今日(3月20日)は、「上野動物園開園記念日」
1882(明治15)年3月20日、日本初の近代動物園として、上野動物園が上野公園内に開園した。また同日、上野公園内に東京国立博物館も開館した。
「上野動物園」の正式名称は「恩賜上野動物公園」。恩賜(おんし)とは天皇陛下や皇族などから贈られたということ。この上野動物園のある上野公園の土地はもともと宮内庁管理であったものが戦前東京市に送られたことから、上野公園の正式名称は、上野恩賜公園、そして、上野動物園の正式名称は、恩賜上野動物公園となるわけだ。
公園を含めたこの辺りは、江戸時代、三代将軍徳川家光の命により天海僧正によって建立(1625=寛永二年)された東叡山寛永寺の境内跡であった。総坪数が36万坪の樹木の茂った静かな森で、今の大噴水の辺りは竹の台と言われ、根本中堂を中心とした多数の壮麗な堂塔が点在していた。また、東照宮を始め徳川将軍家の霊廟等と共に東叡山は江戸第一の霊場であった。
幕末の1868(慶應4)年に戊申戦争の彰義隊の戦いで上野の山は1日の戦乱で諸堂宇の殆どが焼失した。 その後、陸軍用地、病院建設予定地となったが、御雇い外国人医師であるオランダ人ポートワン博士が現地を見聞し景観の良さに公園にするよう明治政府に進言。そして1873(明治6)年に日本の公園第1号として一般に公開されるに至った。
上野動物園は、1882(明治15)年3月20日、農務省の博物館(現在の東京国立博物館)の付属施設として開設した。1886(明治19)年には宮内省管轄になり、1926(大正15)年、上野公園と共に、皇太子(昭和天皇)ご成婚記念として東京市に下賜された。現在東京都建設局が所管している。 なお、葛西臨海水族園は上野動物園の下部組織である。
同動物園は、日本で最も古い動物園であり、上野駅公園口から徒歩5分と交通の便がよい。敷地は西園と東園に分かれており、両園を結ぶモノレール(東京都交通局上野懸垂線)は日本初のモノレールでもある。
開園当時の面積は約1万坪(3万3000㎡)。クマ、サル、キツネ、タヌキ、水鳥、小鳥等約40点であった動物も、現在では敷地面積も14万㎡となり、ジャイアントパンダやスマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物を始め、国内外の動物園の協力を得て、野生動物の保護と繁殖にも取り組んでおり、422種類(2003年3月現在)の動物を飼育している。飼育動物の種類も日本で最も多い。又、多摩動物公園、井の頭自然公園等の都立動物園と共にズーストック計画を実施している。
ズーストック計画とは、地球上で絶滅の危機に瀕している多くの野生動物を飼育下で繁殖させ、動物園での展示動物を確保するとともに野生へも返していこうという計画。都立動物園では国内外の希少な野生動物50種をズーストック種として決め、これらの種の飼育・繁殖技術の確立に力を入れている。そのため、これらの飼育環境もできるだけ自然な常態に近づける努力と工夫が凝らされているそうである。
上野動物園で一番記憶に残っているのは、パンダの初来日である。日中国交回復を記念して中国からジャイアントパンダが日本に贈られ、「ランラン(蘭蘭)とカンカン(康康)」がやって来たのが1972(昭和47)年のことであった。日本で初めて見る本物のパンダであった。一般公開初日となった11月5日には、夜明け前からパンダ目当ての行列が1キロ以上も続いたそうだ。上野動物園のこの日の総入園者数は5万5672人。このうち、パンダを見た人が1万7880人。2時間半並んで、パンダを見ることができたのはわずか1分間であったという。それでも人々はパンダを一目見ようと、初日以降も全国から訪れた。
神戸では、1981(昭和56)年、ポートアイランド博覧会に、天津動物園からジャイアントパンダの「蓉蓉(ロンロン)」と「寨寨(サイサイ)」がやってきた。神戸の王子動物園と中国天津動物園とは、以前から友好動物園として動物の交換や飼育員の交流研修を行ってきたが、この時にも両動物園の飼育員で共同チームが組まれた。すでに上野動物園にはジャイアントパンダがいたとはいえ、関西では初のお目見え。愛くるしいパンダの姿を一目見ようと上野動物園同様ものすごい人が押し寄せ観客を魅了した。私もこのときに、見に行ったが、長い行列で、見るのは1分程度、しかも、お尻をこちらに向け十分に顔を見れなかったことを思い出す。王子動物園は、希少動物のパンダを、半年もの間借り受け、無事に飼育できたことは、大きな成果となったであろう。
上野動物園では、戦時中、飼育している動物を止むを得ず殺さなくてはならなかった哀しい記録がある。その時のことは、参考の上野動物園に【悲しい上野動物園】として詳しく記載されているので読んでください。もう2度とそのようなことが起こらないことを祈りたいですね。
(画像は、意匠=50円郵便切手・神戸パンダ(コウコウ、タンタン)。平成13(2001)年1月発行。この切手は「KOBE21 ひと・まち・みらい」として発行された2種類の切手の1種。)
参考:
東京都の動物園&水族館・恩賜上野動物園
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/zoo/ueno/
恩賜上野動物園 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%B3%9C%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92
上野動物園
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/amuse/uenozoo.html
はてなダイアリー - 上野動物園とは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%E5%CC%EE%C6%B0%CA%AA%B1%E0
日中友好の使者パンダ:翔年の時間
http://www.sho-nen.com/frontier/vol03_p01.html
