネシー州出身の元下院議員デイヴィ・クロケットと仲間たちも、テキサス独立運動に参加するため、砦を守っていたトラヴィス中佐のもとに駆けつけた。当時、独立軍を率いるヒューストンは、アラモ砦の後方で、兵を集めていた。アラモ砦は、時間稼ぎのためにも死守されなければならなかったからだ。
ボウイ・ナイフの発明者ジム・ボウイも含めて181名がたてこもっていた。対するメキシコ軍は3,000人(1500とも6000とも色々説あり)。絶望的な状態であった。サンタ ・アナは、降伏を勧めたがトラビス大佐はこれを拒否、1836年3月6日、メキシコ軍は、アラモ砦に総攻撃をかけた。メキシコ軍の総攻撃を受けて13日間の激闘の末全滅。アラモの砦はメキシコ軍に占領された。
私もっこの映画は見たが当時1,200万ドルの制作費をつぎ込んだと言われたこの映画、 シネマスコープの大画面での戦闘シーンは迫力満点であった。映画のラストシーン。アラモの戦いの後、勝者であるメキシコ軍のサンタ ・アナ将軍が、敗者の非戦闘員の女性達がアラモから立ち去るときに敬礼して見送るシーンがあるが、いかにも、「愛国心のかたまり」ジョン ・ウェインらしい演出ではある。又、劇中の音楽「遥かなるアラモ」「アラモの唄」「皆殺しの歌」も効果的で印象に残っている。
この闘いの知らせを聞いた後方のヒューストンは、“アラモを忘れるな”(Remember the Alamo!)と奮い立ち、アラモ陥落から46日後、の4月21日メキシコ軍を破ってサンタ ・アナを捕らえ、テキサス共和国を独立させた。そして、テキサス共和国はその後1845年に米国の28番目の州として併合された。1861年の南北戦争ではアメリカ南部連合に属し、1870年合衆国への復帰が認められた。このアラモ砦の戦いにおける自己犠牲の精神はアメリカの魂とまでいわれ、この闘いで活躍したデビッド・クロケットや、指揮官ウィリアム・バレット・トラビス、副指揮官ジェームズ・ボウイらの多くの伝説を産み出した。そして、テキサス独立のシンボルである「アラモ砦」は、歴史の浅いアメリカにとっては第一級の史跡であり今、サンアントニオの中心にある砦には観光客というよりかは、参拝者といっていいような人達の列が絶えないという。 以下参考の「テキサス州・アラモ物語」では、現在のアラモとその周辺の様子が、パノラマ写真などで見れるよ。
しかし、もともと、メキシコ政府がメキシコ領のテキサス州での開発を進めるため、米人移民を認めたところ、米人人口が増加し、その米人移民団がメキシコからの分離を目指して叛乱を起こした。サンタ・アナはアメリカ人の拡大主義を警戒し早期にこれを制圧しようとした。当時のメキシコがどのような圧政をしていたかは詳しくは知らないが、結局は、戦争を仕掛けて、メキシコの領土を奪ったようなもの。映画はあくまで、「アメリカ人は正義でその他は悪」という図式でアメリカサイドから描かれている。これは、アメリカ移民を襲ってくる悪いインディアンをやっつける西部劇映画と共通のパターンであろう。
(画像はDVD「アラモ」。名優ジョン・ウェインの製作・監督・主演による、スペクタクル西部劇大作。 )
参考:トラヴィス中佐
アラモの戦い-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A2%E7%A0%A6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
アラモ (2004) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD5770/index.html?flash=1
テキサス独立のヒーロー~アラモ砦のディビー・クロケット
http://karins14.hp.infoseek.co.jp/aramo.htm
テキサス州・アラモ物語
http://www.ne.jp/asahi/yume/dreams/main/Photo_US_SA_alamo.htm
テキサス義勇軍約200人がメキシコ正規軍数千人と戦い全滅。「アラモを忘れるな」が合言葉に 。
アラモの戦いはテキサス独立戦争中の1836年2月23日 ~ 3月6日の13日間にメキシコ共和国軍とテクシャン叛乱軍の間で行われた戦闘である。戦闘の舞台となったアラモ砦は、もともと、スペインの布教所として1718年にサン・アントニオ・デ・ベハル(後のテキサス州サンアントニオ)に建設されたものであった。19世紀初頭にスペイン軍の騎兵隊が駐屯し、その要塞を「アラモ」と呼んだ。このアラモ伝道所はテキサス州サン・アントニオ郊外に遺跡がある。ここは、当時、メキシコ領であったテキサスの独立と、アメリカ合衆国への併合、その後に続くアメリカ・メキシコ戦争など、アメリカ大陸の歴史を動かす発端となった場所である。
