今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

あんぱんの日

2005-04-04 | 記念日
今日(4月月4日)は「あんぱんの日」
1875(明治8)年4月4日、 東京・向島の水戸藩下屋敷でお花見に訪れた明治天皇に木村家の酒種あんパンが献上された。「あんぱん」に奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の塩漬けを真中に埋め込んだ「桜あんぱん」であった。ご試食された天皇・皇后のお気に入りとなり、木村家はその後宮中御用商に加わった。
この木村屋のパンのことは、2004年のHNKTV「その時歴史は動いた」で採り上げられたことがある。 
木村屋の創業者木村安兵衛は、もともと徳川幕府に仕える武士であり、木村安兵衛と山岡鉄舟(Wikipedia)とは旧知の間柄であったようだ。木村安兵衛は、明治維新により、武士廃業。当時、東京府職業授産所長を勤めていた木村家本家の重義を頼って江戸にでる。授産所とは、明治維新により職を失った者の手に職を付けさせ生活の糧となるよう職業訓練をするところであり、そこで安兵衛は、“パン”を知り、重義のすすめもあって、パンをつくることになったそうだ。木村安兵衛は、当時天皇の侍従をしていた山岡鉄舟に「これまでは京都の和菓子をお出しすることが多かったが、純日本製のパンをお出ししたらどうか」ともちかけられ、それまでのあんぱんに工夫をこらし開発したものである。そして、この「桜あんぱん」の献上を水戸藩に勧めたのは山岡鉄舟であった。
その裏には、維新により、形だけ明治になったが、1日も早く頭を切り替え、西洋の文明を取り入れて国を富まさないと列強に飲み込まれてしまうという憂いから、「まず、明治天皇にその模範を示してもらおう」との考えがあったようだ。そして、その説明が「見かけは西洋の文化でも、中味は日本古来の魂を大切に」というまさに、「和魂洋才」をもって国民に範を示して欲しいという願いであったいうからふるっている。
すでに明治天皇は、周りの者から勧められ、文明国の取るべき態度として断髪の上、洋装にして、和食をフランス料理に変え、1872(明治5)年1月24日には、1200年に渡る肉食の禁を破り、牛肉の試食をされ、この年より西洋料理が宮中に採り入れられるようにもなっている。そして、天皇の名の下に肉食が公認されると、国民も肉食に対する偏見を改め、肉食は欧米文化に欠かせないものとして、進んで肉食をするようになっていった。しかし、このような明治維新になり、肉食が解禁され、積極的に食べるような状況が作られていった裏には、新政府の「富国強兵」策があったようであることは、私の前のBlog「明治天皇が初めて牛肉を試食 された日」にも書いたとおりである。
そして、HNKTV「その時歴史は動いた」では、最後に、
明治天皇があんパンを食べたことで世の中はどう変わったのか?
木村安兵衛は、あんパンを開発したものの、着工直後の銀座煉瓦街はまだ繁華街の体をなしておらず、あんパンの知名度はイマイチ低かった。明治天皇がこのあんパンを食べお墨付きを与えたことで、あんパンは爆発的な人気を得て、西洋のパンが日本国中に広がっていく大きなきっかけを作った。また、このあんパンの伝播に従い、電信、電話、陸蒸気などの「近代文明」が時を同じくして全国に広まっていった。(「明治世相編年辞典 東京堂出版」)今回の番組では、あんパンを「和魂洋才の嚆矢」と考え、その後の日本の外国文明とのつきあい方の一つの類型を作り上げたという意味で「歴史を動かした」と考えている。・・・と結んでいる。
明治天皇も、日本の歴史を動かした人たちにに、体よく利用されていた感じだね~。しかし、外国のものをそのまま取り入れず、「和魂洋才」にして、日本のものにしてしまうところに、日本人の大和魂を感じさせるが、今は、外国のものを良いことも悪いこともそのまま受け入れる風潮が見られるが、戦後、は日本人としての誇りを失ったのだろうね~。
(画像:アンパン)
参考:
HNKTV「その時歴史は動いた」http://www.nhk.or.jp/sonotoki/index.html
2004年1月28日第166回 明治天皇 あんパンを食す ~リストラ武士 木村安兵衛の挑戦
”あんぱん物語”
http://www.shejapan.com/jtyeholder/jtye/living/anpan/janpan0.html
木村屋總本店銀座本店ホームページ
http://www.kimuraya-sohonten.co.jp/