1882(明治15)年3月20日、日本初の近代動物園として、上野動物園が上野公園内に開園した。また同日、上野公園内に東京国立博物館も開館した。
「上野動物園」の正式名称は「恩賜上野動物公園」。恩賜(おんし)とは天皇陛下や皇族などから贈られたということ。この上野動物園のある上野公園の土地はもともと宮内庁管理であったものが戦前東京市に送られたことから、上野公園の正式名称は、上野恩賜公園、そして、上野動物園の正式名称は、恩賜上野動物公園となるわけだ。
公園を含めたこの辺りは、江戸時代、三代将軍徳川家光の命により天海僧正によって建立(1625=寛永二年)された東叡山寛永寺の境内跡であった。総坪数が36万坪の樹木の茂った静かな森で、今の大噴水の辺りは竹の台と言われ、根本中堂を中心とした多数の壮麗な堂塔が点在していた。また、東照宮を始め徳川将軍家の霊廟等と共に東叡山は江戸第一の霊場であった。
幕末の1868(慶應4)年に戊申戦争の彰義隊の戦いで上野の山は1日の戦乱で諸堂宇の殆どが焼失した。 その後、陸軍用地、病院建設予定地となったが、御雇い外国人医師であるオランダ人ポートワン博士が現地を見聞し景観の良さに公園にするよう明治政府に進言。そして1873(明治6)年に日本の公園第1号として一般に公開されるに至った。
上野動物園は、1882(明治15)年3月20日、農務省の博物館(現在の東京国立博物館)の付属施設として開設した。1886(明治19)年には宮内省管轄になり、1926(大正15)年、上野公園と共に、皇太子(昭和天皇)ご成婚記念として東京市に下賜された。現在東京都建設局が所管している。 なお、葛西臨海水族園は上野動物園の下部組織である。
同動物園は、日本で最も古い動物園であり、上野駅公園口から徒歩5分と交通の便がよい。敷地は西園と東園に分かれており、両園を結ぶモノレール(東京都交通局上野懸垂線)は日本初のモノレールでもある。
開園当時の面積は約1万坪(3万3000㎡)。クマ、サル、キツネ、タヌキ、水鳥、小鳥等約40点であった動物も、現在では敷地面積も14万㎡となり、ジャイアントパンダやスマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物を始め、国内外の動物園の協力を得て、野生動物の保護と繁殖にも取り組んでおり、422種類(2003年3月現在)の動物を飼育している。飼育動物の種類も日本で最も多い。又、多摩動物公園、井の頭自然公園等の都立動物園と共にズーストック計画を実施している。
ズーストック計画とは、地球上で絶滅の危機に瀕している多くの野生動物を飼育下で繁殖させ、動物園での展示動物を確保するとともに野生へも返していこうという計画。都立動物園では国内外の希少な野生動物50種をズーストック種として決め、これらの種の飼育・繁殖技術の確立に力を入れている。そのため、これらの飼育環境もできるだけ自然な常態に近づける努力と工夫が凝らされているそうである。
上野動物園で一番記憶に残っているのは、パンダの初来日である。日中国交回復を記念して中国からジャイアントパンダが日本に贈られ、「ランラン(蘭蘭)とカンカン(康康)」がやって来たのが1972(昭和47)年のことであった。日本で初めて見る本物のパンダであった。一般公開初日となった11月5日には、夜明け前からパンダ目当ての行列が1キロ以上も続いたそうだ。上野動物園のこの日の総入園者数は5万5672人。このうち、パンダを見た人が1万7880人。2時間半並んで、パンダを見ることができたのはわずか1分間であったという。それでも人々はパンダを一目見ようと、初日以降も全国から訪れた。
神戸では、1981(昭和56)年、ポートアイランド博覧会に、天津動物園からジャイアントパンダの「蓉蓉(ロンロン)」と「寨寨(サイサイ)」がやってきた。神戸の王子動物園と中国天津動物園とは、以前から友好動物園として動物の交換や飼育員の交流研修を行ってきたが、この時にも両動物園の飼育員で共同チームが組まれた。すでに上野動物園にはジャイアントパンダがいたとはいえ、関西では初のお目見え。愛くるしいパンダの姿を一目見ようと上野動物園同様ものすごい人が押し寄せ観客を魅了した。私もこのときに、見に行ったが、長い行列で、見るのは1分程度、しかも、お尻をこちらに向け十分に顔を見れなかったことを思い出す。王子動物園は、希少動物のパンダを、半年もの間借り受け、無事に飼育できたことは、大きな成果となったであろう。
上野動物園では、戦時中、飼育している動物を止むを得ず殺さなくてはならなかった哀しい記録がある。その時のことは、参考の上野動物園に【悲しい上野動物園】として詳しく記載されているので読んでください。もう2度とそのようなことが起こらないことを祈りたいですね。
(画像は、意匠=50円郵便切手・神戸パンダ(コウコウ、タンタン)。平成13(2001)年1月発行。この切手は「KOBE21 ひと・まち・みらい」として発行された2種類の切手の1種。)
参考:
東京都の動物園&水族館・恩賜上野動物園
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/zoo/ueno/
恩賜上野動物園 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%B3%9C%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92
上野動物園
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/amuse/uenozoo.html
はてなダイアリー - 上野動物園とは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%E5%CC%EE%C6%B0%CA%AA%B1%E0
日中友好の使者パンダ:翔年の時間
http://www.sho-nen.com/frontier/vol03_p01.html