「アラモ砦の戦い」といえば、1960年にジョン・ウェインが監督・主演で映画化した『アラモ』を思い出す。アラモ砦に立てこもったわずか200名弱のテキサスの男たちが数千のメキシコ軍相手に奮闘し、最後は玉砕したと言う壮絶な戦いを、史実に基づいて描いた作品である。この映画を筆頭に、その後、何度か映画化され、 2004年にも同名で映画化されている。
16世紀以来、スペイン領だったテキサスの広大な土地は1821年に独立したメキシコの領土になっていた。メキシコの中心からあまりに遠い辺境のテキサスにはアメリカの開択移民達がどんどん移住してきた。しかし、メキシコの独裁者サンタ ・アナ大統領は、彼らの移住を阻止しようと圧政を加えた。彼らは、自由とメキシコからの独立のために反乱を起こし、アラモの砦に立てこもった。この叛乱をきいたメキシコでは独裁政権を樹立したばかりのサンタ・アナが自ら数千の軍隊を率いて叛乱軍を制圧しようと、サン・アントニオ市に進軍してきた。
テネシー州出身の元下院議員デイヴィ・クロケットと仲間たちも、テキサス独立運動に参加するため、砦を守っていたトラヴィス中佐のもとに駆けつけた。当時、独立軍を率いるヒューストンは、アラモ砦の後方で、兵を集めていた。アラモ砦は、時間稼ぎのためにも死守されなければならなかったからだ。
ボウイ・ナイフの発明者ジム・ボウイも含めて181名がたてこもっていた。対するメキシコ軍は3,000人(1500とも6000とも色々説あり)。絶望的な状態であった。サンタ ・アナは、降伏を勧めたがトラビス大佐はこれを拒否、1836年3月6日、メキシコ軍は、アラモ砦に総攻撃をかけた。メキシコ軍の総攻撃を受けて13日間の激闘の末全滅。アラモの砦はメキシコ軍に占領された。
私もっこの映画は見たが当時1,200万ドルの制作費をつぎ込んだと言われたこの映画、 シネマスコープの大画面での戦闘シーンは迫力満点であった。映画のラストシーン。アラモの戦いの後、勝者であるメキシコ軍のサンタ ・アナ将軍が、敗者の非戦闘員の女性達がアラモから立ち去るときに敬礼して見送るシーンがあるが、いかにも、「愛国心のかたまり」ジョン ・ウェインらしい演出ではある。又、劇中の音楽「遥かなるアラモ」「アラモの唄」「皆殺しの歌」も効果的で印象に残っている。
この闘いの知らせを聞いた後方のヒューストンは、“アラモを忘れるな”(Remember the Alamo!)と奮い立ち、アラモ陥落から46日後、の4月21日メキシコ軍を破ってサンタ ・アナを捕らえ、テキサス共和国を独立させた。そして、テキサス共和国はその後1845年に米国の28番目の州として併合された。1861年の南北戦争ではアメリカ南部連合に属し、1870年合衆国への復帰が認められた。このアラモ砦の戦いにおける自己犠牲の精神はアメリカの魂とまでいわれ、この闘いで活躍したデビッド・クロケットや、指揮官ウィリアム・バレット・トラビス、副指揮官ジェームズ・ボウイらの多くの伝説を産み出した。そして、テキサス独立のシンボルである「アラモ砦」は、歴史の浅いアメリカにとっては第一級の史跡であり今、サンアントニオの中心にある砦には観光客というよりかは、参拝者といっていいような人達の列が絶えないという。 以下参考の「テキサス州・アラモ物語」では、現在のアラモとその周辺の様子が、パノラマ写真などで見れるよ。
しかし、もともと、メキシコ政府がメキシコ領のテキサス州での開発を進めるため、米人移民を認めたところ、米人人口が増加し、その米人移民団がメキシコからの分離を目指して叛乱を起こした。サンタ・アナはアメリカ人の拡大主義を警戒し早期にこれを制圧しようとした。当時のメキシコがどのような圧政をしていたかは詳しくは知らないが、結局は、戦争を仕掛けて、メキシコの領土を奪ったようなもの。映画はあくまで、「アメリカ人は正義でその他は悪」という図式でアメリカサイドから描かれている。これは、アメリカ移民を襲ってくる悪いインディアンをやっつける西部劇映画と共通のパターンであろう。
(画像はDVD「アラモ」。名優ジョン・ウェインの製作・監督・主演による、スペクタクル西部劇大作。 )
参考:トラヴィス中佐
アラモの戦い-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A2%E7%A0%A6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
アラモ (2004) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD5770/index.html?flash=1
テキサス独立のヒーロー~アラモ砦のディビー・クロケット
http://karins14.hp.infoseek.co.jp/aramo.htm
テキサス州・アラモ物語
http://www.ne.jp/asahi/yume/dreams/main/Photo_US_SA_alamo.htm